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2022.10.22
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カテゴリ:カメラとレンズ
フィルム感度がISOの10~15程度だった戦前に於いて、
レンズの大口径化は今より遥かに重要な事であり、
1924年に写真・映画機材メーカーのエルネマンから登場した、
世界で最も明るかったエルノスター10.5cmf1.8は、
光学界のエポックメイキングであり衝撃的なものだったらしい。


既に新時代の35mmカメラを具現化したライカが登場して世間の耳目を集めてた当時、
保守的な名門ツァイスグループにとって新たな大口径レンズの出現は悪夢であり、
その新しいライバルの出現を看過することが出来なかったらしい。

1926年になるとツァイスグループは密かに動き出す。
まずドイツ銀行からインサイダー情報を入手して、
エルネマンの大株主だったクルップ社との合意を取り付けると、
創業者のハインリッヒ・エルネマンも預かり知らない内に、
金銭的敵対買収によりエルネマン社を買収してしまう。


エルネマンの名前が世の中から消えた後に、
カールツァイスは早々に買収による投資の回収を始める。

元エルネマンの光学デザイナーでエルノスターを設計した、
当時26歳の鬼才ルートヴィッヒ・ベルテレ氏に対し、
まだf2.8のテッサーが一番明るいレンズだったコンタックス用に、
コンパクトで大口径というエルノスターの特色を生かした、
新しい大口径レンズの開発を求める。

その成果がゾナー50mmf2とf1.5であり、
1931年に特許を取得すると1932年に発表される事になる。

【戦前のカールツァイスレンズのシリアルと製造年】
 1912y:173418~200520  1920y:375194~419823
 1913y:208473~249350  1921y:433273~473361
 1914y:249886~252739  1922y:422899~498006                     
 1915y:282800~284500  1923y:561270~578287
 1916y:285200~288100  1924y:631500~578297
 1917y:289087~298157  1925y:631500~648500
 1918y:298215~322748  1926y:666790~648500
 1919y:322799~351611  1927y:722196~798251
                      1928y:903100~908150
                      1929y:919794~1016885
 1930y:922488~1239697
 1931y:1239699~1365582  1940y:2652000~2678000
 1932y:1364483~1389279  1941y:2678326~2790346
 1933y:1436671~1456003  1942y:2800000~
 1934y:1500474~1590000
 1935y:1615764~1752303
 1936y:1674882~1942806
 1937y:1930150~2219775
 1938y:2267991~2527984
 1939y:2527999~2651211

構成図は上がf2で下がf1.5。
コーティング技術がまだなかった時代に3群6面の反射面というのは重要な事であり、
8面の反射面を持つエルノスターは48%もの光学損失があり実力はf2.8程だったらしい。


ゾナーはその後も、1940年頃のTコーティングによる透過率アップと共に、
戦後の1945年以降の西側でもベルテレ氏により新しい硝材と共にアップデートされていく。

1941年には更なる大口径化も試みられている。
但し、製造技術の難しさと余りにも高価になり過ぎる為にプロジェクトはキャンセル。
構成図を見ると、最後の4枚張り合わせがゾナーの大口径化によるコマ収差低減の限界を表している。
(USパテント2254511Aにみるゾナー50mmf1.4)


やがて、戦後賠償で1945年にドイツの特許が無効化されると、
旧ソ連や日本のメーカーでコピーや改良が試みられる事になっていく。

その後、東側のイエナでもゾナーの名称は維持されて1990年まで存続して、
西側ではオーバーコッヘンにて1947年から現在に至るまで継続中だけど、
近年はベルテレ式ゾナーとは無縁のズームレンズにのみ名前が残っているだけになってしまった。


ゾナーの名称の元ネタは、
ゾントハイム・アム・ネッカーの街の紋章にある太陽であり、
それは地元にあったカメラメーカーのネッテルと、
シュツットガルトのコンテッサが1919年に合併した、
コンテッサ・ネッテルのテッサー型レンズの名前だったらしい。

但し、ゾナーの名前が正式に知られるようになったのは、
1926年にコンテッサ・ネッテルがツァイス・グループに買収された後の事で、
この買収劇もライカの登場で35mm精密カメラの必要性に駆られたものと思われる。



他にも1932年にはゾナー85mmf2、135mmf4が発表されて、
1936年にはオリンピアゾナーで有名な180mmf2.8が登場して、
1937年には、当時最も高価な小判レンズだった300mmf4が発表された。

地味だけどゾナー135mmにもベルテレ氏のエッセンスは注がれていて、
取り分けゾナーらしい2群目の分厚い張り合わせレンズをみると、
両凸のエレメントの硝材にはフッ系クラウンという高屈折低分散のED系が使われ、
それに続く分厚い凹レンズには鉛フリントの高屈折高分散の硝材が使われて、
像面の平坦化と色収差と球面収差の補正に加えて、
焦点距離に比べて短い望遠レンズを実現している。

開放からしっかりした描写のゾナー135mmは、
東側のイエナでも1965年にブラッシュアップされてf3.5となった。

このゾナー型のレンズ構成は旧ソ連でも引き継がれ、
1957年のシュナイダー・テレクセナー135mmf4も同じレンズ構成だ。

1946年にスイスへ移住して事務所を構えたベルテレ氏は、
自らゾナー135mmの改良を試みて、
それはシャハトのトラベナー135mmf3.5として結実。
張り合わせのない4群4枚には異常分散ガラスや多層膜コートが使われて、
以来、新しい望遠レンズの基本構成として受け継がれていく。


ゾナー85mmf2は50mmの発展型ともいえるもので、
戦前からポートレートレンズとして高い評価を受けて、
それは1959年に登場して7585本作られたコンタレックス用にも受け継がれた。
1932年当時は3群6枚だったのが1939年にはベルテレ氏により3群7枚に変更された。

家にあるコンタレックス用のゾナー85mmf2。
元からバルサム切れの奴を格安で入手。
マウントを改造して使おうと思っていたのだけど放置。
造り込みが凄い。


西側のゾナーレンズはベルテレ氏のオリジナルを原型に、
1960年代のコンタレックスを経て、失敗に終わったローライ・プロジェクトを通り抜けて、
やがて日本のヤシカとの協業で更に改良されていく事になる。


家にあるゾナー85mmf2をコンタックスⅢAに付けて見る。
当時は、そんじょそこらに転がっている代物ではなかった超高級品だった。

戦後まもなくは、まだ余裕のあった東側から供給されたレンズに、
西側ではシュツットガルトの文字が入ったケースとキャップを付けて売っていたらしい。
レンズケースの本体は紙だけど、赤い部分にはビロードが張られている。


当時の高級ポートレートレンズだったゾナー85mmf2は、
デジタル時代の今でもその輝きを失う事は無いだろう。
シリアルからして1945~1949年に作られた、
手持ちのカールツァイス・イエナのゾナー85mmf2。


ベルテレ式ゾナー85mmの最終発展形は、
やがて日本のヤシカとのプロジェクトで完結して終焉を迎える。
MTFを見ても、開放からしっかりしているのが伺える。


f値が2.8とはいえ、正統なベルテレ式ポートレート・ゾナー85mmの末裔が、
最初は西ドイツのカールツァイスで生産されていた事実から、
ゾナーは相変わらず重要な存在であり、彼らはその名前に敬意を持っていたのだろう。

恐らく、こういう比較的地味なレンズと向き合う人は写真への真剣度が違うので、
変な珍品レンズや有名な大口径をぶら下げていたら隠れた方が良い。


かつては大口径高解像レンズの代名詞だったベルテレ流のゾナーは、
ダブルガウスのコマフレアと反射面の問題がクリアされると、
それに呼応するかのようにダブルガウスのプラナーへ金看板を譲り、
開放からしっかりしたコンパクトで実質的なレンズへと変化していった。

それもやがてデジタルの台頭で、CCDの結像面に平行の光軸が必要になり、
それ用の光学理論は古典的なベルテレ・ゾナーを世の中から駆逐してしまった。


【戦後のカールツァイスレンズのシリアルと製造年/1975年まで】
●東独カールツァイス・イエナ
1945~1949y:3000000~3200000
1949~1952y:3200000~3470000
1952~1955y:3470000~4000000
1955~1958y:4000000~5000000
1958~1961y:5000000~6000000
1961~1964y:6000000~7000000
1964~1967y:7000000~8000000
1967~1970y:8000000~9000000
1970~1975y:9000000~10000000

●西独カールツァイス・オーバーコッヘン
1946~1951y:10000~500000
1951~1953y:500000~1100000
1953~1959y:1100000~2600000
1959~1961y:2600000~3000000
1961~1965y:3000000~4000000
1965~1969y:4000000~5000000
1969~1971y:5000000~6000000
1971~1975y:6000000~7300000





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最終更新日  2022.10.24 21:07:19
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