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3.11以後、耳慣れない科学用語が、いっぱい垂れ流されました。 本当に信頼できる科学情報が必要な局面で、 私たちが学んだことは、「政府見解」や「専門家の意見」は無批判に受け入れられない ということでした。
パニックに陥った私たちが次に直面したのは、 玉石混合の不確実な情報の氾濫です。 これは、このネット社会が生んだ、新しい状況です。 これを見て、専門家からは、素人の言説に注意をしろ、との警告や 脅しがいっぱい出されました。
さらに、これをきっかけに、ニセ科学、似非科学、疑似科学論議が盛り上がっています。 これは、私の大好きな分野なので、私は大歓迎なのですが、 これが、「素人は口を出すな!」や、 「発言をして、もし、間違っていたら、責任を取らせるぞ」 というバッシングにつながっていくとすれば、由々しき問題だと思います。
科学的知識と、科学的な方法論・つまり、科学的な考え方というのは、違います。 そして、この「科学的な考え方」は、民主主義と不可分で一体なのです。 たとえば、TPPに対する意見なども、一人ひとりが、主体的に考えなければなりませんが、 それを、「お前は外交の専門家じゃないのだから、または、経済の専門家じゃない のだから、黙っていろ!」となったら、本末転倒でしょう。
たとえ、結果として、間違った知識であっても、正しい考え方で間違ったものは、 立派な「科学」なのです。 立派な間違いなら、その上に、それを乗り越える、 より確からしい見解が生まれるのです。 逆に、結果的に正解であっても、後につながらない見解や、副作用を及ぼすがあります。 これは、科学的な方法論を取らなかったからです。
間違った意見が出ることは、これは致し方がないのです。 これは、細菌やウィルスを根絶することを考えられないことと同じです。
要は、免疫力をつけることなのです。 それが、科学教育であり、子どもたちに、一番必要なことなのです。 決して、科学用語や知識を人より多く覚えて、点数を多くとることではないのです。 どの言説が怪しいのか、疑ってかからなければならないのか、を見極める力です。 また、自分で物事を判断する場合に、思考の盲点に陥っていないか、 自己チェックする力なのです。
また、より多くの人が、判断力を身につけ、怪しげな情報を判断できるようになれば、 そういう情報が、出回るブレーキになります。 マスコミも、出版社も、政府だって、安易なことを言えなくなります。
原発問題に限らず、個々の専門分野に関する知識をもって、 判断し続けるなんて、誰であっても、不可能というものです。 と、すると、私たちに必要な能力は、発信される情報の「科学性」「科学度」を 評価するというこの一点に集約されるのではないでしょうか?
学校教育は、ぜひこれに取り組んでほしい。 そうしたら、「水からの伝言」を道徳に使ったり、 「朝ごはん」を成績と結びつけたりは、決してしないでしょう。
私も、これを主眼に、楽しい科学教室を展開していきたいと思っております。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2013.03.18 10:44:50
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