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ジージの南からの便り

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2018.06.29
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カテゴリ:エッセイ


 先日、NHKアーカイブス あの日 あの時 あの番組 を見た。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタンの関連遺産~世界文化遺産登録」である。

 私は曲がりなりにも仏教徒であるが、今から43年前から3年間 長崎に住み、身近にクリスチャンの方々を見聞きしてきたので、キリスト教にもいつしか関心を持つようになった。長崎に転勤したとき、次男坊が近くの「本原教会」付属の「聖アントニオ幼稚園」に入園した。年少組のとき、何故か父母の会の副会長に指名され、副会長ならと気軽に引き受けたのだが、ここではその翌年、子供が年長組になったときには、会長に昇格することになっていた。よそ者でそういうことを知らずに軽く考えたのが間違いだったのだが、慣例には従わざるを得ず、やむなく会長職も引き受けた。そういうこともあって、園長の神父さんシスターの先生方とも2年間だったが交流があり、貴重な経験をすることができた。

 今回の放送は数年前にKくんと見に行ってシリアスな映画だったが大変感動した「沈黙ーサイレンス」のキリスト教徒に対する拷問シーンから始まった。

 日本へのキリストの伝来は1549年 ザビエルが鹿児島の祇園の洲に上陸したのが始まりである。
そのことと、現在、鹿児島に残るザビエル教会やキリスト教布教にかかわる遺産やまた福昌寺墓地の上に残る浦上4番崩れによるキリシタン墓などが私たちの郷土に残ることを考えただけでも、鹿児島もキリスト教と深い関わりを持っていると言える。

 今回の登録は長崎県平戸市の「春日集落と安満岳」など12ヶ所 ユネスコの諮問機関・イコモスの勧告によるもので共生しながら独自の文化を築いたことなどが評価されたようだ。

 NHKのアーカイブスの新日本風土記から2本の放送があった。
一つ目は、1979年(私は39歳で山口県徳山に在住)放送の「天草の崎津集落」を紹介した
 ー十字架の見える海 天草西海岸ー
漁師の住民は夫婦で漁船を出して、船上から海岸の岩の上に立てられたマリア像に、「海の安全と豊漁を願って十字架を切る」 生活の中にキリスト教が溶け込んでいて、印象に残った。
崎津の集落の3分の1を占めるカトリック信者は毎日午後6時30分ミサのため教会に集まる。礼拝堂は畳敷きだった。神父はアイルランド人。これまでいつも異国人だが、いつかは集落から神父を出したいと皆が願っている。そういう中、先ほどの漁師夫婦の息子さんが、集団就職のため都会に出ていたのだが、そこを退職して帰郷し、現在 福岡の神父の学校に学んでいる。信者にとっては嬉しいニュースだ。
私が長崎市在住当時、近所のキリスト教信者の方が、二人いる息子さんの一人を神父にしたいと語っておられたが、熱心な信者はそういう気持ちを持っておられるのだろう。その後、近所の息子さんがどうなったかは知らない。しかし、放送された漁師の息子さんはその後、神父となり、現在、佐賀で神父を務めておられるとのことだ。

 この崎津天主堂には今から20年くらい前に訪れたことがある。当時は3連休を使って妻と二人で九州各地にドライブ旅行をしていた頃で、3日間で1000kmを走るようなことが多かった。当時、九州内の行っていないところ見つけては走って行ったものだ。
崎津天主堂には鹿児島県の長島・蔵の元港から天草の牛深にフェリーで行った。教会には入ることが出来なかった記憶がある。周辺は漁村という感じで漁港まで細い道を降りて行った記憶がある。
キリスト教徒も家で初盆を迎えるとのことで、その場面も映し出された。お盆には墓で爆竹や花火を賑やかにやって先祖の霊を慰める。8月15日は聖母マリアの昇天の日であり、漁も休むそうだ。そしてその日は神父が聖体を持って船に乗り込み海上をパレードする。しかし、現在は過疎で人も少なくなり、その行事も行われていないとのことで、残念に思った。

 次に映し出されたのは、天草町の大江の天主堂(山里の教会)。大江の集落に500人の信者がいる。
この集落からは明治6年、2人が長崎で洗礼を受けたのが最初だという。
洗礼式の様子も映し出されたが、成人になってからの洗礼は難しいそうで、週一回つづ教育を受けて初めて洗礼を受けられるという。

 二つ目は、1986年(私は46歳、鹿児島に帰って6年目)放送の「国宝への旅 クルスの堂は七色の輝き 長崎大浦天主堂」
 放送では唯一の洋風建築の国宝と言っていた。調べて見ると1865年(明治維新の3年前)の建築で1933年に国宝に指定されている。その後、2009年に迎賓館赤坂離宮が国宝に指定され、現在2つになっている。
大浦天主堂は外国人の礼拝のために作られたが、当時の日本人は「フランス寺」と呼んだという。
建物には、漆喰の技術も使用され、屋根も切妻式に日本瓦を使用している。
正式名称は「日本26聖人天主堂」。 「日本26聖人殉教図」(西坂の丘 最初の犠牲者)に因む。
ここに「自分たちはキリシタンです」と浦上より二人が名乗り出た。そのことは世界のニュースとなった。しかし、その後も徳川幕府も明治政府も弾圧を続ける。
 特に「浦上4番崩れ」と呼ばれる弾圧では浦上地区の3394名のキリスト教信者を弾圧して、鹿児島や津和野などに配流し、662名が命を落とした。しかし、世界中から非難を受けた明治政府は明治6年(1873)やっと禁制を解くのである。プチジャン神父がクリスチャンを発見してから121年の歳月が流れていた。生き残って浦上に帰還した信者たちは浦上に聖堂(浦上天主堂)を建てるのである。

 今年も我が家の雑草園にユリの花が咲いた。

 

 鹿児島に残るキリスト教関連遺産や浦上4番崩れについては、またいつか書きたいと思っている。





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Last updated  2018.06.29 20:32:03
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