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カテゴリ:旅行・ドライブ
福岡県の志賀島で奴国王金印の地である「金印公園」を訪ねた後、車で5分くらいの「蒙古塚」に向かった。 下の案内板にあるように、また私たちが学校で習ったように元寇は日本の鎌倉時代中期の1274年と1281年の2回にわたりモンゴル帝国(元朝)および属国の高麗により対日本侵攻を行った。 1度目を文永の役、2度目を弘安の役とよんでいる。特に2番目の弘安の役において日本に派遣去れた艦隊は当時世界最大規模のものであったと言われている。チンギスカンの血を引き継ぐモンゴル帝国第5代皇帝フビライの命によって1268年高麗から派遣された使者は大宰府において口頭と書面によって「蒙古」の存在を伝達したことで日本側にも知られるようになった。 この戦いで最後は神風によって勝利たということが伝わっているが、近来の研究においてはそれも疑問視されているという話もある。 昭和2年建立された蒙古塚(蒙古軍供養塔) 張作霖書による「蒙古軍供養塔賛」 話題は飛んでもない方向に発展するが、蒙古軍来襲で日本に大きな騒ぎをもたらした元(モンゴル)が今、日本の大相撲に大きな影響をもたらしているのはどういうことなのだろうと考える。 いや大きな影響どころか、今やモンゴルの相撲取り失くしては、日本の大相撲が成り立たないほどになっているのは日本人としては悔しいけれども現実である。特に安定した力を求められる横綱にはこのところなかなか昇進することがむつかしくなってきている。 68代 朝青龍、 69代 白鵬、 70代 日馬富士、 71代 鶴竜、 72代 稀勢の里(日本人) 73代 照ノ富士。 そして次を狙う大関も霧島、豊昇龍のモンゴル勢2人と日本人・貴景勝の1人である。関脇で好調の琴の若にがんばってもらいたいものだ。日本の国技たる大相撲が「庇を貸して母屋を取られる」という状況にモンゴルとの歴史が関係しているとは思わないが、不思議なことではある。 しかし、大相撲にモンゴル勢だけでなく広く外国人が参加していることはいいことだとも思う。 遅い昼食のために「旬彩処 大岳」に入る。 この後、ホテルに向かった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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