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カテゴリ:旅行・ドライブ
上野公園一帯の散策を終えた私達・高校の同期生「八期会」一行の12人は、JR線御徒町駅から池上線に乗り換えて「洗足池学園」駅で下車しすぐ左手前方の「洗足池公園」に向かった。 途中の乗換駅でNくんに教えてもらいながら乗車券「Suica」なるものの購入を初体験した。 少し都心を離れた洗足池公園は静かな佇まいの中にあった。 洗足には洗足学園音楽大学があり、そこの指導者のお一人である辻志朗先生が、今は亡き妻が長い間歌っていた「シャンテ・メール」の指揮者として鹿児島に指導に見えていたことから「洗足池」という名前は知っていた。 洗足池は「城南の名勝」とも称される景勝地である。 洗足池の西のほとり(東京都大田区南千束)に鎮座する千束八幡神社(洗足池八幡宮) 旧社格は村社で千束郷(洗足池一帯)の総鎮守である。 上の「池月発祥伝説の由来」にある名馬・池月之像。 ただ調べてみると、この名馬・池月の産地は徳島県美馬市という説や、もっとも身近なところでは鹿児島県の池田湖(九州一の大きな湖)が産地であるという説もある。 今回の私達鹿児島からの同級生と東京在住の皆を集めて全面的に面倒を見てくれたNくんが一行を洗足池に案内してくれたのは西郷隆盛と勝海舟の繋がりがこの場所にあったからだろうと推測する。 私は上京前にNくんが東京でのスケジュールと訪問地の謂れなど数10ページに渡る文書をメールで送ってくれるまで、全くそのことを知らなかった。おかげで私は印刷をして事前勉強をすることが出来てそのことを知ったのだった。(尚、鹿児島に帰って数日後にはその改訂版と当日の写真などを入れた分厚い封書が届いた。当日の参加者全員に送ってくれたようだ)感謝しかない。 Nくんが創ってくれたその案内書の冒頭に次のように書いてある。 東京大田区の洗足池公園には、西郷隆盛が沖永良部島に流され、尊皇の志を果たすために、本土の土を踏むことは2度とないとの思いでつくった漢詩「獄中有感」が刻された「留魂碑」がある。 「留魂碑」の建立者は、西郷隆盛の無二の理解者と自負する勝海舟である。勝海舟夫妻の墓も洗足池公園にある。 西郷隆盛の「留魂碑」 隣には「勝海舟夫妻の墓」がある。 池を左側から一周りして降りてくると図書館があり、その2階には「勝海舟記念館」があった。 時間の都合もあり、見学は出来なかった。 その後、これもNくんの発案で銀座に出てビヤホール「ライオン」で一息入れた。 これまで経験したことない雰囲気でビヤホールとはこういうものかと実感した。 夜にならないうちに解散し、私達鹿児島組は明日の皇居東御苑や日比谷公園散策を約束して千葉の海浜幕張のホテルに帰った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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