●子供の問題
【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□●子どもの問題子どもの問題をかかえて、悩んでいる人は多い。「勉強をしない」「目標をもってない」「毎日、だらだらしている」「自覚がない」「親子の会話が途絶えた」などなど。しかしそういうとき、どうして親たちは、自分の姿を見ないのか?自分のこととして、考えないのか。つまり「私自身はどうなのか」と、なぜ、考えないのか。ある母親は、こう言った。「うちの子(中学3年、男子)は、学校から帰ってきても、受験勉強どころか、学校の宿題もしません。どうしたらいいですか」と。私はその質問を聞いて、こう思った。(思っただけで、言わなかったが……。)「だったら、お母さん、あなた自身が勉強をすればいい」あなた自身が、東大へ入ってみせればいい」と。先に書いた親の悩みについても、同じようなことが言える。「勉強をしない」(だったら、あなたは勉強をしているのか?)「目標をもってない」(だったら、あなたは目標をもっているのか?)「毎日、だらだらしている」(だったら、あなたは、きびきびとしていのか?)「自覚がない」(だったら、あなたは自覚しているのか?)「親子の会話が途絶えた」(だったら、あなたは会話をしているのか?)、と。最近の考え方としては、「子どもは家族の代表にすぎない」とする。子どもに何かの問題があったとしても、それは子どもだけの問題ではない。家族全体の問題である。子どもに現れた症状は、あくまでもその(結果)にすぎない。そう考えて、対処する。かなりきびしいことを書いたが、それくらいの心構えをもってこそ、ちょうどよい。私たち日本人は、親意識が強い。子どもだけをみて、子どもを何とかしようと考える。しかしそういう見方では、問題は解決しない。子どもも納得しないだろう。 Hiroshi Hayashi++++++++AUG・09++++++++++はやし浩司●愚痴(Complaint or Grumble)++++++++++++++++++++++++英語と日本語を一致させることはできない。微妙にニュアンスがちがうことが多い。たとえば「愚痴」を、英語では、「complaint(不平・不満)」という。しかし「愚痴」と、「complaint」は、どこかちがう?そういうことはあるが、その「complaint」について、アメリカの精神医学会(American Psychiatric Association)は、「不安神経障害(Anxiety Disorder)」の主症状のひとつにあげている(DSM-4)。愚痴をあれこれ言うこと自体、「障害(Disorder)」のひとつというわけである。なるほど!だから、愚痴は言わない。APAのHPには、つぎのようにある(一部抜粋)。In behavioral health care as in general medicine, when an individual complains of a subjectively experienced disturbance or unpleasant perception such as pain or anxiety, we call this a symptom. We distinguish this from a sign such as slurred speech which a professional can observe.(苦痛や心配ごとのような混乱や不快感について、不平、不満を訴えることを、「症状」といい、たとえばおどおどした態度のような、専門家でないと区別できないような症状を、「兆候」という。)+++++++++++++++++++++++++●日本語 日本語を使っているとき、ときどき、こう感ずることがある。「日本語って、すぐれているなあ」と。とくに(心)を表現する用語が、きわめて豊富である。 たとえば10年ほど前から、欧米では、さかんに「attachment(アタッチメント)」という言葉が使われるようになった。「愛着行為(行動)」と翻訳されている。が、これなどは、「赤ちゃん返り」の類義語と考えればよい(反論もあるだろうが……。) 心理学で言う「固着」にしても、日本語には、「わだかまり」とか、「こだわり」とかいう言葉がある。その類義語と考えればよい。(反論もあるだろうが……。) さらに日本語には、「取り越し苦労」とか、「ヌカ喜び」という言葉もある。これなどは、まさに「不安神経障害(Anxiety Disorder)」の主症状のひとつと考えてよい。(反論もあるだろうが……。)精神的に不安定な人ほど、取り越し苦労とヌカ喜びを、いつも繰り返す。 私たちは専門家ではないから、(逃げるわけではないが……)、要するに、心理学といっても、よりよく自分の人生を生きるための道具にすぎない。またそういう目的のために利用すればよい。(それでお金を稼いでいる人は別だが……。)冒頭にあげた、愚痴(complaint)にしてもそうだ。「愚痴を口にしたら、精神状態はふつうでない」と考えてよい。(反論もあるだろうが……。)●K子さん(62歳)の例 当時、私は無料で、電話相談なるものを受け付けていた。そんなある日、K子さんという女性から、家族の問題について、相談があった。静かで、落ち着いた女性だった……と感じたのは、最初の1回目のときだけ。それにつづく相談は、まさに「?」としか思えないようなものだった。 いくつか特徴があった。(1)一方的にしゃべるだけ。(2)不平、不満をしゃべるだけ。(3)「では、どうすればいいのか」という話し合いができない。(4)ことこまかに、どうでもよいことを、しゃべるだけ。(5)つぎの相談のときには、前の相談のことを忘れてしまっている(?)。(6)前回の相談のときの矛盾をつくと、パニックになる。(7)「私はすばらしい」「まちがっていない」ということを強調する。(8)私が反論的な意見をそえると、それに猛反発する。(9)子どもの相談といいながら、ときとして、夫や姑の話になる。(10)そういう電話が、毎回、ときに1時間以上も、ねちねちとつづく。 当時の私は、「愚痴を聞いてやるだけでもいいのでは」と考えて、K子さんの言うままにしておいた。しかしまともに聞いていると、こちらまで気が変になりそう。そう感じたから、ときには受話器を耳からはずして、「そうですか」「そうですね」だけを繰り返した。一度だが、私の方から電話を切ろうとしたことがある。とたん、K子さんは、パニック。激怒。「どうして私の話を聞いてくれないのですかア!」と。●愚痴 「愚痴は言わない」というのは、さわやかに生きるための大鉄則。だが、同時に、「他人の愚痴を聞かない」というのも、重要。愚痴には、恐ろしい魔力がある。 仏教でも、肉体の奴隷になることを、強く戒めている。もし肉体の命ずるままに、精神が動揺したら、人間はそのまま畜生と化す。その中でも、とくに警戒すべきものが、『貪(どん)』『瞋(しん)』『痴(ち)』。ここでいう『痴』というのは、仏教でいうところの『愚痴(ぐち)』をいう。 要するに、(愚かさ)が極まった状態を、『痴(ち)』といい、それが愚痴の語源になっている。わかりやすく言えば、愚痴を言うこと自体、その人が愚かであることを意味する。その(愚かさ)に接していると、接するこちら側まで、愚かになる。だからある賢人は、こう言った。 「怒っていたら、愚痴を言うな。愚痴を聞いても、怒るな」と。けだし、明言である。 ともかくも、愚痴を言うということ自体、アメリカでは、精神障害(mental disorder)を疑われるということ。日本では、愚痴を軽く考える傾向があるが、アメリカでは、そうでないということ。気をつけよう。(はやし浩司 家庭教育 育児 育児評論 教育評論 幼児教育 子育て Hiroshi Hayashi 林浩司 BW はやし浩司 愚痴 愚痴論 complainment 不安神経障害)