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カテゴリ:育児問題
やる、やらないも能力のうち
馬に水を飲ますことはできない(失敗危険度★★) ●無理に水を飲ますことはできない イギリスの格言に、『馬を水場へ連れて行くことはできても、水を飲ますことはできない』というのがある。要するに最終的に子どもが勉強するかしないかは、子どもの問題であって、親の問題ではないということ。いわんや教師の問題でもない。大脳生理学の分野でも、つぎのように説明されている。 ●動機づけを決める帯状回? 大脳半球の中心部に、間脳とか脳梁とか呼ばれている部分がある。それらを包み込んでいるのが、大脳辺縁系といわれるところだが、ただの「包み」ではない。認知記憶をつかさどる海馬もこの中にあるが、ほかに価値判断をする扁桃体、さらに動機づけを決める帯状回という組織がある。つまり「やる気」のあるなしも、大脳生理学の分野では、大脳の活動のひとつとして説明されている。(もともと辺縁系は、脳の中でも古い部分であり、従来は生命維持と種族維持などを維持するための機関と考えられていた。しかし最近の研究では、それぞれにも独立した働きがあることがわかってきた(伊藤正男氏ほか)。) ●やる気が思考力を決める 思考をつかさどるのは、大脳皮質の連合野。しかも高度な知的な思考は新皮質(大脳新皮質の新新皮質)の中のみで行われるというのが、一般的な考え方だが、それは「必ずしも的確ではない」(新井康允氏)ということになる。脳というのは、あらゆる部分がそれぞれに仕事を分担しながら、有機的に機能している。いくら大脳皮質の連合野がすぐれていても、やる気が起こらなかったら、その機能は十分な結果は得られない。つまり『水を飲む気のない馬に、水を飲ませることはできない』のである。 ●乗り気にさせるのが伸ばすコツ 新井氏の説にもう少し耳を傾けてみよう。新井氏はこう書いている。「考えるにしても、一生懸命で、乗り気で考えるばあいと、いやいや考えるばあいとでは、自ずと結果が違うでしょうし、結果がよければさらに乗り気になるというように、動機づけが大切であり、これを行っているのが帯状回なのです」(日本実業出版社「脳のしくみ」)と。 親はよく「うちの子はやればできるはず」と言う。それはそうだが、伊藤氏らの説によれば、しかしそのやる気も、能力のうちということになる。能力を引き出すということは、そういう意味で、やる気の問題ということにもなる。やる気があれば、「できる」。やる気がなければ、「できない」。それだけのことかもしれない。 はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi 子どものうしろを歩くとイライラする! 子育てじょうずな親(失敗危険度★★★) ●子どものリズムをつかめ 子どもには子どものリズムがある。そのリズムをいかにつかむかで、「子育てがじょうずな親」「子育てがへたな親」が決まる。子育てじょうずな親というのは、いわゆる子育てがうまい親をいう。子どもの能力をじょうずに引き出し、子どもを前向きに伸ばしていく親をいう。 結果は、子どもをみればわかる。子育てじょうずな親に育てられた子どもは、明るく屈託がない。心のゆがみ(ひねくれ症状、ひがみ症状、つっぱり症状など)がない。また心と表情が一致していて、すなおな感情表現ができる。うれしいときは、うれしそうな顔を満面に浮かべるなど。 ●子育てじょうずな親 子育てじょうずな親は、いつも子どものリズムで子育てをする。無理をしない。強制もしない。子どものもつリズムに合わせながら、そのリズムで生活する。そのひとつの診断法として、子どもと一緒に歌を歌ってみるという方法がある。子どものリズムで生活している人は、子どもと歌を歌いながらも、それを楽しむことができる。子どもと歌いながら、つぎつぎといろいろな歌を歌う。しかしそうでない親は、子どもと歌いながら、それをまだるっこく感じたり、めんどうに感じたりする。あるいは親の好きな歌を押しつけたりして、一緒に歌うことができない。 ●リズムは妊娠したときから始まる そもそもこのリズムというのは、親が子どもを妊娠したときから始まる。そのリズムが姿や形を変えて、そのつどあらわれる。ここでは歌を例にあげたが、歌だけではない。生活全般がそういうリズムで動く。そこでもしあなたが子どもとの間でリズムの乱れを感じたら、今日からでも遅くないから、子どもと歩くときは、子どもの横か、できればうしろを歩く。 リズムのあっていない親ほど、心のどこかでイライラするかもしれないが、しかし子どもを伸ばすためと思い、がまんする。数か月、あるいは一年のうちには、あなたと子どものリズムが合うようになってくる。子どもがあなたのリズムに合わせることはできない。だからあなたが子どものリズムに合わせるしかない。そういうことができる親を、子育てがじょうずな親という。 はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi 子どものことは私が一番よく知っている! 子どもの横を歩く(失敗危険度★★★★) ●親意識 親意識の強い人は、「子どものことは私が一番よく知っている」と、何でもかんでも親が決めてしまう。子どもの意思など、まったくの無視。たとえばおけいこごとを始めるときも、またやめるときもそうだ。「来月から、○○音楽教室へ行きますからね」「来月から、今の教室をやめて、△△教室へ行きますからね」と。子どもは親の意向に振りまわされるだけ。 ●妊娠したときから始まる こうした子育てのリズムは、親が子どもを妊娠したときから始まる。ある母親は胎教と称して、毎日おなかの子どもに、クラッシックや英会話のテープを聞かせていた。また別の母親は、時計とにらめっこをしながら、その時刻になると赤ちゃんがほしがらなくても、ミルクを赤ちゃんの口につっこんでいた。さらにこんな会話をしたこともある。ある日一人の母親が私のところにきて、こう言った。 「先生、うちの子(小三男児)を、夏休みの間、サマーキャンプに入れようと思うのですが、どうでしょうか?」と。その子は、ハキのない子どもだった。母親はそれを気にしていた。そこで私が「お子さんは行きたがっているのですか?」と聞くと、「それが行きたがらないので、困っているのです」と。こうしたリズムは、一事が万事。そこでこんなテスト。 ●子どもの横を歩く あなたの子どもがまだヨチヨチ歩きをしていたころ、(1)あなたは子どもの前を、子どもの手を引きながら、ぐいぐいと歩いていただろうか。それとも(2)子どものうしろや横に回りながら、子どものリズムで歩いていただろうか。(2)のようであれば、よし。しかしもし(1)のようであれば、そのときから、あなたとあなたの子どものリズムは乱れていたとみる。今も乱れている。そしてやがてあなたは子どもとこんな会話をするようになる。 母、「あんたは、だれのおかげでピアノを弾けるようになったか、それがわかっているの。お母さんが毎週、高い月謝を払って、あなたを音楽教室へ連れていってあげたからよ」、子、「いつ、だれが、お前にそんなことをしてくれと頼んだア!」と。 そうならないためにも、子どもとリズムを合わせる。(子どもはあなたにリズムを合わせることはできないので。)今日からでも遅くないから、子どもの横かうしろを歩く。たったそれだけのことだが、あなたはすばらしい親子関係を築くことができる。 はやし浩司+++++++++++++++++Hiroshi Hayashi 知識や知恵を身につけさせるのが教育? 早期教育と先取り教育(失敗危険度★★★) ●子育てはリズム よく誤解されるが、早期教育が悪いのではない。要は「やり方」の問題。たとえば極端な例として、胎教がある。まだおなかの中にいる赤ちゃんに、何らかの教育をほどこすというのが胎教だが、胎教そのものよりも、問題とすべきは、そうした母親の姿勢そのもの。まだ子どもが望みもしないうちから(望むわけがないが……)、親が勝手に教育を始める。子どもの意思など、まったく無視。こういうリズムは一度できると、それがずっと子育てのリズムになってしまう。それが悪い。まだ子どもが興味をもたないうちから、ほら数だ、ほら文字だとやりだす。最近はやっている英会話もそうだ。こうしたやり方は、子どもに害になることはあっても、プラスになることは何もない。 ●幼稚園児に英語の文法? またたいていの親は、小学校でするような勉強を、先取りして教えるのを早期教育と誤解している。年中児に漢字を教えたり、英語の文法を覚えさせたりするなど。「アイは、自分のことだから、一人称。わかる? ユーは相手のことだから、二人称。わかる?」と。 もっとも漢字をテーマにすることは悪いことではない。漢字を複雑な図形ととらえると、漢字はおもしろいテーマだ。それを使った応用はいくらでもできる。私もよく子どもたちの前で、漢字を見せるが、漢字を教えるのではなく、漢字のおもしろさを教える。たとえば「牛」「馬」という漢字をみせて、牛の絵や馬の絵を描かせたりするなど。 ここに先取り教育と、早期教育の違いがある。ただこの日本では、「知識や知恵を身につけさせるのが教育」ということになっている。そして早期教育とは、知識や知恵をつけさせることだと多くの親は思っている。これは誤解というよりも、偏見と言ったほうが正しいかもしれない。 ●人間の方向性を決めるのが幼児教育 幼児教育が大学教育より重要であり、奥が深いことは、私にはわかる。それを認めるかどうかは、幼児教育への理解の深さにもよる。たいていの人は、幼児イコール幼稚、さらに幼稚な教育をするのが、幼児教育と思い込んでいる。しかしこれは誤解である。……というようなことを書いてもしかたないが、その幼児教育をすることは、これは早期教育でも、先取り教育でもない。この時期、人間の方向性が決まる。その方向性を決めるのが、幼児教育ということになる。その幼児教育が必要か必要でないかということになれば、そういった議論をすること自体、バカげている。 こみいった話になったが、幼児の教育を考えるときは、早期教育、先取り教育、それに幼児教育の三つは、分けて考えるとよい。混同すればするほど、子どもの教育が見えなくなる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年02月08日 19時11分55秒
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