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カテゴリ:子どもの問題
●子どもの反動形成
抑圧された「自分」が長くつづくと、その人は、本来の「自分」とは逆の「自分」を、徹底的に演ずるようになる。これを心理学の世界では、「反動形成」という。学校の教師を例にとって、考えてみる。 今でも、聖職者意識をもっている教師は多い。そういう教師が、聖職者は、禁欲的でなければならないというイメージをもったとする。するとその教師は、そのイメージに従って、徹底的に、禁欲者であろうとする。自らを、そうしむける。そして結果として、生徒が「セックス」という言葉を口にしただけで、それを露骨に嫌ったり、そういう会話をたしなめたりするようになる。 子どもでも、幼いときから、「あなたはお兄ちゃんだから……(お姉ちゃんだから……)」と言われつづけると、本来の自分を押し殺して、別の子どもを演ずるようになることがある。そして「さすが、お兄ちゃんだね……(お姉ちゃんだね……)」とか、ほめられたりすると、さらに別の自分を演ずるようになる。もちろん本人には、演じているという意識はない。 もちろんすべての反動形成が悪いわけではない。その反動形成が、よいほうに作用して、その人や子どもを伸ばすこともある。たとえば何かの欲求不満をもっていて、その欲求不満を克服するため、別の自分を演ずることがある。つい先日までヘビースモーカーだった人が、自分が禁煙したとたん、猛烈な嫌煙家になるなど。そういうことはあるが、しかしどこか不自然になることは多い。 たとえばウーマンリブ闘争の闘士のような女性に、Z女史という人がいる。マスコミにもよく顔を出し、相手の男性に向かって、「それはセクハラだ! 謝れ!」とか、「女性蔑視発言だから、取り消せ!」などと言って騒いでいる。一見、女性の代表のような顔をしているが、しかしあのZ女史ほど、「女」を感じさせない女性はない。動作やものの言い方まで、男性そのもの。おそらく子どものときから、「女の子」に扱ってもらったことがないのだろう。それから生まれる欲求不満が、Z女史をして、今のZ女史にしたと考えられなくもない(失礼!)。 一方、子どもの世界でも、「ブリッ子」という、よく知られた言葉がある。 勉強もよくできる。スポーツも万能。その上、容姿もきれい。そこで親や先生から、「あなたはすばらしい子」と、言われる。で、このタイプの子どもは、そういう親や教師、さらには周囲の仲間からの期待に答えようと、ますます拍車をかけて、よい子を演ずるようになる。 まだ小学生なのに、「地球の環境を守るのは大切なことです」「皆が、平和に暮らすことは大切なことです」「弱い人を助けるのは、私たちすべての義務です」などと、言ったりする。あるいはいじめの現場を目撃したりすると、いじめている子どもに向かって、「そういうことをして、恥ずかしくないの!」と、まさに優等生ぶって見せる。 しかしこうした反動形成が問題になるのは、その底流に、抑圧された自己欺瞞(ぎまん)があるということ。はっきり言えば、エセ。それだけではない。本当の自分をどこか別のところに置き、別の自分を演ずるというのは、それ自体、たいへん疲れることである。その「疲れ」が、ある一定の範囲内に収まっていれば問題はないが、その限界を超えたとき、この反動形成は、一挙に崩壊する。 たとえば小学生の間は優等生だったが、中学生になったとたん、集団少年(少女)になるというケースは、よくある。J君(中三男子)が、そうだった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年10月15日 10時42分08秒
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