土俵の真ん中で相撲をとれ!
我社にある京セラフィロソフィでは「土俵の真ん中で相撲を取る」と言う言葉がある。何事も余裕を持った仕事をするようにという意味である。一方昨今の我社も含め世間では、給与にせよ雇用者数にせよ、全て平時の必要数ぎりぎりで運用してこれを「無駄の排除」に含めて尊んでいる。そう言う徹底的に無駄を排除した国家や会社と言うものは総じてもろい物である。ちなみに実例を挙げて申し訳ないが、昔よく消防署の掃除にバイトで行っていた。事務所の中に6畳くらいの休憩所があった。実際どの程度の頻度で使われているかはわからないが、我々が掃除をしているときは、隊員さんたちがそこでごろ寝して漫画を読んで休憩していた(しょっちゅうごろ寝しているわけではないと思うが)。こう言うのを、今の世間では税金の無駄遣いと呼ぶかもしれない。火事が起こらず平和な時が続けば確かに「結果的に」無駄になる。もっと人を減らせという話にも繋がるかも知れない。でも、大震災など通常ではない規模の大火災が発生した時、ぎりぎりの人員で消防署が運営されていたらどうなるか。平時にごろ寝している隊員さんの存在が必要不可欠なのである。そして、もしそう言う大火事がが起きて、人が足りないことに気付いたら「全ての最悪事態に備えておけ!」と国民が方々から集団砲火をするのは間違いない。何でもかんでも無駄無駄と目くじら立てるのはもうやめにしよう。国民が無駄排除を期待して選んだ今の民主党政権が行った事業仕分け。これで、津波対策費が削られてしまったこと、他人事と捕らえないで欲しい。それとも東日本大震災は国民にとって「想定外」だったのか?国民とて土俵の真ん中で相撲を取らないといけないのではないか?