祖母の手紙
昨今、母が25年前に死去した私の祖母の手紙を見つけ見せてくれました。祖母は母方のことで、母にとっては実母にあたります。私が7歳の時に他界したため、余り祖母のことを知りません。生前もそれほど交流があったわけではなく、本当に数える程度しか思い出はありません。母から聞いていた話から色々想像をしていました。本日、祖母の手紙を見て驚いたのは、字が非常に汚かったことです。本当に小学生の息子の様な字だったのです。しかし、それには事情があります。祖母は明治30年代の産まれで貧しい家庭に育ったため、小学校も行っていなかったと聞きます。幼い頃、近くの学校の窓の外から授業を見て色々苦学したと聞きます。当然、学校に行けない分、何らかの労働をしていたのだと思います。字を書くのが非常に苦手だったそうです。しかし、そうありながらも、文面を見ると日常的なことが具に書かれていて、祖母と話をして来たような気になりました。 私には16歳上の長兄が居ります。ダウン症を患っており、48歳になった今も一人で生活は出来ません。その兄が産まれた頃、祖母が母に宛てた手紙でした。兄が言葉を発したと言うことに、涙したと言う内容でした。普通の子が言葉を出す時の喜びとは意味が全く違うのです。障害者が産まれた自分の娘に対する気遣いがにじみ出る様な文面に、私も非常に心打たれました。 今週はてっぱんの親子のシーンと言い、祖母の手紙と言い、非常に感傷的になった1週間でした。そう言うこともあってか、今まで息子には話してこなかった私の生い立ちを話し、私にとって家族こそが最も安らげるより所であることを伝えると、涙を流して聞いていました。私は妻子との信頼関係は決して揺らぎません。本当に家族って素晴らしい物です。しかし、その素晴らしい家族は、今トヨタがテレビでやっているような「イマドキ家族」では決して築けません。一定の秩序と敬意から築かれた信頼関係に基づいています。そう言うものを古臭いと一蹴し、イマドキ家族がいいんだと思っている人も多いから、ああいうCMが蔓延るのでしょう。しかし、イマドキ家族って何がいいんですか。いつもふざけあって、面白おかしく過ごしても、いざ困った時に、そう言う家族がどれだけ自分の為に親身になってくれると言うのでしょうか。甚だ疑問です。