豊臣秀吉
秀吉と言う人物は昨今余りに悪く描かれすぎています。腹黒く女癖が悪い親父と言う描き方がかなり定番になっています。しかし、我々が知り得る歴史を冷静に顧みても秀吉だけがこの様な悪評を受けるのは余りにおかしい。例えば、側室の数が多いことから女癖が悪いと言うイメージで描かれますが、家康とて側室の数は負けていません。時代を変えれば徳川家斉など、側室が多いことで有名な人物は居ます。そもそも、当時の殿方が側室を持つのは世継ぎを儲けるためで、秀吉の様に世継ぎに恵まれない殿方が多く側室を持つのは、経済力が許す以上至極当然の話です。例えば秀吉が女狩りをしていたと言う噂がありますが、これも根拠のない話です。よって、秀吉が他の人物と比べて特別女癖が悪いと言う話はないのです。 腹黒いと言う描き方ですが、これも昨今不適切に思えてきました。今の大河ドラマ「江」の秀吉は悪徳商法のセールスマンみたいな描き方をしていますが、これはあんまりです。秀吉は信長亡き後の混乱をわずか1~2年の間に鎮めた名君です。秀吉と言う人物は、人を治める、即ち天下を鎮めるための術が瞬時にわかり、それを短時間で実行する能力に長けた人なのです。まず、本能寺の変と言う、まとまりかけた国家が根底から覆される大事件が起こり、明智光秀がそのまま生き残っていれば織田家の体制は2分され、再び血で血を洗う戦国時代に逆戻りしたはずです。それをわずか事件後10日で光秀を討ちこれを鎮めました。この功績は非常に大きい。更には織田家の家督相続を三法師に押し立てた一件も、分裂しかけた家中を防いだ快挙だと言わざるを得ません。家中では次男信雄、三男信孝の間で家督争いが起きており、将に家中を二分する危険な状況だったのです。もし秀吉が、控えめにして信雄か信孝どちらかについていたらどうなったでしょう。織田家は間違いなく分裂し、やはり天下は再び戦国時代に逆戻りしたでしょう。このときに、誰の目から見ても公平な血筋を持ち出し、三法師を押し立てて家中を静めたのです。これは実に見事な対応です。そして、自らは長浜城を柴田勝家に差し出し、勝家と市の婚儀を仲介し家中を丸く治めようとしているのです。しかし、秀吉と勝家と言う2人の実力者が家中に居れば、自ずとぶつかり合うのは必至です。どちらが先にけしかけたかと言えば、柴田の方ではないかとさえ思います。柴田が秀吉の影響力が大きくなりすぎていることを嫌い、諸大名に弾劾上を送りまくったそうです。これでは、争いが起きて当然のことです。秀吉が一歩引いて治まるような状況でもなかったでしょう。どちらか一方が滅亡しない限りは治まらない事態だったと思います。いずれにしても、秀吉の行動は当時の政治状況を見て、どこも腹黒い行動とは思えません。当時下克上が常だった時代でありながら、秀吉は主家の織田家を潰さずに残した点を見ても、秀吉の織田家に対する敬意は見て取れます。ちなみに、家康は主家だった豊臣家を滅ぼし、その後250年間に渡り豊臣家の名誉を傷付けてきたのです。どちらの方が悪質でしょうか。 秀吉は物事の本質を短時間で見抜けるずば抜けた能力があった人だと思います。しかしだからと言ってホリエモンの様なことはなく、柴田勝家に長浜城を差し出すなど、周囲の不満を和らげる気配りも怠らない謙虚な一面も十分にあったのです。秀吉はもっと名誉を回復されて然るべきです。今の日本に必要な人物は秀吉の様な人だと思います。