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ジージの南からの便り

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2023.08.16
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カテゴリ:旅行・ドライブ




 先日のブログに書いたように、今回はこれまで入ったことのないグラバー園の一番上にある入口から入って順路に従って下りながら見学するというコースをとった。 
  順路を行くと「高島流和砲」というものに出合った。私は高島秋帆がつくったという大砲(和砲)を見て、テレビの「お宝鑑定団」で見ていた砲術家の澤田某鑑定士を思い出した。いつだったか高島流の砲術のお宝が出品されたとき、鑑定をしながら、得意満面で話をされていたのをこのグラバー園で思い出した。


 「旧ウォーカー住宅」荷揚げ業を営んでいたようだ。
詳細は案内板にあります。




 桜の時期を狙って行ったのだが、ドンピシャリ。グラバー園の桜も満開だった。


 日本西洋料理の開拓者・草野丈吉は天保11年(1840)に市内の農家に生まれた。21歳で出島のオランダ領事館で修行し文久3年(1863)24歳の時、自宅で小さな西洋料理店を開いた。
長崎奉行が外国人接待の為に使ったりしたが、岩崎弥太郎やジョン万次郎も客としてきたそうだ。
そのあと、山内容堂や五代友厚にも取り立てられ、京都博覧会に際して、外国人向けホテルを経営した。
読みにくいが、詳細は下の案内板にあります。






 蝶々夫人を歌う三浦環像
三浦環は世界に認められた最初の日本人オペラ歌手である。
「マダムバタフライ」と称されて世界各地で主役として2000回以上の舞台で歌った。
「夫ピーカートンは必ず帰ってくる・・・」という「或る晴れた日に」は有名。


 「旧リンガー住宅」 国指定重要文化財




 「旧スティール・アカデミー」旧ステイイル記念学校




 「旧グラバー住宅」国指定重要文化財/世界遺産




 トーマス・ブレイク・グラバー像


 グラバー園の見学も終わりに近く下に来ると、この日も外国の大型客船が停泊していた。


 見学を終わり、外に出て先ほど通った坂道を下って次の目的地である「唐人屋敷」向かってに急いだ。





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Last updated  2023.08.16 15:55:17
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