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カテゴリ:鹿児島の歴史
物好きな私は、この10年くらいたくさんの墓地巡りをしてきたが、これほどの様々な墓石に巡り合ったのは初めてだ。訪ねる前に調べたところたくさんの石塔があることは知ったが、これほどまでの種類があるとは知らなかった。 ここは島津家中興の祖と言われる島津四兄弟の祖父・島津忠良(日新公)が学問を学んだお寺として知られる。先日書いた仁王像のある南方神社の勇壮な仁王像の右側を歩いていくと、右側に上の写真の「島津日新公学問所跡」の案内板がある。 中に入っていくと「海藏院之跡」碑がある。 見たときは石仏かた思ったが、42歳で没した僧侶の墓標か。 墓石群の案内図 祠型の墓石 珍しい「月輪型」 梵字が書いてある。 これも珍しい型である。 これは自然石か。ただ表面に梵字が彫られているようだ。 五輪塔の墓石。同じ吹上町永吉の「永吉島津家」の墓石は全て五輪塔だった。 もう一つの「月輪塔」。これも梵字がある。 これも変わっている。五輪塔の平面型か。 これぞ僧侶の墓としてよく見かける「無縫塔」。 墓地の一角に「十三仏供養塔」があった。 これで思い出したのは霧島市の城山公園にあった「十三仏」である。 当ブログの2015年7月8日に「十三仏」として書いているが、城山公園にある「国分郷土館」近くにある仏が一塔づつ十三並べられていて案内板もあったのでその写真も掲載している。その案内板には「十三仏」の謂れや他に鹿児島県内に十三仏がある場所として薩摩川内市、さつま町、湧水町、出水市、霧島市隼人町などに見られるとしてある。 勉強不足でどういうものか知らないが「八万四千本読誦碑」というのもあった。 整然と並んだ墓石群。きれいに手入れがされているようだ。 逆修塔は死後の冥福を祈って生前に予め仏事供養をして塔を建てたものである。 「宝篋印塔」もあった。 「宝篋印塔」は鹿児島市の福昌寺跡墓地にある島津本宗家の歴代藩主や奥方の墓石として山川石を使った黄色の墓石が有名である。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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