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3・11の原発事故はもちろん、最近のオリンピック施設問題にしても、
世の中は裸の王様とそっくりだなあ、と思わされます。 アンデルセンの童話ですから、あらすじは、ご存知でしょうが、 ウィキペディアからのコピペでまとめておきます。 新しい服が大好きな王様の元に、二人組の詐欺師が布織職人という触れ込みでやって来る。 彼らは何と、馬鹿や自分にふさわしくない仕事をしている者には見えない不思議な布地を織る事が出来るという。 王様は大喜びで注文する。 仕事場に出来栄えを見に行った時、目の前にあるはずの布地が王様の目には見えない。 王様はうろたえるが、家来たちの手前、本当の事は言えず、見えもしない布地を褒めるしかない。 家来は家来で、自分には見えないもののそうとは言い出せず、同じように衣装を褒める。 王様は見えもしない衣装を身にまといパレードに臨む。 見物人も馬鹿と思われてはいけないと同じように衣装を誉めそやすが、その中の小さな子供の一人が、「王様は裸だよ!」と叫んだ。 ついにみなが「王様は裸だ」と叫ぶなか王様一行はただただパレードを続けた。 ここで、重要だと思うのが、最後の最後、「それでもパレードは続けられた」、ということです。 「真実が明らかになった後も、虚偽に基づいた計画がすぐに止まるとは限らない」。 これは「純真無垢なものだけが、真実を公表できる」という以上の教訓ではありませんか。 政治活動に限らず、科学技術における原子力政策。 そして、大規模な無駄遣いが目に見えている再開発と枚挙にいとまがありません。 虚偽の夢から覚めるには、ある意味、カルト宗教の洗脳を解くくらいの覚悟が必要です。 そして、純真無垢な少年の代わりになるのが、私は数学だと思っています。 数学は自然から必然的に発見されたものではありません。 人間の脳みその創作物です。 でも、その人間の脳みそも、そもそも自然の一種ですから、 自然科学であると言えます。 そして、人間は、この世界を認識するにあたって、様々なモデルを作ってきました。 それは、今から思えば、バカげたモデルも多くありました。 そのモデルの欠陥を指摘したり、証明したりして、より精度の高いモデルを作ってきました。 その道具となったのが数学です。 数学なんて役に立たないという学生は後を絶ちません。 実際、大学入学に、数学を使わないところが増えてきています。理系学部ですら。 ところが、社会に出てから、マーケティング、商品開発、経営、人事評価など 数学がモノを言う場面に遭遇するのです。 儲けることに必要なだけでなく、裸の王様の間違いをいち早く指摘するためにも、 そして、大勢のアホな観衆と一緒にならないためにも、数学は身につけておくべきだと 思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2016.10.20 15:47:26
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