●板取川
☆☆☆この電子マガジンは、購読を登録した方のみに、配信しています☆☆☆. mQQQm 発行人 はやし浩司(ひろし). Q ⌒ ⌒ Q ♪♪♪…… .QQ ∩ ∩ QQ . m\ ▽ /m 彡彡ミミ . /~~~\ ⌒ ⌒ . みなさん、 o o β .こんにちは! (″ ▽ ゛)○ . =∞= // □■□□□□□□□□□□□□□■□ ================= 子育て最前線の育児論byはやし浩司 09年 5月 29日□■□□□□□□□□□□□□□■□ =================★★★HTML版★★★HTML(カラー・写真版)を用意しました。どうか、お楽しみください。(↓をクリックしてみてください。)************************http://bwhayashi2.fc2web.com/page015.htmlメルマガ(6万3000誌)の中で、2008年度、メルマガ・オブ・ザ・イヤーに選ばれました!【1】(子育てのこと)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□休みます。【2】(特集)□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□【板取川】●岐阜県・板取村へ++++++++++++++++++++今、ワイフと私は、電車に乗って、板取村へと向かっている。++++++++++++++++++++●電車の中でこの原稿は、電車の中で書き始めた。名鉄・豊橋線の中。土曜日ということもあって、子連れの夫婦が、前後に何組か座っている。私は職業柄、子どもたちの顔や姿を、ジロッ、ジロッと見てしまう。どうしても見てしまう。長く見る必要はない。瞬間でよい。時間にすれば、1秒前後か。それでわかる。年齢から、性格、さらには問題点まで。で、私のばあい、10年~後の姿まで、見えてくる。「この子は、こうなって、ああなって……」と。過去も見えてくる。「どういう家庭環境で、どう育ったか」と。どこかの予言者みたいな言い方をするが、これは事実。しかしスピリチュアル(霊力)などという、インチキなものではない。経験と知識に基づいている。診断権こそないが、何か情緒に障害をもっている子どもにしても、瞬間、垣間見ただけで、それがわかる。わかるものはわかるのであって、どうしようもない。もちろんその反対のこともある。学校で、LD(学習障害児)と判断された子ども(小1男児)がいた。(学校側が、それをはっきりと示したわけではないが……。)学校側は親に、特別学級への編入を勧めていた。が、私は「そうではないと思う」と、母親に告げた。「~~ではないと思う」という診断なら、私にもくだせる。で、2、3年もすると、その結果が、はっきりとしてくる。その子どものばあいも、小学4年生になるころから、めきめきと成績を伸ばし始めた。現在は小学6年生だが、その学校のクラスでも、トップの成績を修めている。……しかしそれがわずらわしいから、(子どもがわずらわしいからではない。誤解のないように!)、本当は、こうした休日には、できるだけ子どものそばに、すわらないようにしている。どうしても気になってしまう。しかし、この席は、指定席。車内も、ほぼまんべんなく、混んでいる。席を移動することはできない。●診断ななめうしろの席のA君(小2くらい)。度の強いメガネをかけている。A君の遠視に気がついたのは、かなり遅かったのではないか。年齢相応の人格の完成度に、やや欠ける。動作が、どこか幼稚ぽい。時折前の席に座った弟(5歳くらい)に、ちょっかいを出しているのは、嫉妬からか。赤ちゃん返りの後遺症も残っている。弟の横には、母親が座っている。それで弟の横にいる母親が気になるらしい。……というようなことを書くのはやめよう。今日は、一応、「旅行」。仕事の話はなし!+++++++++++++++++++++【板取村・旅行記】●生老から「生老」……このあたりでは、「しょうろ」と読む。その生老から、目的地の民宿「ひおき」まで、約10キロ。生老で理髪店を営む従兄(いとこ)は、そう言った。10キロ。何とか歩けそう……ということで、私たちは歩き始めた。坂道というほどでもないが、ときどきゆる~い坂道。5月の新緑が、まぶしいばかりに美しい。私はそのつど、風景をビデオや、カメラに収める。●Yさん私は従兄のYさんを、尊敬の念をこめて、いつも「Yさん」と「さんづけ」で呼んでいる。頭がよい。キレる。たまたま田舎にいるが、都会に住んでいれば、超一級のドクターになっていたはず。今とちがって、昔は自分で自分の病気を治さねばならなかった。それで医学を独学した。そのYさんが、自力で、囲炉裏小屋を建てた。それを見せてもらった。土台から屋根、部屋の造作まで、すべてひとりで作ったという。道楽に、これ以上の道楽があるだろうか。「ぼくも山荘を作るとき、家以外は、すべて自分たちでしました」と話したら、うれしそうだった。趣味を同じくするものには、相通ずるものがある。ただし一言。家作りにせよ、土地作りにせよ、それを作っているときが楽しい。作り終えたとき、そこでその道楽は終わる。今の私がそうだ。終わったとき、また別のものを求めて、さまよい歩く……。従兄も、同じようなことを言っていた。●万歩計万歩計を見ると、すでに1万1000歩になっていた。家を出るとき、ゼロにセットしたはず。「それほど歩いていない」と思ったが、それだけ歩いたのだろう。ふだんなら、一日の運動量としては、じゅうぶん。それをワイフに告げると、「今日は2万歩を超えるかも……」と言った。私はところどころでビデオを撮ったり、写真を撮ったりした。その間にワイフは、100メートルほど先へ。私は急いで追いつく。写真を撮っては、追いつく。その繰り返し。