ナザレ園訪問感想 2- 迫害を受けた日本人
日本と世界の間に起きた歴史的事件に関して、何でもかんでも日本が一方的に悪く、相手国はひたすら被害を受けた側だと言う話になることが多い。しかし、どう厳しく見ても日本が被害者である事件は多い。広島、長崎の原爆投下は言うに及ばず、東京を始めとする各都市の大空襲、第二次世界大戦中の米国における日本人強制収用と財産の剥奪、中国における日本居留民の虐殺事件(通州事件)などが将にそうである。韓国慶州ナザレ園に収容されているお婆さん達が終戦直後韓国社会で受けた仕打ちは将にこれに当てはまる。彼女達は第二次世界大戦前後に、韓国人男性と結婚し亭主の祖国に移り住んだ人達である。それが、日本の敗戦後、朝鮮半島は日本統治から外れ反日感情が渦巻き、亭主から離縁され(或いはよその妾にされる人も居たそうである)、帰国するにも日本に身寄りがなくなった不幸な過去を背負っている。およそ古今東西、この様な暴挙をする社会は聞いたことがない。どうひいき目に見ても韓国が加害者、日本が被害者の立場になる。このことを、日本統治や戦争のせいにしたがる人達が支配的であるが、それとこれとは話が全く違う。日本統治下の朝鮮半島に戦争はあっただろうか。ナザレ園の創設者である金龍成氏の著書に出て来る悲惨な戦争体験は朝鮮戦争を指しており、日本とは無関係である。無関係どころか、日本統治がなくなってしまったことで朝鮮半島が無政府状態となり、そこに北と南の政権が発足し、ぶつかり勃発したのが朝鮮戦争なのだから、むしろ日本統治下の朝鮮半島の方が平和だったではないか。ましてや日韓間(或いは日朝間)で戦争などあっただろうか。あったと思っている方は歴史を一から勉強しなおしてもらいたい。百歩譲って、日本の統治が韓国人の反日感情を高めたとしても、彼らの日本人女性への迫害は明らかに人の道に反した行為であり、決して許される物ではない。世界中のかつての植民地国家が独立の際に、宗主国に対してこの様な暴挙が行われた事例はあるだろうか。私は聞いたことがない。 私は決して韓国が嫌いでこう言うことを書いているのではない。韓国の文化は大好きであるし、信頼出来る親しい韓国の友人も居る。しかし、この手の話をする際は、理不尽に日本ばかりが責められ不公平であるため、一言添えておきたい。 しかしながら、上述の様な日本人迫害のあった中で、勇気を振り絞り、自らの反日思想を抑えてまで目の前で苦しんでいた日本人女性を救ったナザレ園創設者の金龍成氏は本当に素晴らしい方である。韓国の反日家は、昨今でも日章旗を燃やし、日本の国鳥であるきじを平気で虐殺するような人達が主流である。金氏ご自身も、韓国の同胞から迫害を受ける危険が大いにあった中でそれを恐れずに日本人を助けてくれた。京セラで大切にする「人として何が大切か」と言う考えを勇気を持って実践されたのだと思う。心の底から敬意を表したい。 さてナザレ園のお婆ちゃん達について感想を述べたい。彼女達は厳しい時代を生き抜いて来られ、我々の想像を絶する体験を沢山されていると聞く。しかし私がナザレ園を訪問して学び、自らの行動に反映させなければならないと思ったことは実に単純なことである。それはお年寄りを大切にしようと言うことだ。もう少し具体的に言うと、お年寄りを孤独にしてはならないということだ。ナザレ園のおばあちゃん達が今辛いと思われていることは、過去の辛い記憶よりも、現在身寄りがなく祖国に帰れないことのように感じられる。ナザレ園の園長さんも「今が大事なのです」と言われていた。日本に帰りたいと言う気持ちは強くお持ちのようだったが、望郷の念よりも仲間と一緒に居られる安心感の方が強いため、韓国の慶州に留まっているのである。 似たような経験をしたことがある。私の母が73歳になる際、住み慣れた故郷を離れ、私の現住所近くへ引っ越して来たが、並々ならぬ不安があったようである。それは、新しい環境で知り合いが居らず孤独になることあったようだ。我々若い者は、新しい土地に移ってもさほどに孤独に感じはしないが、同じ環境でもお年寄りが感じる孤独感は、我々若者の想像には到底及ばない物のようである。今では母も知り合いが増え、逆に息子(私)夫婦が近くに居るという安心感から、こちらに来て良かったと言ってくれるようになった。お年寄りにとって、孤独が何よりも辛いということを私は感じた。それはナザレ園のおばあちゃん達を見ても同じ様に感じた。既にお亡くなりになったおばあちゃん達のお墓にはこう刻まれている。「私達は死んだら韓国の土になります。魂だけは祖国の日本に帰りたい」。帰りたいけども帰れないおばあちゃん達の複雑な思いがよく現れている。 皆さんは、このナザレ園のことを知り、ナザレ園の慰問に行きたいと思ってくれたでしょうか。思ってくれたならば、それは大いに結構なことで、機会があれば是非参加して頂きたい。一人でも多く、ナザレ園に行き、おばあちゃん達を励まして頂きたい。おばあちゃん達はきっと喜ばれるだろう。しかし、一方で慰問の機会に恵まれない方は、何もしなくても良いかと言えばそうではない。また、慰問に行った人達も、慰問の後は何もしなくて良いのか言えばそうでもない。海を渡らずとも誰でも簡単に実践できる善行がある。それは身の回りに居るお年寄り、即ちご自分のご祖父母、ご両親、近所のお年寄りを大切にすることである。昨今、親との同居を避ける若夫婦が多い中、お年寄りが孤独に暮らしている姿をちらほら見かける。もし周囲のお年寄りを放置して、ナザレ園に行き3時間程度善行をしたとしたら、それは本末転倒であり、偽善と言われても仕方がない。ナザレ園に行って見たいと言う気持ちが起こったならば、同時に周囲のお年寄りにも優しくして頂きたい。今回私と共にナザレ園を訪問された方々は、これをきっかけに周囲で孤独にされているお年寄りの存在に気付けるようになって貰いたい。そして残念ながら慰問に行けない方も、私のこの拙い話をきっかけに、お年寄りに孝行出来るようになって頂ければ本望である。