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カテゴリ:我が家の行事
先日、北九州に行った時に昔住んだ銀行の社宅跡を訪ねた。 場所は北九州市小倉北区富野である。今もそうかもわからないが、当時は須賀町と呼んでいたような気がする。 昭和37年に社会に出た私は地元の銀行に就職したのだが、研修後に発表された初任地は当時の小倉市にあった小倉支店だった。まさに青天の霹靂である。赴任して住んだのは繁華街・京町の銀行の裏にあった独身寮である。独身の先輩7、8人との共同生活だった。 その後、結婚したがそのときは社宅に空きが無くて南小倉駅の山手にあった民間アパートに半年間住み、社宅が空くのを待って翌年の春にこの富野の大谷池の下にあった社宅に移り住んだのだった。 社宅は2軒続きの木造のいわゆる長屋で今みたいな洒落たものではなかった。風呂も石炭風呂だった。 ここで長女と長男が誕生して、散歩コースとして大谷池の周辺で遊んだものだ。 今回も小倉での常宿となっている妻の妹の家から義弟の運転する車で出発。義弟の実家もその頃社宅のすぐ近くにあったので両夫婦ともに懐かしい場所である。 しかし、社宅のあった場所は大きな変貌をとげていた。木造の2軒長屋の面影を留めるものは無く、マンションの開発業者に買い取られたのか、周辺を含めて数軒のマンションが建っていた。これも時代の流れか。銀行も社宅用地を売ってしまったのか、またはその中の一部になっているのか、確かめることは出来なかった。 子供達と遊んだ大谷池も時代の流れか、頑丈なフェンスに囲まれて立ち入り禁止になっていて、がっかりした。 写真の前方の山際は当時ツツジの名所となっており、5月の連休はたくさんの人が見に訪れていたのだが・・・。 しかし、懐かしい場所には変わるぬ思い出がいっぱい詰まっており、そういう意味では何も変わっていないのに満足して、社宅跡と大谷池を後にした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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