●親子の確執
●今朝・あれこれ(3月3日)(March 3rd)My mother was carried to a hospital by ambulance car, since she lost consciousness in that morning. She received some medical checks but she recovered her consciousness around that time. And in the next day I sent her back to the Center. In the car with my mother, I thought a lot of things. My mother is me myself of 20 0r 30 years later. +++++++++++++++このところ母の容体が、よくない。今年に入ってから、これで2回、救急車で、病院へ運ばれた。今朝は、朝食後、意識がなくなってしまったという。あわててかけつけると、母は、酸素吸入器を口につけ、ハーハーとあえいでいた。血圧は、90弱~70前後。母にしては、異常な低さである。大声で声をかけると、意識はもどった。つきそいの看護士の方が、「一時的だといいですね」と言った。母を見ていると胸が詰まった。姉だけには連絡を……と思って電話をかけたが、つぎの言葉が出てこなかった。「今朝まで、ちゃんと朝食をとっていました」とのこと。午後からはワイフに任せた。私は自宅にもどった。……この静けさは何か?この穏やかで、やわらいだ気分は何か?カーテンを見ると、白い光が、木々の小枝の影を、くっきりと映し出している。その向こうで、隣の屋根瓦が、キラキラと光っている。風もない。寒さも、やわらいだ。ワイフからの連絡を待つ。今の私には、それしか、することがない。静かに、静かに、どこまでも、静かに。+++++++++++++++(3月5日)幸い、母は、たいしたこともなく、「様子見入院」だけですんだ。で、病院に1泊して、翌日(=昨日)、センターに戻った。帰りは、タクシー会社の、寝台つきバンだった。そのバンの中で、いろいろ考えた。センターでは、母は、(お荷物)になり始めているらしい。今年に入って、寝たきりの状態がつづいている。だからといって、センターの人を責めているのではない。センターとしても、できることには限界がある。それはわかる。一方、病院側には、病院側の論理がある。治療が目的。「治る見込みのある患者を治すのが、病院の役目」。どこかの医師も、そう言っていた。老人を預かる施設ではない。とくに母のように、とくにどこかが悪いというわけでもない老人は、患者ではない。医師もこう言った。「何かあっても、延命措置は取りません」「寿命ですから」と。その日の午後には、心電図検査を予定していたが、私がキャンセルした。私が「しても意味はないですね」と言うと、医師も、すんなりと、「そうですね」と。……私たちも、いつかは、母のようになる。母のようになるのが、どうこうというのではない。現在の母が置かれているのと、同じような、立場に置かれる。そのとき、医師も含めて、周囲の人たちは、私たちを、どう扱うか。「いつ死んでも仕方ない」という扱い方をするだろう。治療といっても、治療の方法すらない。一方、たとえば病院に、1週間も入院していると、センターのほうでは、母の居場所が末梢されてしまう。そうでなくても、入居を待っている人は多い。医師もこう言った。「そうなったら、どこかのセンターに再入居するしかないですね」と。しかし今度は、そうは簡単にいかない。再入居するのに、数か月待ちということになったら、その間、母は、どこにいればよいのか。「やはりセンターに戻してもらったほうがいい」ということで、母は、センターに戻してもらった。老人介護、老人医療には、いろいろ問題があるようだ。そんなことを帰りのバンの中で、考えた。見た目には、スヤスヤと眠っている母を見ながら……。+++++++++++++++介護のコツは、介護のことを考えているときと、そうでないときで、頭の切り替えを、しっかりとすること。仕事にもどったり、家庭にもどったりしたら、介護のことは忘れる。母のことは、忘れる。「死んだら、死んだとき」と。なかなかむずかしいことかもしれないが、そこまで割り切らないと、気苦労だけが倍加してしまう。ものごとは、なるようにしかならない。「なるようにしかならない」と自分に言い聞かせて、心の中を、サッと洗う。ところで、こんな話を聞いた。参観に来ていた母親に、「親の介護もたいへんですよ」と、私がふと漏らすと、その母親は、こう言った。「私の夫なんかは、母(=夫の実の母親)を見舞ったことは、めったにありませんよ」と。その母(=夫の実の母親)というのは、入院して、2年になるという。事故で頭をけがしてからというもの、認知症になってしまったという。年齢を聞くと、その母(=夫の実の母親)は、まだ60歳とか。私「若いのに……。60歳で、寝たきりですか……」母「そうですね」私「でも、また、どうして? どうして、2年も……?」母「いろいろありましたから」と。親子の間で、私には想像もつかないような確執があったらしい。私「親子関係といっても、さまざまですからね」母「そうですね」私「……」と。+++++++++++++++++++それぞれの家庭には、それぞれの事情がある。外からでは、ぜったいにわからない。だからあなたがもっている(常識)だけで、その家庭を判断してはいけない。一方的な話だけを聞いて、判断するのも正しくない。仏教の世界にも、「怨憎会苦(おんぞうえく)」という言葉がある。「憎い相手と会う苦しみ」という意味だが、親子であっても、どこかで歯車が狂うと、そうなる。親子であるがゆえに、その苦しみも大きい。さらに兄弟、姉妹となると、憎しみ合っている人は、ゴマンといる。遺産問題、金銭問題がからんでくると、兄弟、姉妹でも、それこそ、血みどろの争いになる。そういう例も、これまたゴマンとある。そういう相手と会う……それはまさに、「怨憎会苦」。「四苦八苦」のひとつにもなっている。では、どうするか?そうしたトラブルから、いかにして自分を救出するか?つまりは、相手が、サルかイヌに見えるまで、自分を高めるしかない。(言葉はキツイが、それくらいに思わないと、この問題は解決しないので、そう書く。)が、「サルだと思え」「イヌだと思え」と言っても、それはむずかしい。だから自分を高める。芸術に親しみ、本を読み、教養のある人と話をする。その結果として、相手が、サルかイヌに見えるまで、自分を高める。私のばあいも、同じような立場に立たされたことが、何度か、ある。そういうときは、心の中で、歌を歌っていた。(一度は、思わず、口が動いてしまい、相手にバレそうになってしまったこともあるが……。)言いたい人には言わせておけばよい。思いたい人には、思わせておけばよい。相手は、サルはサル。イヌはイヌ。どうせその程度の人間。人間と言うよりは、サルかイヌ。あなたが相手にしなければならないような人ではない。また「わからせよう」と思っても、ムダ。それだけの知恵もない。頭もない。あとは無視。適当につきあって、それですます。++++++++++++++++++こんな例を、ワイフが話してくれた。「2年どころか、10年間、一度も、実の母親を見舞っていない人もいるわよ」と。その人を、Z氏(50歳、男性)としておく。実の母親というのは、10年前に認知症になり、今年85歳になるという。「どうして、そうなったの?」と聞くと、ワイフが、こう話してくれた。ワ「もとはと言えば、Z氏が、今の奥さんと結婚するため、家を出たのが始まりみたい。1人息子だったのね。そこでZ氏の母親が、猛反対。『結婚して家を出るなら、今までお前にかけた、養育費を全部、返せ!』ということになったのね。一時は、裁判沙汰にまでなったそうよ。で、親子の関係は、それで切れてしまったというわけ」私「養育費を返せというのも、ふつうではないね」ワ「でも、そういう親も、多いわよ。私の知っている別の人(=男性)なんか、いまだに実の親に、『お前にかけた、学費を全部、返せ」と言われているそうよ。額は、3000万円だってエ!」私「でも、そんなことを親のほうが言えば、親子関係は、おしまいだよ」ワ「そうね。親もそのつもりではないかしら。Z氏の母親にしてもそうよ。つまり親のほうから、先に縁を切ってきたというわけ。だから、それでおしまい」私「Z氏が家を出たというのも、わかるような気がする。そういう親だから、家にはいたくなかったんだろうね。つまりそういうことをしそうな親だということが、Z氏にはわかっていたんだよ」ワ「そう、Z氏が家を出たから、親子関係が切れたのではなく、すでに、Z氏が家にいるころから、切れていたのね。それにZ氏の母親は、気づかなかっただけなのね」と。表面的な部分だけを見れば、Z氏は、「子らしからぬ子」ということになる。事実、ごく最近まで、Z氏は、母親の兄(伯父)に、「お前は親不孝者」と、ののしられていたそうだ。Z氏の苦しみも、また大きい。……大きかった。ワ「だから、今でも、Z氏は、実家の近くにさえ近寄らないそうよ」私「わかるね、その気持ち。とても、よくわかる」ワ「Z氏にしてみれば、子どものときからの積み重ねもあるから……。私の友だち(女性)にも、結婚して以来、一度も実家に帰っていない人がいるわよ」私「何年くらい?」ワ「私より10歳くらい若いから、ざっと計算しても、20年近くじゃ、ないかしら……」私「20年ネエ~。よほどのことがあったんだろうね」ワ「そうね……。よほどのことがあったんでしょうね」と。そんなわけで、もし今、あなたが、どこかのだれかに、その家の家庭問題であれこれ言っているようなら、すぐやめたほうがよい。あなたは気がついていないかもしれないが、言われた人は、死ぬほど苦しい思いをしているはず。あなたは親切心のつもりで言っているかもしれない。もしそうなら、おカネを出してやったらよい。それができないなら、だまっていること。口を出すことくらいなら、だれにだって、できる!ともかくも、これから母を見舞いに行ってくる。H