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カテゴリ:ネット論

 先日、ある若いフリーの女性アナウンサーが自殺した。川田亜子というその名前を聞いても、たしかに聞いた覚えはあるが、顔はちょっと浮かばない、という程度であるから、とりたてて衝撃を受けたというわけではない。自動車内での練炭による自殺というのも、最近はなんだかよく聞くなあという程度のことである。

 ただ、ひとつ気になったことは、この女性が自殺する二日前まで、『Ako's Style』 なるブログをつづっていたことである。たとえば、死の4日前にはこんなことを書いている。

仕事の合間

一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます。

2008年05月22日    
 

 いかにも、いわゆる 「女性らしい」 感覚的な記述である。短い文章ではあるが、その中に本人の素直な感情が、なんの飾り気もなくナイーブににじみ出ていると言えばいいだろうか。

 昨今はまさにネコも杓子もブロガー時代である。「一億総ブロガー」 というのは、いささか大げさだが、とにかく小中学生から高年齢者まで、いろいろな人がパソコンや携帯を使ってブログを書き、一般に公開している。むろん小生もその一人であり、時代の流行にちゃっかり便乗しているわけではあるが。

 多くのタレントや芸能人らも、「公式ブログ」 のようなものを書いている。おそらく、その背景には好感度アップやファンサービスを狙った事務所の方針とかもあるのだろうが、人気タレントなどのブログは、その熱烈なファンらにとっては、その人の生の感情とか内面とかにリアルタイムで触れることができ、「憧れの人」 と直につながっているかのごとき感覚を味合わせてくれるだけに、たまらない魅力があるのだろう。あえて言うならば、そこには「憧れの人」 のプライバシーを覗き見ることにも近い快感のようなものも、あるのかもしれない。

 たしかに、上で引用したような 「飾り気のないナイーブな感情」 というものには、人の胸を打つものがある。だが、そのようなナイーブで、しかもいささかナルシスティックな感情の表出は、ときには多くの人が無意識のうちに抱えている 「匿名の悪意」 のようなものを刺激し、発動させることもある。実際、そのような例は、過去にもあちらこちらで見られる。

 とりわけ、有名人が実名で公開しているブログは、多くの人の読むところであり、また本人がばっちり特定できるだけに、そのような 「悪意」 (それはときには、「社会正義」 であるかのごとき仮面を被っていることもある) の標的になりやすいように思える。

 過去に、彼女のブログで、いわゆる 「炎上」 が起きたことがあるのかどうかは知らないが、イージス艦と衝突して沈没した漁船の乗組員についての発言が原因で炎上にいたった、「しょこたん」 こと中川翔子の例など、芸能人のブログがちょっとした 「失言」 で炎上にいたった例はいくらでもある。

 小生のような無名の人間にとっては、自費出版のような金もかかり、面倒なことと違って、ブログは簡単に自分の文章を公開することができ、その結果、いろいろな欲望を手軽に満たすことを可能にするツールでもある。だが、たとえ匿名であろうと、ネットにブログを公開するということは、「悪意の人」 をも含めた、多くの人々の視線と欲望の前に自己をさらすということでもある。

 たとえば、かつてならば親にも見せなかったような 「秘密日記」 に書いたようなことを、実名であれ匿名であれ、ネット上に公開するということには、どのような意味があるだろうか。たしかに匿名であれば、それを書いたのが誰であるかは他人には分からない。しかし、言うまでもなく、少なくとも本人は、それを書いたのが自分であることを認識しているだろう。

 それは、親にも見せない机の中の 「秘密日記」 の場合でもむろん同じではある。しかし、自己以外の他者の視線がまったく介在しないそのような場合と、たとえどこの誰だか分からず、また書いている本人のことについてもなにも知らない 「赤の他人」 であるとはいえ、不特定の他者の視線が介在してくるウェブ日記の場合とでは、おそらくなにかが違ってくるはずである。

 そして、そのようなナイーブな文章に、たとえばまったくの赤の他人である未知の誰かから、「感動しました!」 とか 「負けないで!」 などという、いささか無責任なコメントが寄せられれば、書いた本人のナイーブな自己像は、いわば 「他者による承認」 を得たことになり、無意識のうちにさらに強化されることになるだろう。それがとくに 「苦悩するわたし」 とか 「可哀想なわたし」 というような自己像であれば、そのような自己批評性を欠いたナイーブな自己表出は、いったいどこへ向かうことになるだろうか。

 二週間ほど前、内田樹さんが 「被害者の呪い」 というエントリーでこんなことを書いていた。

自分の不幸を代償にして、自分の仮説の正しさを購うというのは、私の眼にはあまり有利なバーゲンのようには思われないが、現実にはきわめて多くの人々がこの「悪魔の取り引き」に応じてしまう。   (中略)
「自分自身にかけた呪い」の強さを人々はあまりに軽んじている。


 内田さんがここで論じていた問題とはやや異なるが、そのような 「苦悩するわたし」 とか 「可哀想なわたし」 といった自己イメージをネット上に公開することもまた、やはり同じように自分自身に呪いをかけることであり、自分をそのようなものとして、そのままの位置に釘付けにすることではないだろうか。

 中国の古い言葉に、「綸言 汗のごとし」 という言葉があるが、いったん発した言葉は二度と取り消せないというのは、なにも天子や貴人のみに限られたことではない。むろん、自殺したフリーアナウンサーが、いったいどういう悩みを抱えていたのかは分からないし、彼女がブログを書いていたことと、彼女の自殺とを直接結び付けようという話をしているわけでもない。

http://d.hatena.ne.jp/Prodigal_Son/20080526/1211790646







Last updated  2008.06.04 15:22:50
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