アカディアン
最近尖閣ネタが多いので、少し話題を変えます。余り書いていなかった、海外体験の話です。我々日本人が、しかと学ぶべき体験についてご紹介したいと思います。皆さんは、アカディアンと言う民族をご存知でしょうか。或いは北アメリカの歴史をご存知でしょうか。アメリカ大陸をコロンブスが発見したと言うところまでは多くの方の知る所です。しかし、アメリカやカナダと言う国家の始まりは意外に知られていないのではないかと思います。そもそも、北アメリカにおける白人支配の原点とも言うべき地が余り知られていないと思います。皆さんニューファンドランドはご存知ですか。ノバスコシア州はご存知ですか。ヨーロッパ人の北米入植は、これらの地から始まっています。アメリカ、カナダでは東に行くほど歴史の深い(と言っても精々400年程度までですが)都市が増えていきます。これは、ヨーロッパ人が東から入植し、勢力を西へと伸ばしていったことの痕跡なのです。ニューファンドランド、ノバスコシア州はカナダでも最も東に位置する地域です。この地は17世紀初頭にフランス人の入植が始まり、18世紀中頃にイギリスがフランス人居住民を追放し占領した土地なのです。この時、一部は身を潜めて同一州内にひっそりと暮らしまたは近辺地域に逃れ、一部はフランス本国へ強制送還され、一部は現在のルイジアナ州に追放されるなどしたそうです。この身を潜めていた人達がアカディアンです。要は、カナダにおけるフランス系入植者の子孫なのです。ちなみに、ノバスコシア州を含む近辺領域をアカディアと呼んでいたそうです。2004年の夏、私は妻子と共に、このアカディアンが多く逃れたといわれるプリンスエドワード島に行きました。その年はアカディア建国400年記念だと言うことで、アカディアンの家庭では、彼らの国旗(現在では存在しない国家なので国旗とも呼びがたいが)を家の玄関に飾っていました。今生きているアカディアン達は、建国当時のことも、在りし日のアカディアの事も当然知らないが、親から子へ、子から孫へと語り継がれ、愛国心を温存して来たのです。私は、このアカディアンを見ると、つくづく今の日本はおかしいと思いました。理不尽に国を追われても、身を潜めながらも250年間自分達の民族意識を温存してきたアカディアンに対して、日本人は自ら国旗を粗末にしているのです。日の丸は戦争を象徴するからとか言われますが、このアカディアン達も、アカディアと言う国を建国するにあたり、原住民のインディアンから領土を侵略しているのです。穏やかに話し合いだけで実現したはずはありません。正真正銘侵略国家です。しかし、それでも自ら樹立した国家に対して誇りを400年間持ち続けてきたのです。それが国家の誇りと言う物なのです。 日本を誇りに思わない人達は色々な言い訳をします。過去アジア諸国を侵略したから、かつては経済大国だったが今は何もなくなったから、グローバル化が進む中国境の意味がないから愛国心と言う概念は時代錯誤だとか。色々あります。しかし、日本が侵略国家だから愛せないならば、世界中の多くの国々は愛国心を否定しなければなりません。上記のアカディアはもちろん、カナダ、アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、ロシア、そして中国など。しかも、日本は諸外国に比べて私利私欲のために他国を支配したことはありません。全て安全保障の必要に迫られての結果です。むしろ、植民地に苦しむ国々に独立の希望を与え、後の独立運動の気運を作っていった輝かしい過去があるのです。また、昨今技術力や経済で他国に抜かれ、今世界に誇れる物が少なくなって来たから誇りに思えないと言う理屈もおかしい。それはまるで、お金をたくさん稼いでいる間は夫を愛し、稼ぎが少なくなれば愛せなくなる妻と同じです。愛と言う物は、その調子の良し悪しで変動する物ではありません。更には、グローバル化が進んでいるから国家を意識するのはおかしいと言うのならば、それは中国に向けて言って下さい。ロシアに向けて言って下さい。韓国に言って下さい。世界は今も尚、自国の国益だけの為に虎視眈々と動いています。自らの国境を否定し、自ら持っている物を全て差し出すのが良いと信じているのは、世界広しといえども日本だけです。人類は皆兄弟と思っているのも日本人だけでしょう。何があっても愛国心とは普遍的で変動する物ではないのです。国を負われても愛国心を温存してきたアカディアンに我々は大いに学ばなければならないと思います。どうでしょう。お正月に玄関に国旗を飾ってみようと言う気になりませんか。