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ジージの南からの便り

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2021.04.10
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カテゴリ:島津義弘


 先日の新聞に小野町4丁目にあるあけぼの幼稚園が昔「園田清左衛門屋敷跡」であり、島津義弘公と夫人・宰相夫人との出会いの地であった、との記事が掲載された。
宰相夫人については、当ブログ2020年5月10日の「島津義弘に連なる人脈、義弘夫人・宰相殿」で書いていたので、あけぼの幼稚園に新しく造られたという案内板を見に行った。
案内板には次のように記述されていた。
 島津義弘公 宰相夫人 出会いの地
  (園田清左衛門屋敷跡)
 ~大根が結んだ2人の縁~
 戦国時代、小野の地は交通の要所で、豪族の勢力争いをめぐり合戦の場にもなった場所です。中福良のあけぼの幼稚園一帯は、園田家が屋敷を構え、この地を治めていました。
 のちに関ケ原の戦いで有名になった島津義弘は20代のころ、鷹狩でこの地を訪れたときに、川で大根を洗っている若い女性を見かけ、大根を分けてくれるようにお願いしました。その女性は義弘に大根を献上しましたが、そのときのしぐさが可愛かったらしく、後日義弘と結婚し、正室になります。
盛香集には「夫に大根を精進上せし有様ゆうにやさいかりしかば」と出会いのシーンが描写されています。
 この女性こそ、園田清左衛門実明の娘で、後年「宰相夫人」(宰相殿・広瀬夫人)と呼ばれることになる方です。宰相夫人は義弘との間に五男一女に恵まれ、現在につながる島津家の繁栄の祖になりました。義弘夫妻は当時としては長寿で、義弘が陣中から宰相夫人に出した手紙が残っています。
 宰相夫人が薩摩藩初代藩主の家久の母であったことから、藩政時代を通して園田家は島津家から特別に米の支給を受けていました。その後、園田家は明治維新後も昭和20年代までこの地で暮らしていました。
                                                                                                以上 案内板より


 この際、義弘夫人のことを調べてみた。
〇正室  北郷忠孝の娘
〇継室  亀徳 相良晴広の娘
〇継々室 実窓夫人(広瀬夫人)宰相殿 園田清左衛門実明の娘
  生年不詳~慶長12年(1607)2月1日没

 それより前、2016年8月21日の当ブログに「鹿児島市小野町の六地蔵尊(塔)」というテーマで小野湯(温泉)近くの六地蔵塔のことを書いているが、その案内板に「小野町の聖宮の入口にもう一つ六地蔵塔がある」という記述ある。それ以来気になっていたが、今回、園田清左衛門のことを調べる中で「聖宮の六地蔵塔」がその屋敷にあるということが分かった。
そのため、今度こそと思って先日、日枝神社を訪ねた日に1時間くらい探し回ったのだが、その日は探し出すことが出来なかった。そこで今日改めて地図で確認してたどり着くことができた。
なんと、あけぼの幼稚園の右側の細い道を30mくらい進んだ先から更に山道を20mくらい進んだ先の左側にひっそりとたたずんでいた。


 高さ約80cm。
この地は、応永11年(1404)島津家8代当主・島津久豊から園田氏が拝領してから代々園田氏の屋敷となったところであり、薩州家島津実久の軍勢に追われた島津家15代当主・島津貴久をかくまった園田清左衛門実朝の屋敷である。(鹿児島市 史跡めぐりガイドブックより)














 六地蔵塔は右側の山の中にあった。





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Last updated  2021.04.10 18:54:42
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