全て
| カテゴリ未分類
| 育児問題
| 教育問題
| 子どもの問題
| 育児エッセー
| 人生論
| 時事問題
| 日々の随筆
| 家族のこと
| 自分(はやし浩司)史
| 友人より
| BW教室のこと
| 生きザマの問題
| 心の問題
| 育児のコツ
| 親子の問題
| 宗教問題(心の問題)
| 幼児・子どもの心理
| 老人問題
| 【保存原稿・SS】
| 旅行記
| ニュース
| 子どもの世界
| 私が見た映画
| ●宗教
| ●日本について
| 社会時評
| 夫婦の問題
| ●経済について(日本+国際)
| 英語のことわざ
| ★BW方式
| 小説
| BW教室
カテゴリ:人生論
●安易な常識論で苦しむ人 日本にはいろいろな常識(?)がある。「親だから子どもを愛しているはず」「子どもだから故郷(古里)を思い慕っているはず」「親子の縁は絶対に切れない」「子どもが親のめんどうをみるのはあたりまえ」など。 しかしそういう常識が、すべてまちがっているから、おそろしい。あるいはそういう常識にしばられて、人知れず苦しんでいる人はいくらでもいる。たとえば今、自分の子どもを気が合わないと感じている母親は、7%もいることがわかっている(東京都精神医学総合研究所の調査・00年)。「どうしても上の子を好きになれない」「弟はかわいいと思うが、兄と接していると苦痛でならない」とか。 故郷についても、「実家へ帰るだけで心臓が踊る」「父を前にすると不安でならない」「正月に帰るのが苦痛でならない」という人はいくらでもいる。そういう母親に向かって、「どうして自分の子どもをかわいいと思わないのですか」「あなたも親でしょう」とか、さらに「自分の故郷でしょう」「親を嫌うとはどういうことですか」と言うことは、その人を苦しめることになる。 たまたまあなたが心豊かで、幸福な子ども時代を過ごしたからといって、それを基準にして、他人の過去をみてはいけない。他人の心を判断してはいけない。それぞれの人は、それぞれに過去を引きずって生きている。中には、重く、苦しい過去を、悩みながら引きずっている人もいる。またそういう人のほうが、多い。 K市に住むYさん(38歳女性)のケースは、まさに悲惨なものだ。母親は再婚して、Yさんをもうけた。が、その直後、父親は自殺。Yさんは親戚の叔母の家に預けられたが、そこで虐待を受け、別の親戚に。そこでもYさんは叔父に性的暴行を受け、中学生のときに家出。そのころには母の居場所もわからなかったという。 Yさんは、「今はすばらしい夫に恵まれ、何とか幸福な生活を送っています」(手紙)ということだが、Yさんが受けた心のキズの深さは、私たちが想像できる、その範囲をはるかに超えている。Yさんから手紙を受け取ったとき、私は何と返事をしてよいかわからなかった。 ここでいうような「常識」というのは、一見妥当性があるようで、その実、まったくない。そこで大切なことは、日本のこうした「常識」というのは、一度は疑ってみる必要があるということ。そしてその上で、何が本当に大切なのか。あるいは大切でないのかを考えてみる必要がある。 安易に、つまり何も考えないで、そうした常識を、他人に押しつけるのは、かえって危険なことでもある。とくにこの日本では、子育てにも「流儀(?)」を求め、その「形」を親や子どもに押しつける傾向が強い。こうした方法は、一見便利なようだが、それに頼ると、その実、ものの本質を見失うことにもなりかねない。 「親である」とか「子であるとか」とかいう「形」ではなく、人間そのものをみる。また人間そのものをみながら、それを原点として、家庭を考え、家族を考える。それがこれからの子育ての基本である。 (はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 安易な常識論 常識論) Hiroshi Hayashi++++はやし浩司 ●類は友を呼ぶ おととい、東京に住む友人(64歳・女性)と、電話でこんな話をした。 その友人が、こう教えてくれた。 「奥さんがずるい人ということは、ダンナもずるい人と考えていいのよ。 だから夫婦でいられるのよ」と。 『類は友を呼ぶ』というが、『似たもの夫婦』という言葉もある。 どちらか一方がずるくて、他方が、誠実ということは、ありえない。 友人は、こう言った。 「たとえば奥さんがずるいことをしようとしてもね、ダンナが誠実な人だったら、 それをやめさせるはずよ」と。 つまりたがいに教えあいながら、夫婦というのは成長もするし、反対に堕落もする、と。 で、話がはずみ、私たちの結論は、こうだった。 「その人を知りたければ、その人の周囲の人たちを見ればいい」と。 たとえば兄弟にせよ、友人にせよ、つねに人は類を求めて集まる。 その人の周囲の人たちが不誠実なら、その人自身も、不誠実な人と考えてよい、と。 ●縁を切る 若いころ、1人、たいへんずるい人がいた。 インチキのかたまりのような人だった。 そのためいつも、何かにつけて、小細工ばかりしていた。 結構、金払いもよく、それなりにおもしろい人だった。 が、あるときから、金銭面で対立するようになった。 そのときのこと。 気がつくと、私自身も、その人に対して、ずるい人間になっているのを知った。 誠実になれないというか、誠実であることに、ある種のバカらしさを感じた。 つまりそういう人に対して、誠実であっても、意味はない。 誠実そのものが通じない。 こちらが誠実であろうとすればするほど、お人好しで終わってしまう。 そう感じた。 そのときのことを今、思い出してみると、こういうことが言える。 「不誠実な人とは、勇気をもって、縁を切れ」と。 つきあってよいことは、何もない。 が、それだけではない。 つきあえばつきあうほど、その人の不誠実さに染まってしまう。 そういう点では、人間の心というのは、それほどタフにはできていない。 何かにつけて、染まりやすい。 とくにこの私は、生まれも育ちも、あまりよくない。 もともとガードが弱い。 ●終わりに…… 要するに人生は、短い。 回り道している暇は、ない。 そのためにも、正道を急ぐ。 最後に、3人の賢人の言葉を引用する。 To live is so startling it leaves little time for anything else. - Emily Dickinson 生きることはすばらしいことだが、そのほかのための時間は、ほとんど残されていない。 People's whole lives do pass in front of their eyes before they die. The process is called 'living'. - Terry Pratchet, "The Last Continent" 人生とは、その人が死ぬまで、その人の目の前を通り過ぎるだけ。そのプロセスを、「生きている」という。 そしてあのアインシュタインの言葉。 Life is a mystery, not a problem to be solved. 人生(生命)は、ミステリー(謎)だ。そのミステリーは、解けるような問題ではない。 Hiroshi Hayashi++++++++AUG.09+++++++++はやし浩司 ●K国の金xx ++++++++++++++++++ 昨日(09年8月5日)、K国に抑留されていた 2人のアメリカ人記者が、金xxの「特赦」(?)に よって、解放された。 5か月ぶりの解放である。 K国は、「(ゴア元副大統領ではだめだ)、クリントン元大統領をよこせ。 よこしたら、解放してやる」と、アメリカに迫った。 その結果、クリントン大統領自身が、K国まで、出かけていった。 ++++++++++++++++++ ●現実検証能力 あれほどまでに現実検証能力のない人間は、そうはいない。 まるで自分のことがわかっていない。 K国に金xxを見ていると、そう思う。 どこかの政治評論家たちは、「金xxの国際政治感覚は一級だ」とか何とかもちあげて いるが、基本的には、ノーブレイン。 その一例が、今回発表された、一枚の写真。 金xxが右側に座り、むっつり、上機嫌(?)。 クリントン元大統領が左側に座り、同じくむっつり、無表情(?)。 うしろには、立ったままの、5、6人のアメリカ人。 (韓国紙の報道によれば、金xxは、始終、上機嫌であったという。) アメリカ側、つまりクリントン元大統領は、ノーコメントを繰り返しているが、 こうした状況を、アメリカ国民はもちろん、クリントン元大統領自身も、不愉快に 思っていることは明らか。 その(不愉快さ)も理解できないほど、金xxは、ノーブレイン。 金xxは、アメリカに謝罪させ、(アメリカ側は、謝罪したことを否定)、勝ったつもり でいるかもしれない。 国内でも、「元大統領が謝罪に来た」と、大々的に報道ししている。 しかし今回の一連の事件は、基本的な部分で、おかしい。 狂っている。 ●ノーブレイン ありもしない外国の脅威を理由に、自国民を締め上げる。 核兵器やミサイルを開発する。 自国民が飢えて苦しもうが、国を捨てる人が続出しようが、知らぬ顔。 その上で、取材のため、インタビューを試みた記者を、逮捕、抑留。 報道によれば、一度、川を渡ってK国側に入ったのは事実だが、拉致されたのは、 中国領土側のほうであったという。 で、お飾りの裁判。 判決は12年の懲役刑。 その上で、「2人の記者を返してほしかったら……」と。 アメリカ側はプライドを捨てて、2人の記者の救出を図ったわけだが、アメリカ人が 怒るのは、これから。 日本の一部の報道機関は、「米朝関係が、これをきっかけに好転する」と書いている。 しかしそんなことは、常識で考えても、ありえない。 もしそうなら、アメリカも、ノーブレイン。 ●わかりやすく言えば…… わかりやすく言えば、誘拐犯に子どもを誘拐された親が、誘拐犯に頭をさげて、 子どもを返しにもらいに行ったようなもの。 ところが誘拐犯のほうは、事情がどうなっているかもわからず、「相手が頭をさげて、 頼みにきた」と、喜んでいる(?)。 だいたい、記念撮影すること自体、バカげている。 どうして、記念撮影? こんなバカげた構図が、ほかのどの世界にある? つまりその(バカさかげん)がわからないほどまで、金xxは、現実検証能力を 失っている。 日本の拉致事件についても、そうだ。 誘拐した側のほうが、一国の首相を呼びつけて、いばっている。 謝罪するのは当たり前のことなのに、「謝罪してやった」と、いばっている。 こんなバカげた国を相手に、これから先、日本はどうやって外交交渉を進めていく つもりなのか。 考えれば考えるほど、気が重くなる。 ホント! お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年08月08日 10時51分22秒
|