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●ポジティブに生きる
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●ロシア
ときどきあちこちで、ネット・サーフィンする。 検索をかけながら、情報を収集する。 で、そのときのこと。 私の動画を紹介しているサイトがあることを知った。 ・・・といっても、ずいぶん前のことである。 その中のひとつが、ロシア語のBLOG。
で、さらにあちこちを調べてみると、ひとつやふたつではないことを知った。 かなりの数。 しかも雰囲気からして、たいへんまじめに私の動画を取り上げてくれているのが、わかった。 うれしかった。 以来、私はロシアやロシア人に、好意をもつようになった。 心が広い。 おおらか。
●99%
この世界で、人口を80億人としても、日本人はそのうちの1~2%。 残りの98~99%は、日本語がわからない。 だからどうしても、英語で、となる。 このことは外国のYouTubeを見ているとわかる。 見知らぬ文字の、見知らぬ言葉だったりすると、それだけで見る気が失せる。 ときにイライラすることがある。 が、一文だけでも、英語で説明してあると、安心する。 動画の概略がわかる。 それを手掛かりに、内容を理解する。
だからこれからは、日本人も、どんどんと英語を使ったらよい。 遠慮することはない。 また使ったからといって、日本語を軽視するというわけでもない。 英語は英語。 日本語は日本語。
そのおかげか、このところ英語のコメントが多くなった。 ざっとみて、40~50%は、英語。 で、英語と日本語。
英語で書いてくる人(=外国人)は、情報が多い。 日本語で書いてくる人(=日本人)は、感想が多い。 私的には、情報のほうがありがたい。 が、私を精神面で支援してくれるのは、感想。 作業がふとしたことで止まると、私はすかさずコメントと読むようにしている。 返事を書くようにしている。 そのやり取りが、心の支えになる。 楽しい。
●外国の情報
外国の情報は、当然のことながら、私の知らないことばかり。 とくに北欧。 日本にも神話がある。 が、北欧の神話は、群を抜いている。 神話のかたまり。 神様だらけ。 「へえ、そんな神様がいたの?」と。
また南米の人は、心が広い。 親切で、やさしい。 何かを頼むと、ていねいにそれに応じてくれる。 コメントを読んでいるだけで、その国の人の人柄がよくわかる。
・・・こんなことだけでも、私には夢のようなこと。 今日、動画を発表すると、明日には世界中から反応が届く。 まさに夢。 ときどき私はワイフにこう話す。
「いいか、5分前の動画をアップロードすると、今、それをパソコンで見ることができるよ。でもね、その動画は、実際には、アメリカのフロリダから送られてくるものだよ」と。
考えてみれば、これはすごいこと。 本当にすごいこと。
●視聴者の「質」
私の動画を見てくれる人たちは、質が高い。 動画にも、いろいろある。 視聴者にも、いろいろな人がいる。 その中でも、私の動画を見てくれる人は、質が高い。 おそらく最高度の人たちが、見てくれているのではないか。 ほかの動画に書き込まれているコメントを読み比べてみると、それがわかる。 それに、私の動画のばあい、視聴時間(滞在時間という)が、長い。 YouTubeの世界では、平均、3~4分前後だという。 が、私の動画のばあい、30~40分が、ざら。 が、このことは重要な意味をもつ。
たとえば視聴時間x視聴者数で計算してみる。 100人の人が、3分間見れば、滞在時間は300分。 が、10人の人が、30分間見ても、滞在時間は同じ300分。
視聴回数(アクセス数)が、少ないからといって、気にすることはない。 (気にはしているが・・・。) それ以上に大切なことは、中身。 つまり視聴者の方の「質」。
その点、私は胸を張ってこう言うことができる。 「私の動画を見てくれる人の質は高いですよ」と。 実際、外の人には、いつもそう言っている。 つまり私の動画は、その分だけ、世間に与えるインパクトは大きい(・・・と思う)。 グラフの上でも、視聴者の方の平均年齢は、30~50歳に集中している。 が、それが私には、うれしい。
実際、2週間ほど前、一作が3~5分程度の動画を編集した。 ガイド(案内)用の短編もの。 そのときのこと。 アクセス数が、いつもの倍以上になった。 短ければ短いほど、視聴回数は多くなる。 当然のことである。
で、そのときのこと。 「これからは短い作品を多く発表しよう」と。 が、気がついてみると、それ以前の動画に逆戻り。 私には私のスタイルがある。 簡単には、変えられない。 つまり私は私。 それでよい。 それでいく。
・・・ということで、今日は、ポジティブなエッセーを書いてみた。 『ないものをねだっては、いけない。あるものを大切にしよう』と。 そこにあるものに感謝し、それを大切にする。 ポジティブに生きるということは、それをいう。
で、今、私の心は軽い。 いろいろなエッセーを書いてきたが、このエッセーは、楽しかった。 ネガティブに考えても、どうにもならないことは、どうにもならない。 だったら、ポジティブに生きるしかない。
・・・ということで、今日の原稿はここまで。 これからもポジティブな生き方を大切にしたい。
みなさん、いつもありがとう!
(2020年11月29日記)
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●私の使命
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●4回の運動
毎日、30分x4回の運動をしている。 ランニングマシンの上で、走っている。 時速は5~5・5キロ。 たいてい朝、起きるとすぐ1回。 朝食後に、もう1回。 あとは成り行き。
そのとき、そのつど、こう思う。 「はじめの2回は、今日のため。残りの2回は明日のため」と。
朝、足が動くのは、昨日、がんばったから。 そして明日のために、残りの2回。 「残りの2回は、明日のため」と。
というのも、命の保証は、どこにもない。 だれも保証してくれない。 私をおいて、誰が保証してくれるのか。 が、ときどきこう思う。 朝、目をさましたとき。 こう思う。
「今日は、だいじょうぶだろうか」と。 が、そんなとき、こう言って自分を励ます。 「昨日、がんばったから、今日もだいじょうぶ・・・のはず」と。 つまり昨日、「明日のため」と、2回の運動をしたから、「今日も、だいじょうぶ」と。 言い換えると、「昨日、がんばった」ということだけが、今日の健康を保証してくれる。 ほかに、何もない。
何とも心細い毎日だが、それが私の毎日。 つまりこうしてその日が始まる。 が、それ以上にこわいことがある。
●空白
朝、起きたとき、頭にポッカリと穴があいているときがある。 それがこわい。 やる気はあっても、何をしたらよいかわからない。 あるいは、したいことが何もない。
老後というのは、まさに自己管理との闘い。 何もしないですますこともできる。 その気になれば、一日中、だらだらと過ごすこともできる。 が、それでは一日は成り立たない。 だから、何かをする。 その何かをする・・・という部分で、自己管理ということになる。 わかりやすく言えば、自分にムチを打つ。
が、それが結構、つらい。 きびしい。 気を抜いたら、おしまい。 その恐怖感との闘い。
一般的には、それを強迫観念という。 追い詰められたような緊張感。 切羽詰まったような閉塞感。 それを強迫観念という。
それはいつもある。 それもそのはず。 私の寿命も、今や秒読み段階。 あと5年か? が、10年はない?
健康にしても、そうだ。 昨日(2020年11月20日)も、こんな記事を読んだ。 ある男性(65歳)の記事だ。
その男性はこの4月にコロナ19に感染した。 発症した。 重症化した。 で、約1か月の入院。 幸いなことに、その1か月で、一応、退院できた。 が、そのあと別の問題が起きた。 それから半年になる現在の今も、その男性は寝たきりのままだという。 記事によると、1か月も寝ていたので、筋肉が萎(な)えてしまったという。 「ベッドから体を起こすこともできなかったが、今は、起こすことくらいはできる」と。
リハビリをしているということだが、そういう人もいる。 実際、老人のばあい、2、3日、ベッドで寝ただけで、歩けなくなるという。 1週間も寝たら、なおさら。 1か月だったら・・・。 そういう人を、私は何人か知っている。 だから、こわい。
今の私の健康を維持しているのは、1日、4回の運動。 それだけ。 それだけが保証。 命の綱(つな)。
●仕事
仕事といっても、いろいろある。 「仕事」というのは、私のばあい、「神の仕事」。
(1) したい仕事・・・猛烈なわくわく感に包まれ、時間を忘れてする仕事 (2) どうでもよい仕事・・・時間つぶしにする仕事。
したい仕事があるときは、楽しい。 充実感がある。 それはそれ。 が、どうでもよい仕事もある。 言うなれば、現実世界における、現実適応型の仕事。 わかりやすく言えば、広宣の仕事。 自分の発見したことを、広く知らせる仕事。 みなに、わかってもらうための仕事。
ほかに何もすることがないときは、それをする。 何とか自分を奮い立たせて、それをする。 が、このところ、その気力が弱くなってきた。 自分でも、それがよくわかる。
「別にわかってもらえなくてもいい」とか、「わかってくれる人だけがわかればいい」とか。 そんな投げやりな気持ちになる。 さらに、「こちらから頭をさげてまで、見てほしいとは思わない」と思うこともある。 が、視聴者あっての、動画。 それを無視することはできない。 つまりそれが「現実的な仕事」。
・・・そういうときというのは、モヤモヤとした憂うつ感が漂う。 目を覚ましても、しばらくベッドの中で、あれこれ考える。 迷う。 「今日は、どこから攻めようか」と。 が、今の私にとっては、それがつらい。 一日の方向性が決まらないときは、つらい。
そういうときの心の状態を、私は「ポッカリとあいた穴」と呼んでいる。
●暇つぶし
方策がないわけではない。 そういうときは、私は、単純作業をすることにしている。 文献の翻訳、など。 あるいは過去に発表した動画のリ・メイク。 発表した動画の目次づくりも、それに含まれる。 あるいは今がそうだが、こうして何かの原稿を書く。
で、こうして何かの作業をしていると、どこかで心が光るときがある。 それは言うなれば、洞窟の暗闇に中で、宝石を見つけるようなもの。 それを待つ。 じっと、待つ。
が、このところ、それをするのも、どこか億劫(おっくう)になってきた。 私を裏から支える気力が弱くなってきた? もっとはっきり言えば、どうでもよくなってきた?
●神の仕事
こうした無力感は、どこからくるのか。 このところ、ずっとそれを考えている。 もっともそれについて、ワイフは、こう言う。 「あなたはもうやり尽くしたからよ」と。
そうかもしれない。 そうでないかもしれない。 が、なぜ(やり尽くし感)なのか? あるいは限界?
そう、このところその限界を強く感ずる。 たとえば2020年の4月と10月に、私の書斎の中に怪光が現れた。 ビデオにも映っていた。 分析もしたし、検証動画も発表した。 が、反応は今日に至るまで、何もない。 まったく、ない。
その2回とも、物体が、物体を通り抜ける様子がビデオに映り込んでいた。 まさにありえない現象である。 が、反応はゼロ。
素粒子だとか何とかいうのも、ある。 スイスのCERN(欧州原子核機構)では数千億円をかけて、その物質を探している。 で、その片鱗をとらえて、ノーベル賞をもらった人もいる。 とらえたと言っても、その信号をコンピュータ上でとらえただけ。 目で見て、とらえたわけではない。 ビデオカメラで撮影したというわけでもない。
が、それ以上のことが、私の書斎で起きた。 しかも肉眼で確認できる範囲で、それが起きた。 CERNで発見したようなことが、現実に起きた。 ビデオカメラで、それをとらえた。 が、反応はゼロ。 ここまで証拠を見せても、反応はゼロ。
そのことだけではない。 今まで発表してきた動画すべてについても、反応はゼロ。 「8年前とくらべて、何が変わったか?」
●無関心
これについてはいろいろな原因、理由が考えられる。 簡単に言えば、私の力不足。 努力不足。 ワイフに相談すると、ワイフは、いつもこう言う。 「あなたは何を期待しているの?」「何を期待して仕事をしているの?」と。 期待?
そうかもしれない。 そうでないかもしれない。 名誉? 地位? 名声? お金?
たとえばそれでもって、動画の視聴回数がふえれば、少しは励みになる。 が、現実はきびしい。 むしろ下降気味。 少なくともこの数年、まったくの横ばい。 それだけではない。
この世界では、パクリは日常茶飯事。 パクリながら、それを勝手に解釈し、デタラメな説を祭りあげる。 昨日もあった。 ある人から、「先生の説を裏付ける、こんな写真がありました」と。
見ると、もともとは私の動画から抜いた写真。 それに別の写真を並べて、本にした。 原稿はあちこちからのコピペ? パクリ屋のよく使う手法である。 送られてきたのは、その本の1ページだった。
そういうことがつづくと、その失望感が、さらにやる気をそぐ。 心に穴をあける。 が、誤解しないでほしい。 私はそうした個人に対して、失望しているのではない。 もともとそういう人間は、相手にしていない。 いくら「本」を出しても、ただの印刷物。 チラシ。 私は、そういう個人を含む、「人間全体」に失望している。
・・・先週のことだった。 車で通りを走ると、どこのレストランも、客でごったがえしていた。 「何ごとか?」と思った。 が、理由はそのあと、わかった。 『ゴー・ツー・トラベル』とか『ゴー・ツー・イート』とかいうので、国が料金を補助したからだ。 それはそれでしかたのないことだったかもしれないが、そのあとのこと。
この私が住む浜松市では、毎日、数十人のコロナの感染者が出るようになった。 日本全国でも感染者が、爆発的にふえた。 それを知ったときのこと。 私はなんとも言えない、失望感を覚えた。 そのときに覚えた失望感。 それと同じ失望感でもって、私は今、「人間全体」に失望している。 (注:昨日、19日に感染者が、2000人台になった。 21日に、2300人になった。)
『ゴー・ツー・イート』?
どうせ若い官僚が、ゲーム感覚でつけた名前だろう。 コロナ問題は、命の問題。 この世界でも、そういう名前をつけて楽しんでいる国民は、この日本人だけ?
●希望
大病を患ったとき(2018年4月)、私は懸命に希望に、命をつないだ。 私はそのつど、目を閉じ、あのV字型UFOを思い浮かべた。 「今、行くよ」という声を、自分に言って聞かせた。 私は「神」を見たし、「神の声」を聞いた。 それだけが私を支える希望だった。 それにしがみつくことで、仕事ができた。
もしあのとき、あの希望がなかったら、私は仕事どころか、生きることすらやめていたかもしれない。 が、何とか、生き延びた。 仕事も欠かさなかった。
そのときのことを思えば、今の私は、天国? 今のところ死の恐怖もない。 質素だが、生活の心配もない。 かろうじてだが、健康も維持している。
本来なら、こういうとき「感謝」という言葉を使うべきなのかもしれない。 「それに感謝して、今日も生きる」とか。 が、「感謝の念」ほど、わかりにくい概念もない。 実際には、わからない。 あえて言えば、広く命全体に対して、謙虚になるということか?
●発熱
そんなある朝、ワイフが発熱した。 その前日には、軽い咳もあった。 あの朝感じた恐怖感は、ふつうではなかった。
最初に思ったことは、「どこで?」「だれから?」。
熱は37度5分を超えていた。 ワイフの体温を計りながら、つぎに思ったことは、「私はいつ発症するか」だった。 が、幸い、2~3日、36度0分~36度9分を繰り返しながら、症状は収まった。 私のほうは、35度0分~36度0分。 今では風邪もひけない。 インフルエンザはなおさら。 区別がつかない。
全国の津々浦々で、いかに多くの人たちがヒヤヒヤしていることか。 そういう中で、『ゴー・ツー・トラベル』、『ゴー・ツー・イート』? 翻訳すれば、「さあ、旅行に行きましょう」「さあ、レストランへ行きましょう」?
役人の悪ふざけには、本当に腹が立つ。
●短編もの
ということで、今日(11月21日)は、短編ものを発行することにした。 長さが、5~10分前後の動画を、私は短編ものと呼んでいる。 言うなれば、サービス。 広宣用のサービス。 「視聴者の反応がない」ということは、私の努力不足。 力不足。
で、こういうときは、こう思う。 「やるしかない」と。
11月17日にも、またまた豪雨の音が動画に混ざり込んでいた。 第一に疑うべきは、マイクジャックの不調。 しかしその音を聞いたあと、2016年12月ごろに制作した動画のことを思い出した。 2016年の9月、10月に、私は大豪雨事件を経験した。 それはものすごい雨の音だった。 が、実際には、雨は一滴も降っていなかった。
で、それを当時の私は気にかけていたのだろう。 私は自分の動画の冒頭を、雨の音でかざった。 あちこちから探して、私が聞いたのとよく似ている雨の音を探した。 それを自分の動画の冒頭に挿入した。
当時(2016年9~12月)は、まだその事件の話は、だれにもしていなかった。 ワイフからも、固く口留めされていた。 が、私は心のどこかでこう思ったのを記憶している。 「雨の音を聞かせてくれた上の人への返礼」と。 つまり上の人は、大豪雨の音を聞かせてくれた。 それに対して、私は「音を聞きましたよ」と。
が、これに対して、視聴者のほとんどは、それを「拍手」と誤解したらしい。 「どうして拍手の音ですか?」と。 私は「雨の音です」とは言えなかった。 いわんや大豪雨事件について話すことはできなかった。
が、2020年11月17日にも、雨の音が混ざり込んでいいた。 2019年11月30日の、あの『雷鳴音』事件につづいて、2回目ということになる。 (実際には、その少し前にも短時間だったが、それがあった。) で、私は2016年12月ごろに発表した動画を探してみた。 そしてその動画を見た。 聞いた。
音が酷似していた!
私が2016年の12月前後に何本かの動画の中に挿入した雨の音と、今回2020年11月17日に動画の中に混入してきた音が、酷似していた。 偶然ではありえない。 マイクジャックの不調では、説明できない。 つまり今度は、上の人が、それを返してきた。 そう、「返礼」? 「あなたの動画を見ましたよ」と。
実はその1~2週間前にも、同じような事件が起きた。 日付はわからないが、2020年の11月のはじめである。 短いが、雨の音が動画に入り込んだ。 そのときも大粒の涙をこぼした。 そして今回も、大粒の涙をこぼした。 両者の雨の音が酷似しているのを知ったとき、大粒の涙をこぼした。
私にとっては、それが希望。 しがみつく希望。 小さな希望かもしれないが、希望。 だから「やるしかない」と。
●希望
世間的にみれば、とるに足りない事件。 それが2020年4月14日と、2020年10月24日の怪光事件。 が、私にとっては、大きな事件。 私の書斎の中を、怪光が飛び回った。 だから今の今も、ふと自信を見失ったようなときには、そのときの動画を見る。 見て、自分を励ます。 「これが現実だよ」と。
・・・そしてあの朝、2018年4月26日の朝、私は上の人の声を聞いた? 声という声ではなかったが、言葉を聞いた。 (思い)を聞いた。
「もう苦しまなくてもいいのよ」と。 「いつもあなたそばにいますよ」と。
私はその朝、絶望感の中で、死ぬことだけを考えていた。 「どうすればこの窓ガラスを割ることができるか」と。 病室は病棟の7階だった。 それを「希望」というのなら、それが希望。 その希望があったからこそ、今の私はここにいる。 生きている。
それをより多くの人に知ってもらう。 それが私の使命。
+++++++++++++2020年11月22日記+++++++++
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無力感
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●低調
このところ毎朝、ベッドから起き上がるたびにこうつぶやく。 「今日も、がんばるかア」と。
いったい、この空回り感はどこから来るのか。 またそうでも言わないと、足が書斎へと向かわない。 仕事は楽しいはずなのに、どこかにただよう、けだるさ。 疲れ。 いったい、この空回り感はどこから来るのか。
●物理的?
2020年4月、そして2020年10月に、私の書斎の中をUFOが飛び回るという事件が起きた。 その様子は、私のビデオ日誌の中に、映り込んでいた。 が、そうした動画を見て、多くの方からコメントをいただいた。 高評価、低評価でみるかぎり、その割合は、10:1といったところか。 (私の動画全体についていうと、94%前後という数字が出ている。)
しかしその「1」がおかしい? あれほどまでの事実を見ながら、それでも「1」? 「いったい、どこをどう見ているのか」と、叫びたくなる・・・ということはないが、「へえ~?」と、瞬間だが考えこんでしまう。
●物体をすり抜けるUFO
4月事件のときも、物体をすり抜けるUFOが飛んでいた。 10月事件のときも、物体をすり抜けるUFOが飛んでいた。 その動画を見せ、さらに検証してみた。 UFOによっては、100分の1のスローにし、拡大した。 「これ以上は検証のしようがない」というところまで、検証を重ねた。 と言っても、簡単な作業ではない。 どれも動きが速い。 その瞬間をとらえるのが、むずかしい。
2019年4月の怪光事件のときも、そうだった。 名古屋のMミユキさんが、たまたまスマホで、そのときの様子を捉えていた。 が、それからの作業がたいへんだった。 当初私は、簡単な検証だから、1~2時間ですむだろうと考えていた。 が、実際には、4~5時間もかかってしまった。 1コマ抜き出すのに、10前後もかかる。 瞬間の光というのは、そういうもの。 が、それに対して、つまり動画を発表すると同時に、こんなコメントが届いた。 「その光は、目の前にあるペットボトルに当たった太陽光線が反射したものだ」と。
私という人間は、それほど(おバカ)ではない。 が、(おバカ)な人からは、同類の(おバカ)に見えるらしい。 それが「1」という数字? ともかくも、話を「物体をすり抜けるUFO」に戻す。
・・・そこでビデオ編集ソフトの限界まで、一度スローにする。 それを一度動画にして、その動画をさらにその限界まで、スローにする。 10分の1かける10分の1で、結果的に100分の1のスローにする。 その段階で、光を抜き出す。 ・・・その作業の繰り返し・・・。
その結果、私の部屋に現れたUFOは、電子手帳や机をすり抜けているのを知った。 が、それについて何人かの人たちから、「物理的にありえない」というコメントが届いた。 実は、今日も、それがあった(2020年11月13日)。 どこかの研究畑の人だと思う。 「物理的には考えられません」と。 ほかにも慇懃無礼(いんぎんぶれい)な言葉が並んでいたが、要するにインチキである、と。
が、こういうコメントをもらうと、自分のしている仕事が、つくづく情けなくなる。 アクセス数が多くないことは、しかたない。 私の動画は、言うなれば、硬派。 おもしろくない。 つまらない。
一方、私から見て、「こんな動画が?」と思うような動画が、1~2週間で数万件もアクセスがある。 が、私の動画は多くて数百件。 1000件を超えることは、まずない。 で、今夜もそういうコメントを読んで、私はこう思った。
「いったい、この日本は、どうなってしまったのか!」と。 (ちょっと飛躍したかな?)
そう、何か、おかしい。 変。 わかりやすく言えば、日本人全体の思考能力そのものが劣化してしまっている? 私はそう感じた。
●物理的?
否定する人がよく使う言葉が、「物理的」という言葉。 とくに理科系の人たちは、決まり文句になっている。 ある種の信仰のようにもなっている。 「物理的には考えられません」とか、「物理の世界ではありえません」と。
しかし現実に、そのありえないことが起きている!
現実に、直径が2ミリ足らずの物体が、別の物体をすり抜けている。 動画に撮影されている。 現実。 そこにある事実。 その事実すら、見ようとしない。 見ようとしないばかりか、それを頭から否定してくる。 ついでに私の脳みそを疑ってくる。
・・・どうしてそういう人たちを相手に、私は「仕事」をしなければならないのか。 ・・・仕事をしているのか。 これから先、自分の仕事をどう進めていったらよいのか。 もっとはっきり言えば、どこまでレベルを落とせばよいのか。
●無気力感
ひょっとしたら、(上の人)も、同じような無気力感を覚えているのかもしれない。 懸命に愛(慈悲、仁)の尊さを教える神。 一方、人間にはそれが理解できない。 理解しようともしない。 しないばかりか、それを拒絶する人も出てくる。 実際、「私は神より知的だ」と錯覚している人もいる?
ときどきワイフとこんな会話をする。
私「神も、やりきれないだろうね」 ワ「人間が相手では、そうね」 私「ぼくが神なら、サジを投げるよ」 ワ「いつも一方的に求めるだけで、自分では何もしない」 私「そんな感じだね。少しでもまちがえると、とことん追及してくる。神のクセに・・・とか言ってね」 ワ「あなたの動画づくりと同じね。ささいなミスをとらえては、すかさず否定してくる」 私「でもね、本当の問題は、思考力の劣化だと、ぼくは思う」 ワ「たしかに劣化しているわね」
少しきびしい話になるが、こういうこと。 つまりこの日本では、日本人そのものの思考力が劣化している。 お笑いタレントが、府知事になったり知事になったりする。 日本や東京都を代表する文化人(?)になったりする。 さらには出身地には、銅像まで立ったりする。
わかりやすく言えば、深く、静かにものを考えるという習慣が、日本人から消えてしまった? ギャーギャーと直感的に騒ぐだけ。 言葉の使い方も、おかしい? 短絡的で感情的。 「チョー、スゲエ」とか。 さらに敬語も消えた。 タメ口を例にあげるまでもない。
●タメ口
ついでながら「タメ口」について。 ウィキペディアにはつぎのようにある。
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タメ口 読み方:ためぐち
敬語や「です」「ます」などの丁寧体を含まないような話し方の総称。 特に、目上の相手や年上の相手に対して、同年齢の友人と接する時と同じような話し方をすることを指す場合が多い。 「タメ口でしゃべる」「タメ口でいいよ」などと使われる。
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フリー百科事典にも、こうある。
タメ口(タメぐち)とは、相手を対等として扱った話し方である。 親しい人同士での話し方。 これを指す名称は学者間でも定まっておらず、ため口の用語がその隙を埋めてきた。 特に年長者に対して対等の話し方をすることだと、ある辞書には掲載されているが、実際のある調査では仲間同士の言葉だという認識が過半数を占めている。 対して例えば日本語の敬語は、相手と距離を保つための言葉でもあるため、敬語以外によって親しさを表現する必要がある。 「ため」は1960年代に不良少年が使いはじめ広まっていった。
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ここでフリー百科事典では、「不良少年が使い始めた」と言っているが、それはまちがっている。 正しくは(お笑いタレント)が使い始めた。 それが一気に日本文化に浸透していった。
●論理的思考
思考は言葉によって、成り立つ。 その言葉が崩れてしまった今、どうやって日本人は思考することができるのか。 思考がなければ、論理は生まれない。 論理がなければ、理念も哲学も生まれない。
とくに日本語は、一度崩れると、とことん崩れる。 「チョー、スゲエ」が、その一例。
一方、たとえば英語は、文法で成り立っている。 どんな短文でも、主語を入れる。 主語を入れるから、文章になる。 文章になるから、言葉が崩れない。 単語にしても、英語国では、その人の語彙力(=使う単語の豊富さ)で、その人の知的能力が判断される。 人格も判断される。
・・・話が脱線しそうなので、ここで話を止めておく。
つまりコメントそのものが、そのタメ口になってきた? つまりその分だけ、思考力が軽薄になってきた?
●神の視点
もしあなたが神だったら、どう考えるか。 人間を指導したいと思ったら、どうするか。 が、私なら、人間世界におりてきて、直接的には人間を指導しない。 指導できない。 指導したくても、その方法がない。 神の目から見れば、あくまでも神の目から見ればの話だが、人間は猿ヶ島のサルのようなもの。 そんなサルを相手に、何をどう指導できるのか。
たとえば小さな物体が、別の物体をすり抜けるような奇跡を見せたところで、人間はそれを信じない。 動画で見せても、信じない。 信ずる人もいるにはいるが、それは少数。 支持してくれる人は、さらに少数。 私の動画へのアクセス数が少ないのが、その一例。 その少ないアクセス数の中でも、さらに10:1の割合で、それを容赦なく否定する人がいる!
つまり結果的にみて、反応はほとんどない。 で、私はこう思う。 「いったい、この世の中、どうなってしまったのか!」と。 ついでに「いったい、日本人は、どうなってしまったのか!」と。
そのため私は今、動画にしても英語版に力を入れている。 が、それについても、今でも「止めろコール」がつづく。 数日前もあった。 「英語版と日本語版を、別々に作れ。英語と日本語が混在すると、わずらわしい」と。
動画づくりの苦労や難しさを知らない人は、平気でそう言う。
・・・けっしてグチではない。 つまり私が神なら、私はこう思う。 「人間は手に負えないな」と。
●やるしかない
が、私はやるしかない。 がんばるしかない。 だから毎朝ベッドから起き上がるたびにこうつぶやく。 「今日も、がんばるかア」と。
だれかに対して、そう言っているのではない。 自分に対して、そう言っている。 またそうでも言わないと、仕事ができない。
●結論
で、今日、ワイフとこんな結論を出した。
「上の人に任せよう」と。 人間の私がジタバタしたところで、どうしようもない。 どうにもならない。 私は私で、マイペースで進むしかない。 あとのことは、上の人に任せよう、と。
また私が「低調」と思うこと自体、まちがっている。 人間が相手だから、そこに低調意識が生まれる。 人間を意識するから、そこに低調意識が生まれる。 イエスにしても、そうだ。 当時のイエスは、いつも少数の人だけを相手にしていた。 映画などを見ていると、ときに何百人もの人たちを集めて、垂訓をしているようなシーンが出てくるが、そういうことはありえない。
わかる人がわかれば、それでよい。 数ではない。 中身、ということになる。 わからない人は、わからなくてもよい。 何も神の方から、人間に頭をさげなければならないということはない。 また、する必要もない。
この私だってそうだ。 広く誤解されているようだが、私にしても、私のほうから何も頭をさげてまで、みなに私の動画を見てほしいとは思っていない。 またそんなことをしたことはない。 頭をさげたことはない。
わかる・わからないは、私の問題ではない。 またわかってもらえたからといって、私には、利益など、何もない。 私がしていることは、宗教ではない。 信者獲得を目的とした、宗教ではない。 だから当初から、こう思っている。 「どうぞ、ご勝手に」と。
・・・と書きながら、どこか負け惜しみ的な気持ちを残しながら、このエッセーを終える。
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【マガジンを購読してくださっているみなさんへ】
現在、購読者の方たちは、2017年以来、60名前後です。 購読者数は、この3年以上、ほとんど同じです。 そんなわけで、みなさんには、心から感謝しています。 ありがとうございます。 みなさんのような方がいらっしゃるからこそ、私は今日までがんばることができました。 このエッセーの中でグチぽいことを書きましたが、こうしたグチは、みなさんに対してではありません。
どうか、どうか誤解のないようにお願いします。 私はみなさんために、がんばります。 ここで弱気になったら、それこそみなさんからいただいた励ましを、地に捨てることになります。
ありがとうございます。
++++++++++++++++++++++++++2020年11月15日記
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●生きるということ
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●心細さ
「生きるということは、心細いことだね」と私が言うと、ワイフはこう言った。 「みんな、そうなのよ」「あなただけではないわよ」と。 「コロナ19のこともあるし、心細いよ」と私。
私「この先どうなるんだろうと考えても、その先に何も見えてこない」 ワ「そうね」と。
このところ何かにつけて、気が滅入る。 そしてこう考える。 「この先、人間は、いったいどうなるんだろう」と。
が、またワイフがこう言った。 「あなたはまだ仕事があるだけ、幸運なのよ」と。 ・・・そうかもしれない。 そうでないかもしれない。
ワ「もし仕事がなければ、あなたのことだから、もっと気が滅入るかもしれないわ」 私「そうだね」 ワ「まだ仕事があるだけ、幸運なのよ」と。
●仕事
今の私にとって、「仕事」というのは、「健康」のようなもの。 ふだんはそこに健康があっても、それが「ある」とは思わない。 あえて言えば、「空気」のようなもの。 あって当たり前。 朝、起きて、仕事がないときは、つらい。 「今日は何をしようか」と考えることは、つらい。
健康も、同じ。 あって当たり前。 健康も、それを失って、そのありがたさがわかる。 が、それだけではない。 健康とは、「死の恐怖」がないということ。
●定期健診
昨日、3か月ごとの定期健診に行ってきた。 あの手術直後は、当初は2か月ごと。 今は3か月ごと。 結果は、いろいろだった。 そのつど「要経過観察」→「縮小」→「転移、再発は見られず」など。 前回、2020年の8月の造影CTスキャンでは、「何もありません」と。
さらに昨日の検査では、「黄だん」数値も、正常値にもどっていた。 手術以後、それが気になっていた。 当初はドクターも「体質なのか、どうか判断できません」と言っていた。 「ほかの数値との関連が不明なので、様子をみましょう」と。 が、今回、はじめて正常値だった。 さらに造影CTのほか、ほぼ3か月ごとに、大腸カメラ、胃カメラによる検査。 もちろん毎回、マーカー検査。 どれも今は正常値で、今回はむしろその数値がさらにさがっていた。
●生存率、60%
この病気になってはじめて知ったこと。 生存率。
この世界では、「5年後の生存率」という言葉を使う。 「生存率60%」と。
が、誤解してはいけない。 生存率イコール、「完治」ということではない。 生存率という「率」の中には、闘病生活をしている人も含まれる。 かろうじて生きている人も、含まれる。 そういう人たちも含めて、60%。 事実、この病気には「完治」はない。 5年過ぎても、再発する人もいる。 いつだったか、私はドクターにこう聞いたことがある。 「もし、残りの40%に入ったら、どうなりますか?」と。 すると、そのドクターはこう言った。 「あなたは、5年後には、ここにいないということです」と。
いろいろ言われているが、この病気はそういう病気。
●手術
私のばあいは、ステージ3だった。 転移がなければ、ステージ2。 「ステージ4なら手術はしません」と。
で、手術ということになったが、9時間の大手術。 一か所の転移部は切除できたが、もう一か所は大動脈に付着していた。 大きさはわからないが、ドクターは一度、「1・5センチくらいかな」と、どこかで言った記憶がある。 画面からは、私にはその大きさがわからなかった。 が、一度ドクターが、「この三角形です」と言ったことから、私はそれに「三角形」というニックネームをつけた。
そのつど画面を見ながらドクターはそれを説明してくれたが、私にはよくわからなかった。
ド「この三角形は、取り除くことはできませんでした」 私「手術はできないのですか」 ド「・・・できなくはないのですが・・・」と。
私はその表情から、「やりません」というドクターの意思を感じた。
●年齢制限
この世界にも、年齢制限があるという。 若い時から現在に至るまで、10回近く「腹を切った」という義兄はこう言った。 現在は85歳。 「浩君、75歳を過ぎると、手術はしてもらえないよ」と。
体力的な問題もあるのだろう。 何かの持病があると、さらにそうだ。 簡単な手術ならともかくも、大動脈をどうのこうのという手術ともなると、さらにそうらしい。 その私は現在、満73歳。 わかりやすく言えば、そこに「寿命」という言葉が見え隠れしてくる。 さらに言えば、「老人だから、大手術をしてまで治療する必要はない」と? ドクターは実際にはそうは言わないが、そういう雰囲気は随所で感ずる。 で、結果的に、「様子をみましょう」と。 そういうことになった。
が、造影CT、単純CTを繰り返すたびに、その三角形は縮小した。 そしてこの2020年の8月には「消えた」。 診断表の末尾に、「何もありません」とあった。
が、私がしたことと言えば、毎朝欠かさず、ビタミンC(アスコルビン酸)を、3000~5000ミリグラム(3~5グラム)、飲んだことだけ。 調子のよい時は、10グラム程度を分けてのんだ。 (アスコルビン酸は、多量に摂取すると肝臓を傷(いた)めるというから、服用には注意。) ほかに友人がくれた、キノコの粉末。 これはお茶代わりにのんだ。
●死の恐怖
病床で知り合った男性はこう言った。 当時、68歳で、私より2歳、年下だった。 「私はね、死ぬのがこわいのではないですよ。どう死ぬか、それがこわいのです。いえね、私の母もこの病気で死にました。病気というより、薬の副作用との闘いでした。私はね、母が苦しむ様子を見ていましたからね。だから私は、それがこわいのです」と。
この病気は、それがこわい。 死ぬことではない。 死ぬまでの闘病がこわい。 つまりその先にあるのは、想像を絶する闘病生活。 が、それだけではない。
私のばあいも、2~3か月ごとにやってくる、検査がこわかった。 病気との闘いというより、心の壁にはりついた不安感との闘いだった。 それがべったりと、心の壁に張り付いて取れなかった。 そしてそれが一日とて、心からはがれることはなかった。 来る日も来る日も、はがれることはなかった。 それがつらかった。
●仕事
私は朝、目をさますと同時に、ランニングマシンの上に乗った。 走った。 それが終わると、そのまま書斎へ。 そして「仕事」。
私にとって、それしか闘う方法がなかった。 また仕事をしているときだけ、死の恐怖が和らいだ。 病気と闘うといっても、この病気だけは、その闘いようがない。 目に見えない、不気味な病気。 そこに感ずることもできない、不気味な病気。 それでいて、その先にあるのは、死。 そして寿命。
・・・それまでの私は無頓着だった。 とくに健康に自信があったわけではない。 が、いつも「私は70歳まで病院のベッドで寝たことがない」と豪語していた。 が、その直後の満70歳のとき、その病気になった。 それまで健康診断も、ほとんど受けなかった。 めんどうだった。 おまけに医者嫌い、検査嫌い。 「検査結果を待ちながらハラハラするくらいなら、検査など受けない方がいい」と。 そんなふうに考えていた。
今回も、直前に受けた、エコー診断ではシロだった。 が、偶然、その2~3週間後に、本当に偶然のことから、それが見つかった。 話せば長くなる・・・というより、文章に書き起こすというのもどうかと思うので、ここでは省略する。 が、偶然だった。 しかも大きさは、あとでわかったことだが、2・5センチ。 開腹後に、ステージ3。 (転移があると、ステージ3になる。)
が、即、手術というわけにはいかない。 ふつうは、2~3か月待ちという状況だった。 が、これにはいくつか幸運が重なった。 重なって、手術は10日後ということになった。 とんとん拍子で(?)、それが決まった。
ともあれ手術となった。 が、私がその日に向けてしたことは、動画づくりだった。 「ふつうは2週間、長くて1か月の入院です」と告げられた。 で、私は30日分の、60本の動画を制作した。 1日、2本ずつ発表するとして、30x2=60本。
●回復
結果的に、私は入院から10日目に退院した。 手術から8日目。 異例の早さだった。
が、そのあとが悪かった。 退院して1週間ほどたったときのこと。 ちょうど畑の野菜のシーズンで、私は毎食、野菜をボールいっぱい食べていた。 そのため、それが原因で腸閉塞を起こしてしまった。 夜中に激痛が起き、四転八転。 翌朝、軽い便が出ると痛みは収まったが、病院へ直行。 そしてそのまま再入院。 結果的に、そのあと1週間も病院にいた。
●化学療法
化学療法、つまり薬物療法。 が、この病気の場合、薬物療法を軽く考えてはいけない。 いくら保険がきくといっても、3か月分で、自払いで20万円近くかかる。 それに副作用。
私のばあいその副作用がきつくて、一週間でギブアップ。 あとで聞くと、私が経験した副作用程度は、副作用ではないという。 ふつうさらに強い副作用というのがあるらしい。
異常な倦怠感。 無気力感。 全身の発疹。 手の指先が、抹茶色になる、など。
いちばんつらかったのは、仕事ができなくなったこと。 やる気が消えたこと。 書斎に入っても、ただボーッとしているだけ。 で、そのときこう思った。 「仕事ができなければ、死んだほうがよい」と。 で、化学療法をやめた。 ドクターにFAXで連絡すると、「投薬をやめてもいい」と。
そのときから私は死を前提に仕事をするようになった。
●命をかける
よく「命をかける」という言葉を使う人がいる。 いろいろな意味で使われているが、「もう死んでもいい」と言って仕事をするのも、「命をかける」ということになるのではないか。 敵の銃弾の中に身を置くことだけが、命をかけるという意味ではない。 私は自分の仕事にその命をかけた。
化学療法を打ち切るということには、そういう意味も含まれる。 ・・・「あと1年かな」「2年かな」と。
●定期健診
で、現在は3か月ごとの定期健診。 2021年4月からは、半年ごと? そして今では、ドクターと笑いながらこんな話をしている。
ド「よい年をお迎えください」 私「えっ?」 ド「次回は来年です」 私「あっ、そうですね」と。
診察室を出るとき、その背後に3人の看護師が立っていた。 私を見て、にこにこ笑っていた。 半年前だったか、そのドクターは私のワイフにこう言ったという。 「みんな、あなたの動画を見ていますよ」と。
私は耳が悪いこともあって、その言葉を聞き逃したが、どうもそういうことらしい。 一人の看護師が、隣の看護師に「あの人よ」と言った、その様子がわかった。 たぶん、看護師の人たちも、私の動画を見ているらしい。 それがわかったから、私は振り返って、こう言った。 手も振った。
「みなさんも、よいお年を!」と。
●心細さ
そんな私が、今、心細くなっている。 それについてワイフは、こう言う。 「あなたは、まだ仕事があるから、幸福よ」と。
そう、今の私は、そうだ。 それはよくわかっている。 が、心細いのは、心細い。 生活のことを考えたら、なおさら。 健康にしても、今はかろうじて健康。 明日のことはわからない。 どうなるか、わからない。 私だけではない。 家族のこともある。
で、私はときどき、こう思う。 「まるで薄い、ガラス板の上を歩いているようなものだ」と。 私は、そのガラス板の上を、恐る恐る歩いている。 いくら今はよくても、明日のことはわからない。 何と言っても、この病気には完治はない。 術後5年たって再発する人も、少ないが、いることはいる。 (ドクターは、再発のピークは、術後1年後と言っていた。)
●神
2018年の7月。 赤い怪光事件が起きた。 勉強会を始めて1時間30分くらいたったときのことだった。 私の体の周辺で、赤い怪光が飛び回った。 まぶしばかりの光だったという。
最初に、私の左わき腹のところに現れたという。 それが上下に移動し、やがて消えていった。
つづいて2018年の8月。 今度は熱海会(静岡県熱海市での勉強会)の場で、白い光球体事件が起きた。 そのときは2人の人が、それを目撃した。
さらに2019年の4月14日。 岐阜会では、黄金色のフラッシュ光が飛び回るという事件があった。 これもまたまぶしいばかりの光だったという。 ほかに三角形の黒いUFOが30分近くも部屋の前方で停止しているのを見た人もいた。 透明人間のようなモヤモヤを見た人もいた。 また2人の人が、カメラのフラッシュのような光を目撃した。 で、そのうちの1人(岐阜市の鈴木Sさん)は、やはり私の左わき腹のところで、それを目撃した。
ともに左わき腹。
で、これらの人たちの証言は、証言集として収録し、公開した。 が、事件はあった。 (私自身は見ていないので、断言はできない・・・できなかった。) 名古屋市のM深雪(みゆき)さんが撮っていたスマホに、その一部が映り込んでいた。 それには鋭いギザギザの光が映り込んでいた。 その動画もすでに発表している。
で、その証言集の中で、私は岐阜市の鈴木Sさんの証言については、しつこくその場所を確かめた。 詳しくは証言集を聞いてほしい。 なぜ私がその場所を確かめたか。 もちろんそのときは、私の大病の話はいっさい、だれにも話していない。 が、私にはそれが気になった。 だからしつこく確かめた。
「場所はどこですか?」「体の外ですか、上ですか?」「わき腹にどのあたりですか?」と。
私が手術をした部位は、横行結腸から下降結腸へとカーブするその直前のところだった。 2018年7月の赤い怪光も、まさにその上で最初に現れた。 2019年4月の黄金色のフラッシュ光も、まさにその場所に現れた。 それらの証言集を動画にまとめたとき、私は心底、(上の人)、つまり神に感謝した。
実際の証言集は、みなさん自身の耳で確かめてほしい。 なぜそのとき、鈴木Sさんに、こうまで詳しく場所を確かめたか。 それには私の手術が関係していた。
(2019年4月14日の黄金色の怪光事件・証言集)
https://www.youtube.com/watch?v=i6AuytnheUI&feature=youtu.be
●約束の2年
手術の翌朝、私は自分で『パーティ事件』と呼んでいる事件を経験した。 華やかなパーティだった。 2018年4月26日の朝のことだった。 それについてはすでに書いた。 が、そのあとのこと。 私は、いつだったかについてはよく覚えていないが、こう祈った。 「あと2年間だけ、今の仕事をさせてほしい」と。 真剣に祈った。
で、その私は現在の今も、その仕事をしている。 元気でしている。 2年と6か月たった今も、元気でしている。 ありがたいことだ。 本当にありがたいことだ。 この6か月は、言うなれば「おまけ」。 (上の人)がくれた、おまけ。
それはよくわかっている。 つまりそれだけでも、私はまさに至福の人間である。 またこれ以上の幸運があるだろうか。
2018年の4月12日・・・外科医と面談。が、4月12日。 その2日後の4月14日に手術日が決定。 入院手続きも、その日にすます。
そのとき私は最悪の状態だった。 生涯において、最悪の状態だった。 すべてに見放されたかのような絶望感の最中にあった。 息をするのも、つらかった。
が、怪光事件が起きた。
2018年の7月。 手術から3か月後。 赤い怪光が勉強会の会場を飛び回った。 最初、赤い怪光は、2つ私の左わき腹で始まった。
で、そのあと、2019年の4月14日・・・岐阜会でも黄金色の怪光事件が起きている。 私の左脇腹で、黄金色のフラッシュ光が光った。 さらに2020年の4月14日・・・部屋の中を小型のUFOが飛び回った。 ビデオ日誌を自撮りしている動画の中に、それは映り込んでいた。 これらの日々は、4月14日でつながっている。
これらの事実は、ただの偶然なのだろうか。 それとも神の意思なのだろうか。 が、肝心の、その私は、低調。 神の仕事をしながらも、低調。 アクセス数もふえない。 世間的な評価もない。 もちろん世界は、びくとも動かない。 ・・・動いていない。
もっともこれは私の努力不足、能力不足。 が、こればかりはどうしようもない。 ここまでしてもらいながら、私はそれに何も答えていない。 できていない。 そのはがゆさ。 もどかしさ。 だから毎日動画を発表しながら、私は天に向かってこう祈る。 「今日も、無事、仕事がすみました。ありがとうございます。そして私の力不足をどうかお許しください」と。
だから私のワイフは、今の今も、こう言う。 「あなたは本当に幸運なのよ。どうしてそれがわからないの」と。 私が「心細い・・・」とこぼすたびに、ワイフはそう言う。
●医療ファイル消失事件
2020年3月21日、医療ファイル消失事件が起きた。 2020年4月14日、書斎を光球体が飛び回った。 2020年5月15日?、同じ光球体を廊下を飛び回るのを、ワイフが目撃している。
私は見ていないので、ここでは断言できないが、証言からすると同じ光球体事件が、2018年8月にも起きている。 その証言は、この動画の中に収録してある。
https://www.youtube.com/watch?v=eQMnEiZMG3E&feature=youtu.be
●終わりに
その手術のころは、発表動画数は、1万2000~3000本だった。 が、今は、1万6000本以上? この2年半で、4000本近くふえた。 (実際には何本か、正確にはわからない。 私も気にしていない。 YouTubeでは、どこかでその数字を表示しているらしい。 視聴者から、その旨、ときどき連絡がはいる。)
が、ここで闘いが終わるわけではない。 明日のことはわからない。 来年のことはわからない。 わからないが、私はがんばるしかない。 やるしかない。 どこまでできるかわからないが、やるしかない。 燃やして燃やして、燃やし尽くすしかない。 あとのことはわからない。
そうそうその手術から、ずっとあとになってからのことだが、こんなことがわかった。 讃美歌に、『アメージング・グレイス』というのがある。 ときどき聴いていた曲だが、ある日、ふとこう思った。 「私の気持ちと同じ」と。
動画化してあるので、興味をもっていただけそうだったら、見てほしい。 日付は2018年5月、手術から1か月後ということになる。
●『アメージング・グレイス』
【みなさんへ】
あなた自身、あなたのご家族の中には、病気と闘っている方も多いと思います。 どうか希望を捨てず、がんばってくださいよ。
+++++++++++++2020年11月7日朝記++++++
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●安堵感
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●2020年4月24日
2020年10月24日、2回目の遭遇事件があった。 1回目は、その10か月前の、2020年4月14日。 ともに自撮りしていたビデオ日誌の中に、超小型のUFOが、映り込んでいた。 小さい。 本当に小さい。 大きさは推定で、約数ミリ~5ミリ(10月24日)。 それが私の横を、ヒラヒラと飛んでいた(10月24日)。 同時に、線状のUFO(10月24日)。 線状のUFOは、ある時間帯に、集中的に映り込んでいた。
その検証動画は、ここで見ていただける。
https://www.youtube.com/watch?v=C2E_VwhGXG0&feature=youtu.be
●検証
映り込んだUFOは、慎重に検証した。 一見すると、画像のBug(バグ)のようにも見える。 またそれを否定する人は、それをBugと主張するだろう。 「ただのBugだ」と。
もともと私自身は、疑り深い。 今も、そうだ。 だからこうした事象を否定する人の気持ちがよくわかる。 心の動きが、よくわかる。 どのように考え、どのように否定するかが、よくわかる。
つまりそこに映ったものをUFOと言うためには、それなりの検証が必要である。 つまり納得してもらえるだけの、「内容」が必要である。 手が抜けない。 穴を作れない。 「穴」というのは、弱点。 盲点。 論理的な飛躍。 加えて矛盾。
動画というのは、いつも「百聞は一見に如(し)かず」。 見ればわかる。 逆に言うと、ごまかしがきかない。 (そんな気持ちは、みじんもないが・・・。) つまりその分だけ動画には説得力はあるが、同時に、こわい。
私は、慎重に動画を制作した。 いつもより時間をかけた。 10数分の長さの動画だったが、「できた」と思ったときには、4時間ほど過ぎていた。 ほっとした。
●2回目
自撮りのビデオ日誌にUFOが映り込んでいたのは、10月24日で、2回目。 2回目。 つまりこれも、(上の人)の思考回路。 たいてい同じような事件を、2度、繰り返してくれる。 見せてくれる。
大豪雨事件も2回。 画像転送事件も2回。 コンサート事件も2回。 動画に入り込んだ怪音事件も2回。 生徒の豪雨事件も2回。 赤い怪光事件も2回(ワイフの経験)、などなど。 3回というのは、あまりない。 2回。
1回目で「何だ、何だ」と騒いでいると、必ず2回目が追いかけてくる。 今回の超小型UFO事件も、そうだ。 2回目。 4月14日につづいて、2回目。
●安堵感
が、今回(2020-10-24)の事件は、少し違った。 その直後から、不思議な安堵感に包まれた。 ほっとした。 心から緊張感が抜けた。 わかりやすく言えば、うれしかった。
・・・先にも書いたが、私は子どものころから疑り深い。 人を信じない。 表面的には、愛想がよい。 誰にでもシッポを振る。 しかしその実、人を信じない。 信ずる前に、壁を作る。 防衛する。 自分が傷つくのを恐れる。
そのためいつも、心の中にはかすかだが、緊張感が残る。 いつも、どんな場合も。
が、それが消えた。 ポンと、煙のように消えた。
●2020年4月26日
その前日、私は8時間の手術を受けた。 午前9時に手術室に入って、出てきたのが午後5時。 で、その翌朝。 午前6時に、豪雨事件。 かすかだが、短い時間、豪雨の音が聞こえた。 最初は耳鳴りだと思ったが、いつもの耳鳴りではなかった。 聞こえた瞬間、「あの音だ」とわかる音だった。 2016年9月26日の大豪雨事件。 その音だった。
そしてそのあと、時刻は今もってよくわからないが、午前9時から10時ごろだった。・・・と思う。 あの「パーティ事件」が起きた。 病室の中に、結婚式の披露宴のようなにぎやかな騒音が、飛び込んできた。 天井の通気口から飛び込んできた。 若い男と女性たち。 そういう人たちが、にぎやかに騒いでいた。 ケラケラと笑い、みながはしゃいでいた。 楽しそうだった。 幻聴ではない。 思い過ごしでもない。 もちろん夢でもない。 確かめたわけではないが、少なくとも私の脳みそは健常。 それまでも、そして今までも、脳みその故障を経験したことはない。 しかも私は、その道のプロ。 40年以上も、教師として生徒の脳みそと対峙してきた。
私はそのとき、こう思った。 「病院というところも、裏方では結構、みな、楽しそうにやっているんだな」と。
そのときのこと。 声ではない。 しかしふつうの(思い)でもない。 こんな言葉が、何度か、心をかすめた。
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最終更新日
2024年09月27日 21時01分42秒
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