●生きる不安
●不安++++++++++++++++80歳をすぎた近所の女性が、数日前、救急車を呼んだ。あとで理由を聞くと、便に大量の血が混ざっていたからだという。その女性は、自分が、がんになったと早合点して、そうしたらしい。しかし、がんではなかった。シロだった。ただ単なる、切れ痔にすぎなかった。++++++++++++++++ 私は知らなかったが、近所に住む女性が、救急車を呼んだという。今年、80歳になる女性である。 あとで人づてに理由を聞くと、便に大量の血が混ざっていたからだという。その女性は、それをがんと早合点してしまったらしい。が、病院での検査の結果は、シロ。がんではなかった。ただ単なる切れ痔にすぎなかったという。 最初、この話をワイフから聞いたとき、私は笑ってしまった(失礼!)。その女性のような心気症の人(=大病ではないかと、そのつど、大げさに悩む人)は多い。実は私もその1人だが、しかし便に血が混ざっていたくらいでは、救急車は呼ばない。 しかもその女性は、80歳だという。私「80歳になっても、死ぬのがこわいのかねエ?」ワ「何歳になっても、こわいみたいよ」私「そういうものかねエ」と。 そう言えば、私の母も、89歳になり、足が思うように動かなくなったとき、それを治せない医師を、「ヤブ医者」と言って、怒っていた。姉が、「89歳にもなれば、みんなそうよ」と懸命になだめていたが、母には、理解できなかったようだ。 この問題には、つまりその人の生死にかかわる問題には、年齢は関係ないようだ。老齢になったからといって、死に対する恐怖感がやわらぐということはない。考え方が変わるということもない。 むしろ現実は逆で、老齢になればなるほど、「生」に執着する人は、多い。ほとんどの人がそうではないか。中に、「私はいつ死んでもいいですよ。覚悟はできていますよ」などと言う人がいるが、たいていは、そう言いながら、かっこつけているだけ。本心でないと考えてよい。 「死」を受け入れるということは、たいへんなことである。 イギリスのBLOGから、「死」について書いた賢人たちの言葉を、集めてみる。★ I live now on borrowed time, waiting in the anteroom for the summons that will inevitably come. And then - I go on to the next thing, whatever it is. One doesn't luckily have to bother about that.私は借りてきた時間の中で、召喚のための小部屋で待ちながら、生きている。それは避けられないもの。で、それから私は、どうあっても、つぎの部屋に行く。幸運にも、人は、それで心をわずらわす必要はない。Agatha Christie, "An Autobiography"(アガサ・クリスティ「自叙伝」)★ I shall tell you a great secret my friend. Do not wait for the last judgement, it takes place every day.友よ、私はあなたに偉大な秘密を話してやろうではないか。最後の審判を待ってはいけない。それは毎日起きていることなのだから。Albert Camus★To the well-organised mind, death is but the next great adventure.よく準備された心には、死は、ただ単なるつぎの冒険でしかない。Albus Dumbledore★Even in the desolate wilderness, stars can still shine.人に見放された荒野のようなところでも、星はまだ、輝いている。Aoi Jiyuu Shiroi Nozomi (青い自由、白い望み?)★ A Lizard continues its life into the wilderness like a human into heaven. Our fate is entirely dependent on our lifeとかげは、野生の中に向かって生きつづける。人間が天国に向かって生きつづけるように。我々の運命は、私たちに生命に完全に支配されている。Andrew Cornish★ This existence of ours is as transient as autumn clouds. To watch the birth and death of beings is like looking at the movements of a dance. A lifetime is a flash of lightning in the sky. Rushing by, like a torrent down a steep mountain.我々の存在は、秋の雲のように、一時的なもの。人の生死を見るということは、踊りの動きを見ているようなもの。人生というのは、空に光る稲妻の閃光でしかない。あるいは、急な山を下る急流のようなものでしかない。Buddha (c.563-c.483 B.C.)(釈迦)★100 per cent of us die, and the percentage cannot be increased.私たちのうち100%は死ぬ。そのパーセンテージがふえるということは、ない。C.S. Lewis, "The Weight of Glory"★Who chants a doleful hymn to his own death?だれが、自分の死に際して、悲しげな賛美歌を歌うだろうか。Shakespeare★ We are here to laugh at the odds and live our lives so well that Death will tremble to take us.私たちは、おおいに笑い、楽しく生きるために、ここにいる。そうすれば死は、私たちを連れ去るのを、躊躇(ちゅうちょ)するだろう。Charles Bukowski★ All God does is watch us and kill us when we get boring. We must never, ever be boring. ★ すべての神は、私たちをずっと見ていて、私たちがいつ、生きるのに飽きるかを見ている。だからそれゆえに、私たちは決して、自分の人生に飽きてはいけない。Chuck Palahniuk, "Invisible Monsters" 人生が瞬間的なものなら、80歳になるのも、瞬間にやってくる。若い人たちからみれば、老後は、ありえないほど遠い未来に見えるかもしれないが、その老後は、瞬間にやってくる。それがわからなければ、自分の過去をみることだ。 少年、少女時代にせよ、青春時代にせよ、「私は生きた」という実感をもっている人は、きわめて幸福な人だと思う。もし少年、少女時代にせよ、青春時代にせよ、それが何のためにあるかといえば、その「生きる実感」をつかむためにある。 その「実感」が、灯台となって、それからのその人の人生の歩む道を、照らす。 で、この年齢になってますますはっきりとわかってきたことがある。それは青春時代というのは、人生の出発点ではないということ。青春時代は、人生のゴールそのものであるということ。それはちょうど、あのサケが、最後には自分の生まれた源流をさかのぼり、そこで死を迎えるようなもの。 しかし悲しいかな、少年、少女時代にせよ、青春時代にせよ、その最中にいる人には、それがわからない。「人生は永遠」と考えるのはまちがってはいないが、「永遠」と思うあまり、その時代を浪費してしまう。 しかしその時代は、1回ポッキリで終わる。……終わってしまう。「まだ先がある……」と思って、人は、生きていく。が、先は、ない。ないから、その日、その日を、悶々とした気分で過ごす。 それが不完全燃焼感となって、心をふさぐ。悔いとなって、心をふさぐ。老後になればなるほど、それがより鮮明になってくる。 冒頭に書いた女性だが、今回は、シロだった。が、この先、何年、生き延びることができるというのだろうか。5年だろうか。10年だろうか。体の不調が起きるたびに、ビクビクしながら生きていくにちがいない。「生きる」といっても、死を先に延ばすだけの人生。明日、その死がやってくるかもしれない。明日はだいじょうぶでも、あさって、やってくるかもしれない。 では、どう考えたらよいのか。どう死をとらえたら、よいのか。生きることを考えたら、よいのか。『友よ、私はあなたに偉大な秘密を話してやろうではないか。最後の審判を待ってはいけない。それは毎日起きていることなのだから』と書いた、Albert Camus。『よく準備された心には、死は、ただ単なるつぎの冒険でしかない』と書いた、Albus Dumbledore。 彼らの言葉の中に、その答につながるヒントがあるように、私は思う。