●血統空想
●血統空想++++++++++++++「私だけは特別でありたい」という思いは、だれにでもある。そのひとつが、「血統」。「私の血統は、特別だ」「だから私は特別な人間」と。あのジークムント・フロイトは、そうした心理を、「血統空想」という言葉を使って説明した。年齢で言えば、満10歳前後から始まると考えられている。しかしそう思うのは、その人の勝手。それはそれでかまわない。しかし、その返す刀で、「私以外は、みな、劣っている」と考えるのは、まちがっている。自己中心性の表れそのものとみる。EQ論(人格完成論)によれば、自己中心性の強い人は、それだけ人格の完成度の遅れている人ということになる。わかりやすい例でいえば、今でも家系にこだわる人は多い。ことあるごとに、「私の先祖は、○○藩の家老だった」とか何とか言う。悪しき封建時代の亡霊とも考えられる。江戸時代には、「家」が身分であり、「家」を離れて、個人として生きていくこと自体、不可能に近かった。日本人がいまだに、「家」にこだわる理由は、ここにある。それはわかるが、それからすでに、約150年。もうそろそろ日本人も、そうした亡霊とは縁を切るべきときに来ているのではないのか。+++++++++++++++ かつて福沢諭吉は、こう言った。「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」(「学問のすすめ」)と。その「天は人の上に……」という名言が、生まれた背景として、国際留学協会(IFSA)は、つぎのような事実を指摘している。そのまま抜粋させてもらう。 『……さらに諭吉を驚かせたことは、家柄の問題であった。諭吉はある時、アメリカ人に「ワシントンの子孫は今どうしているか」と質問した。それに対するアメリカ人の反応は、実に冷淡なもので、なぜそんな質問をするのかという態度であった。誰もワシントンの子孫の行方などに関心を持っていなかったからである。ワシントンといえば、アメリカ初の大統領である。日本で言えば、鎌倉幕府を開いた源頼朝や、徳川幕府を開いた徳川家康に匹敵する存在に思えたのである。その子孫に誰も関心を持っていないアメリカの社会制度に、諭吉は驚きを隠せなかった。高貴な家柄に生まれたということが、そのまま高い地位を保障することにはならないのだ。諭吉は新鮮な感動を覚え、興奮した。この体験が、後に「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らずと言えり」という、『学問のすすめ』の冒頭のかの有名な言葉を生み出すことになる』と。 意識のちがいというのは、恐ろしい。恐ろしいことは、この一文を読んだだけでもわかる。いわんや明治の昔。福沢諭吉がそのとき受けた衝撃は、相当なものであったと考えられる。そこで福沢諭吉らは、明六社に合流し、悪しき亡霊と闘い始める。 明六社……明治時代に、森有礼(もり・ありのり)という人がいた。1847~1889年の人である。教育家でもあり、のちに文部大臣としても、活躍した人でもある。 その森有礼は、西洋的な自由主義者としても知られ、伊藤博文に、「日本産西洋人」と評されたこともあるという(PHP「哲学」)。それはともかくも、その森有礼が結成したのが、「明六社」。その明六社には、当時の若い学者たちが、たくさん集まった。 そうした学者たちの中で、とくに活躍したのが、あの福沢諭吉である。 明六社の若い学者たちは、「封建的な身分制度と、それを理論的に支えた儒教思想を否定し、不合理な権威、因習などから人々を解放しよう」(同書)と、啓蒙運動を始めた。こうした運動が、日本の民主化の基礎となったことは、言うまでもない。 で、もう一度、明六社の、啓蒙運動の中身を見てみよう。明六社は、(1)封建的な身分制度の否定(2)その身分制度を理論的に支えた儒教思想の否定(3)不合理な権威、因習などからの人々の解放、を訴えた。 しかしそれからちょうど100年。私の生まれた年は、1947年。森有礼が生まれた年から、ちょうど、100年目にあたる。(こんなことは、どうでもよいが……。)その100年の間に、この日本は、本当に変わったのかという問題が残る。反対に、江戸時代の封建制度を、美化する人たちまで現われた。中には、「武士道こそ、日本が誇るべき、精神的基盤」と唱える学者までいる。 こうした人たちは、自分たちの祖先が、その武士たちに虐(しいた)げられた農民であったことを忘れ、武士の立場で、武士道を礼さんするから、おかしい。悲しい。そして笑える。 武士たちが、刀を振りまわし、為政者として君臨した時代が、どういう時代であったか。そんなことは、ほんの少しだけ、想像力を働かせば、だれにも、わかるはず。そういったことを、反省することもなく、一方的に、武士道を礼さんするのも、どうかと思う。少なくとも、あの江戸時代という時代は、世界の歴史の中でも、類をみないほどの暗黒かつ恐怖政治の時代であったことを忘れてはならない。 その封建時代の(負の遺産)を、福沢諭吉たちは、清算しようとした。それがその明六社の啓蒙運動の中に、集約されている。 で、現実には、武士道はともかくも、いまだにこの日本に、封建時代の負の遺産を、ひきずっている人は多い。その亡霊は、私の生活の中のあちこちに、残っている。巣をつくって、潜んでいる。たとえば、いまだに家父長制度、家制度、長子相続制度、身分意識にこだわっている人となると、ゴマンといる。 はたから見れば、実におかしな制度であり、意識なのだが、本人たちには、わからない。それが精神的バックボーンになっていることすら、ある。 しかしなぜ、こうした制度なり意識が、いまだに残っているのか? 理由は簡単である。 そのつど、世代から世代へと、制度や意識を受け渡す人たちが、それなりに、努力をしなかったからである。何も考えることなく、過去の世代の遺物を、そのままつぎの世代へと、手渡してしまった。つまりは、こうした意識は、あくまでも個人的なもの。その個人が変わらないかぎり、こうした制度なり意識は、そのままつぎの世代へと、受け渡されてしまう。 いくら一部の人たちが、声だかに、啓蒙運動をしても、それに耳を傾けなければ、その個人にとっては、意味がない。加えて、過去を踏襲するということは、そもそも考える習慣のない人には、居心地のよい世界でもある。そういう安易な生きザマが、こうした亡霊を、生き残らせてしまった。 100年たった今、私たちは、一庶民でありながら、森有礼らの啓蒙運動をこうして、間近で知ることができる。まさに情報革命のおかげである。であるなら、なおさら、ここで、こうした封建時代の負の遺産の清算を進めなければならない。 日本全体の問題として、というよりは、私たち個人個人の問題として、である。 ……と話が脱線してしまったが、これだけは覚えておくとよい。 世界広しといえども、「先祖」にこだわる民族は、そうは、いない。少なくとも、欧米先進国には、いない。いわんや「家」だの、「血統」だのと言っている民族は、そうは、いない。そういうものにこだわるということ自体、ジークムント・フロイトの理論を借りるまでもなく、幼児性の表れと考えてよい。つまりそれだけ、民族として、人格の完成度が低いということになる。(付記) この問題は、結局は、私たちは、何に依存しながら、それを心のより所として生きていくかという問題に行き着く。 名誉、財産、地位、学歴、経歴などなど。血統や家柄も、それに含まれる。しかし釈迦の言葉を借りるまでもなく、心のより所とすべきは、「己(おのれ)」。「己」をおいて、ほかにない。釈迦はこう説いている。『己こそ、己のよるべ。己をおきて、誰によるべぞ』(法句経)と。「自由」という言葉も、もともとは、「自らに由る」という意味である。 あなたも一言でいいから、自分の子どもたちに、こう言ってみたらよい。「先祖? そんなくだらないこと考えないで、あなたはあなたはで生きなさい」と。 その一言が、これからの日本を変えていく。(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て はやし浩司 血統空想 封建時代 武士道)