道聞かれ顔のシナプス切れる。
そのとき、私は、ロサンジェルスから日本に帰る飛行機の中にいました。隣には娘を従えての二人旅。前日までの強行軍と、帰国してからのスケジュールを思うと、私は、”最初の5時間は絶対にねる!”と、硬い決意を持っていました。そのユナイテッド機は、成田経由で、香港に飛ぶ便で、見たところ白人アジア人半々、という割合でした。娘を窓側の席に座らせながら、私はすでにイヤな予感がしていたのです。通路側の隣りのアジア人、一瞬香港チャイニーズかと思いましたが、ぷんと漂うキムチの匂いと、手にしたブルーのパスポートで、アメリカ人になった韓国系の、コリアンアメリカンとわかりました。年のころは50代か。席についてすぐ、私は右隣のその男性から発される、ものすごい道聞こうビームを体中に感じ、それをブロックすることに必死になっていました。”イヤだ! 今はイヤだ! 私はねるんだ~~!”と。しばらくの間は、はりめぐらしたそのバリアと、完全に左の娘のほうしか見ない作戦が功を奏していましたが、ついにその時はやってきました。トイレ。に、行きたくなったのです。その人を乗り越えるかのようにして通路に出、トイレから戻ってまた煩わせた後、”Thank you, sir."それが、鳴り響くゴングでした。それから、2時間、いや3時間か。事情徴収のように、彼は、私の全てを、私の人生の全てを知りたくなってしまったのです。「アメリカには何をしに?」から始まり、仕事やら、学校やら、家族構成、どこで英語を習ったやら、ついには親の職業まで。それだけならよかったのです。私の全てを聞きだした彼は、悪いことに、超日本通でした。彼が、私が聞いたこともない北海道の地名や、モンゴル出身の相撲取り、そして、大名の説明を求め始めたときには、私の日本文化、一般常識、全てへのシナプスがブツブツと切れ始めていました。そして、話は日本文学に及んだのです。ソウル大学で英文学を学んだはずの彼は、なぜか、超日本文学通でもあったのです。彼が手から離さなくなったメモの為の紙ナプキンに、ボールペンで、”大望”と書いて、なんと発音するかと聞いてきたとき、私は迷わず、「それはGreat ambition みたいなもので、普通は”野望”というほうがナチュラルだ。」と言いました。すると彼はすかさず、日本人のなにやらが書いた小説は大望となっている。などと、即答するのでした。そして彼が、「あの、腹切りをした小説家の名前はなんだったか」と、聞いたとき、私の最後のシナプスがぶちっと音を立てて切れ、頭が真っ白になったのでした。ええと、ええと、なんだっけ、なんだっけ?彼は更に言います。「ユキオだ、彼のファーストネームはユキオだ。」と。そう、知ってるのよ。私だって、ユキオだってことは。ええと、ええと、ユキオといえば?そう、青島!え?違うよ。青島じゃない!もうだめだ。頭の中で青島幸男がぐるぐる回り始めた。錯乱した私は、知るわけもない隣にいる娘に必死にすがり、「ねえ、ねえ、ユキオといえば?」と叫んでみると、成り行きを察した娘は、彼女なりに必死に考え、「はとやま?」などと答え、私の脳内状況は更に悪化して、青島幸男と鳩山由紀夫が追いかけっこを始め・・・「ちょっとした、度忘れというものにかかったので、このフライト中には必ずお答えいたしましょう。」と、弁解する私を彼はもうむしろ哀れみの眼差しで見つめて、おおらかにうなづき、挙句の果てには、「Oh!ミシマ!」と、自分で思い出したのでした。せめて、私の大学の専攻が、日本文学だったってことを、知らないでいてほしかった・・・この時ほど、自分がこれでも日本人であるといこと、道聞かれ顔であるということを恨んだことはありませんでした。どうしているかなあ。あのコリアンアメリカンのおじさま。私も読みます。三島由紀夫。