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2012年10月20日
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先日、ナッシュビルでのクラスを終えて、NYに戻る前日の夜のこと。
クラスの間、英語づくめだったこともあって
なんだか日本語の本でも読みたいなあ、と思いたち、ホテルで
ネットをいろいろ見ていて、ふっとあるサイトで目が止まったのが
なぜか、お片付けの本。

「人生がときめく片付けの魔法」近藤麻里恵著

かなり売れて、ベストセラーになった本だそうなので
読まれた方も多いかしら?

これが、アプリで読めるというので
すぐにipadにダウンロードして読んでみました。
たった9ドル(日本では800円)
日本の本は、こちらで購入すると倍ぐらいの価格になるし
しかも、配達の日数がかかるので
アプリで、即購入して読めるのは、ほんと便利。
しかも本を増やさなくてすむので、とても助かります。
kindleもソフトをダウンロードすれば、ipadで読めることを
先日、クライアントさんから教えてもらって、早速使っています。

そして、そのほとんど娯楽として読んだこの本が、予想以上に素晴らしく
ナッシュビルからニューヨークの家に戻るやいなや
洋服や本をクローゼットや本棚から全部ひっぱりだし
その日の夜は、いきなり引越しのような騒ぎになりました。
あ~ほんと、やりたいと思ったら最後、
次の日のことも考えず、とめれないこの性格(←調整する気なしあっかんべー

私は、確か8年ぐらい前だったか
「ガラクタ捨てれば自分が見える」の本を読んで以来
不要な物は即処分の人なので
基本的には、家のリビングやセッションルームはいつも片付いているし
それほど困っていなかったのですが
そんな私でも、この本を読んで、目から鱗の部分がいろいろあり
今回、かなりの量の物を処分しました。

この本の著者、片付けコンサルタントの近藤まりえさん
通称、こんまりさん曰く

「片付けは毎日するものではありません。
片付けは祭りです。
一度祭りの片付けを終えたら、もう二度と片付ける必要はないのです」

うん、片付けを「祭り」と表現するのは
とてもクリエイティブで好きだなあ。
祭りなんて言われると、それだけで片付けをしたくなってしまうのは
私だけかしら。

まず、洋服を処分する基準は、私は着なくなったら、とか
古くなったら、という発想だったのですが
こんまりさん曰く、
ときめかないものはすべて処分。
クローゼットに入れたままではなく
すべて取り出して、一つ一つ手にとって、ときめくかどうか?
しっかり自分自身に問いかけながら、感じていかなければ
見えてこないと言います。

私は服や靴はかなり少ない方ですが
わくわくしなくてもたまに着るから、と取ってあるものがありました。
片付けは幸せになるために行うのに
ときめかないものを持っていること自体が
幸せな時間を過ごしていないということ。
う~ん、納得。
でも、私にとっては、アメリカでは私が着たい服は
あまり売っていないので、この基準で厳密に選んでゆくと
ほとんど全処分になりそうな感じなので
若干必要性で選びましたが。
これから、ときめく服を買いたいなあ。

また私にとって、今回取り入れてよかったのは
衣替えをしないという前提で片付けるということ。
確かに、冬でも旅行などでTシャツが必要な時もあるし
季節の変わり目など、衣替えをしなければならないのは面倒だったりします。
最初にときめかない服を捨てていったら
季節外れのものをクローゼットの奥に収納しなくても
余裕のスペースになりました。
それで、これまで季節外れのものを入れてクローゼットの奥にしまっていた
一番大きなサイズのスーツケースが空になったので、それも処分。
この大きなスーツケース、以前12年ぶりに日本に戻った時に一度だけ使ったもので
それ以来一度も出番がなく、きれいなままだったので
家の外に出していたら、誰かがすぐに持っていってくれました。

物を捨てる罪悪感は、私と同じぐらいの年代の人や
それ以上の方は、多くの人が持っていると思うのですが
この罪悪感がゆえに、物にあふれて
逆に本当に自分にとって、大切なものが見えなくなってしまい
結果、本当の意味では、物を大切にしていないことになってしまう
こんまりさんは、そう伝えます。

幸いなことに、私の家から2ブロック先に
不要な服を回収して必要な人に送るための
大きなボックスが設置してあって、捨てる服は、そこに入れておけば
誰かに送られてゆくので、少なくとも服を捨てる罪悪感は持たずにすみます。
これまで本は、家の隅に箱をおいて
「ご自由にどうぞ」と書いておくと
セッションに来られた方が持っていってくれるので
ほとんど処分できるのでそうしてきたのですが
この本を読んであらためて感じたのは
それは逆に誰かにとっては
「不要なもの」を増やしてしまったのかもしれないなあと。
(そういいつつ、またお持ち帰り自由の本を出している私ですがあっかんべー

こんまりさん曰く
「モノたちは、「今のあなた」を幸せにしていないことを
何よりも知っているのです。
 なので、持ち主のお役に立てていないと思っているモノたちは
外にでたいと思っているそうなんです。
  
今はもうときめかなくなったものを捨てる。
それは、モノにとっては新たな門出ともいえる儀式なのです。
ぜひその門出を祝福してあげてください。


物たちの声を聴く、家に言葉をかけてゆく、物を送り出す儀式。
など、まさに目に見えないものの世界を大切にする
スピリチュアルな意識での片付け。
すべてはエネルギーなのですから、閉じ込められている物たちが
発するエネルギーはあります。
処分することを、モノへの新たな門出
儀式、セレモニーにしてしまうなんて素敵ハート(手書き)

また、こんまりさん曰く、片付けする順番は
衣類から始まり、本類、書類、小物類、そして
思い出の品は一番最後にすることが大切なのだそう。
思い出の品は、なかなか捨てるか残すかの判断が
難しいところだからとのこと。

私は何年か前に、デジカメ以前のアルバムの写真は
気に入ったものだけ、スキャンでコンピューターに取り込んだ後、
全部処分したのですが、1年ほど前に、そのデータを入れていた
外付けのハードドライブが故障してしまい
いつか修理しようと思いつつ、ずっとそのままになっていました。
これまで、壊れた電化製品は即処分していたのに
このハードドライブは取っていたのは、ここに思い出の写真が入っていたから。
それで、ようやく、先日それを修理に持っていったら
修理代の見積もりが950ドル!
100ドルぐらいで購入したハードドライブの修理代が
950ドルだなんてあり得ないと思うのですが
それを聞いて、ようやく処分する決心がつきました。

考えてみれば、例え、コンピューターに昔の写真を入れていたって
いつか、その写真を見直したいと思ったかどうか。
単なる気休めだったのだなあと。
そう言えば、何年か前に、20年間書き溜めた日記帳を
思い切って全処分したことがありますが
それからただの一度も、読み直したいと感じたことはありませんでした。
今となっては、20年前どころか、数ヶ月前のブログの日記でさえ
読み返すと、あ~これ削除しようと思えてくるので
読まないようにしているのですから
過去の自分が書いたものなんて、ほとんど興味はないのですよね。

それから、素晴らしいと思ったのが
こんまりさんの収納の仕方。
クローゼットに洋服をかけるのではなく、たたむ収納です。
これまで私も、たたむのは面倒
クローゼットにかけておいた方がいいと思っていたのですが
こんまりさんの教えるたたみ方をすると、確かに、なぜかたたみたくなる。
アプリでダウンロードした本を読むと
たたみ方の画像までついているので、よくわかります。
こんまりさん曰く
服を1枚1枚たたむという行為で、その服に感謝を示し
愛情(エネルギー)を与えてゆくということ。
そう思うと、たたむという行為が
とても愛情溢れた豊かな時間になってゆくのが不思議。

物と一つ一つ向かい合って、
ときめくかどうか、で処分するかどうかを決めてゆく。
そして、残したものを大切にしてゆく。
それは、ある意味で、ヒーリングのプロセスと同じだと言えるかもしれません。
「これは~~さんにもらったものだし」とか
「これはいつか使うかもしれないし」
「これはこの前着たばかりだし」など
そういう理屈はすべて頭(マインド)に従った片付け法。
でも、ただそれを持っていて、ときめくかどうか、の基準で選ぶというのは
まさにハートに従ってゆくということ。

こんまりさんは、片付けをいろいろ学び、研究し
理論的にも理解された上で、最終的に
「ときめくものだけを残す」という
ハートに従ったやり方にたどり着いたわけですね。
だからこそ、単なる「片付け」が
クリエイティブな領域にまで高められてきたのだあなと。
考えてみれば、片付けコンサルタントなんて仕事が成り立っていって
それがクリエイティブを発揮できる仕事だなんて
昔は、誰も思いませんでしたよね。
アートや音楽だけでなく、どんなことだって自分が好きなことならば
クリエイティブさを発揮できる、そういうよいお手本みたいな人だなあと。
自分はクリエテイティブではない、自分には何も得意なことはない
そう思っている人は、そう思い込んでしまっているだけのこと。
実際、彼女も以前は、片付けのプロになるなんていう発想はなく
「自分は何がやりたいのだろう。何が向いているのだろう」
とずっとわからなかったのだそう。
それが、自分が小さな頃から好きだった片付けを研究し
極めていったら、多くの人に必要とされるものになっていったわけです。
マインドではなく、ハートに従っていけば
本当に自分にとって、大切なものが見えてきますね。

この本は乙女チックな感じなので、
男性にはどうかなあと思っていたのですが、おさむもこの本を読んで
先日から、彼の持ち物の大片付け祭りが始まっております。
(ふふ〜実はこれも狙い通りなのだけどねウィンク)←サクリャク、さくりゃく♪
私もキッチンの棚の中にはまだ
ときめかないもの、もあるので
明日の夜はキッチンの処分祭りを行う予定ですひよこ






最終更新日  2012年10月21日 07時08分00秒
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2012年02月09日
カテゴリ:

最近、お金に関するIH キネシオロジーのセッションが何度かありました。

お金に限らず、すべてがそうですが
お金に対するそれぞれ持っている意識は
そのまま現実(これが実は幻想なのですが)として現れてきます。
例えば、お金が欲しい、と思っているということは
潜在的には「お金が足りない」という意識ですから
実際に「お金が足りない」という状況を生み出します。

例えば、セッションの中で、クライアントさんの身体が
「経済的な豊かさを信頼します」という目標を選んだ時に
「え?今、現実的にお金がないのに、豊かさへの信頼なんて」
とそれが目標で選ばれたことに驚かれる方がいるのですが
本当は豊かさを(潜在的に)信頼しているからこそ
豊かであるという現実が生まれるのであって
お金を得たから豊かさを信頼できるようになる、わけではないのです。
そして「お金がない」という現実も
自分自身が生み出している幻想です。

自分にとって何が豊かさなのか、よくわかっていない方も多いので
セッションではそこをクリアにしてゆきます。
私にとっては、経済的なものも含め、豊かさとは
「自分が好きなことを好きな時にやることができる力」
例え、収入が多くても、貯金がたくさんあっても
やりたいことをやりたい時にできないのは
豊かだとは感じないのです。
まずは、それぞれの豊かさが何かを見つけることが大切だなあと。
お金の幻想にはまってしまっていると
本当は何が自分にとっての豊かさなのかも見失ってしまいます。

私は20代からずっと
「必要なお金は必ず与えられる」ということを、実感していました。
それらは、いつも奇跡のようにやってきたのですが
(それについて書いていたのですが、長くなったのでやめましたが)
それは、無限の豊かさというより
「お金は何か困った時や、急に必要になった時には必ず与えられる」
という感じでした。
ですから、本当の意味での自由や豊かさではなかったのだなあと。
でも、3年ぐらい前に、お金に対するワークを行って
自分の意識を変えてから自然と
本当に好きなことだけを、好きな時にできるようになってきました。

このお金の幻想は、ほんとうに深く多くの人の人生を
コントロールしています。
これまで、いろんなお金に関する本を読んできたのですが
どれを読んでも、今一つ、しっくりきませんでした。
お金に対しての意識を変えることは、もちろん大切なのですが
マインドによって、いくら収入が増えて、貯蓄できていても
このお金の幻想から抜けれないからなのです。

そして、つい数日前に読んだ本
『マネーゲームから脱出する方法」
ほんとうにダントツによかったです。
なぜならこれは「マネーゲームに勝つ方法」ではなく
「マネーゲームから脱出する方法」ですから。
世の中に、マネーゲームに勝つ方法や成功哲学の本なら、山ほどありますが
作者曰く、マネーゲームは誰も勝者がいないゲームだということ。
やり続けても、どこまで行けば勝ったと言えるのかわからないし
お金は常にリスクがあるので、どんなに上手く資産を積み上げたとしても
いつでも一瞬でなくしてしまう可能性もあるわけです。
例え、資産を増やすことに成功し
マネーゲームに勝っているように感じていたとしても
健康を失ってしまったり、家族との交流の時間を失ってしまったり
人生というゲームには失敗してしまったりするわけですね。

私たちのほとんどは、知らず知らずのうちに否応なく
このマネーゲームに参加しています。
考えてみれば、ただの一度も
「マネーゲームに参加しますか?」なんて聞かれたこともないですし
マネーゲームのルールも方法も知らないのにも関わらず
いつのまにか参加させられているわけですね。

例えば、この本に書かれてある
多くの人が思い込んでいるお金に関する思い込み(実は真実ではないこと)として

☆資金は限られている
 (資金は無限にあるわけではないので、長期的な視点で貯蓄したり投資したりし
  老後のための資産を増やしてゆく必要がある、など)
☆お金は流動的なものである
  (お金は自分の「外」にあるから、稼がなければならない。
   収入が支出を上回るようにしなければならない。
   生活の質を上げるには、利益をどんどん増やす必要がある、など)
☆資金を増やすには、一生懸命、または賢く働かなければならない
☆お金はあればあるほどいい。
☆お金を稼ぐスキルのある人とない人がいる
☆万が一の時に備えて蓄えておく必要がある
☆お金持ちはさらにお金持ちになり、貧乏人はさらに貧乏になる

などなど。
この他、私のところでのセッションの中で出てくるのは、例えば
「お金はよくないものだ」
「お金をなるべく使わず、質素に暮らすことが大切だ」
「お金は減ってゆく一方だ」
「お金をたくさん得たら、悪いことが起きる」
「お金を稼ぐことは楽しくないことだ」
「経済的に豊かになるためには何かを犠牲にしなければならない」など
人それぞれ、お金に関して、実に様々な信じ込み(幻想)があります。
人によっては、その要因が前世(またはパラレルユニバース?)から
その思い込みが来ている場合もありました。

私自身が、最近まで潜在的に持っていた信じ込みは
いつのまにか父から受け継いでいた
「お金を持ったら、それを人のために使うのは素晴らしいが
自分のために使うことは、素晴らしくない」というものでした。
今から、思い返せば、自分のためにお金を使う時には
意識のどこかで、ギルティを感じていたなあと。
自分のためでも「ヒーラーとしての学び」
などのためのお金だったら、人のためになるのでオッケーだったのですが。
本当は何のためであっても、オッケーなわけで
この本の中で、この世界をすべてクリエイトした「本来の自分」
(つまりハイヤーセルフであり、魂レベルの自分)に
感謝してゆくという部分を読んで、あらためてその幻想を感じました。

この本の目的は

☆限定的なパターンから力を取り戻し、パターンを崩壊させる
☆無限の豊かさを手にし、最大限に活用する
☆マネーゲームから脱出するー完全に、そして永遠に

そして、この本が素晴らしいのは
量子力学の観点から、お金や人生を捉えているということ。
つまり、お金がないという観点から見たら
お金がないという現実(幻想)があるということ。
ここで書かれてあることはすべて
マトリックスエナジェティクスで言われていることと同じです。
マトリックスエネジェティクスでも
「何かを変えようとしない、何か行為を行わない、そうすれば変容が起こる」
ということをリチャード博士は言われていますが
この本でも同じで
お金を無制限に生み出すための簡単なワークを紹介してあるのですが
この幻想から抜けていない状態
つまり「お金が欲しい」とか「今の状態を変えたい」
と思いながら、このワークをしても
何も変わらないということを何度も書かれてありました。

このあたりが普通はちょっと難しいのかもしれません。
今の現状に満足していない人は
なかなかその意識状態から抜け出せませんから。
この作者も根気づよくやり続けることが大切だと書かれてあって
ワークをスタートして、マネーゲームから完全に脱出するのに1年以上
ひたすらやり続けたそうです。

キネシオロジーでは、そのあたりの潜在意識の思い込みを
一気に外してゆくことができるので早いのです。
先日、おさむが持っていたお金に関する思い込みを手放すための
セッションをしたのですが、
おさむの場合は、基本的には豊かさを信頼できていたのですが
「自由になるための充分なお金を得るためには、
自分の自由な時間をけずる必要がある」
という思い込みが、まだ残っていました。
かなり思考を手放しきているおさむでさえ
今回のセッションで、その思い込みを手放す時に
潜在意識の抵抗があったので、これらをこの本のワークだけで手放してゆくとなると
確かに根気がいりそうです。

でも、作者が紹介している4つのワークで素晴らしいと思うのは、
例えば、不安を感じたら、一旦、とことんその不安を感じきって
その後で、その自分本来の力を取り戻すプロセスを行うということ。
単なるポジティブシンキングやアファメーションだけでは、
ネガティブなものを潜在意識に押し込んでしまうだけで
何も変わらないことがほとんどですから。
先日も書きましたが、
一度はそのネガティブとしっかり向き合うことが大切ですね。

そして、この本は「本当はお金に関する本ではありません」
と最後に書かれてあるのですが
実は、これは「目覚める」ための本だと感じます。
この作者の言うマネーゲームからの「脱出ポイント」
というのは、まさに目覚めるポイントのことですから。
お金という誰もが関わっている教材を使って
目覚めを促しているのですから、すばらしいなあと。

少し前に「人生は暇つぶし、いかに楽しくつぶしていくか?」
がすべてだと書きましたが
この作者は、そのことを、ゲームに例えて説明していてわかりやすいです。
ゲームだとわかってやっているのと、ゲームの中に入り込んでしまっているのとは
全く違っていて、すべては自分自身が創りだしているゲームだと知っていて
ゲームを行っていることが「目覚めている」ということ。
そして私たちは誰でも自由にこの3次元世界での自分のゲームを
創ってゆくことができるのです。

ということで、もうお金に振り回されたりしたくないと思っている方や
いつ本当の勝ちがやって来るのかわからないマネーゲームから抜けたい方
この人生を自由に楽しんでゆきたい方
ぜひ一度読んでみてくださ~いスマイル
もちろん、この本だけで、マインド(幻想)から完全に目覚めることができる
というわけではないかもしれませんが、きっと何かの気づきになると思います。

こんな本が出るようになったということは
世界が一気に目覚める時代が近づいてきたということなのかしらねウィンク
 






最終更新日  2012年02月10日 13時13分55秒
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2011年08月22日
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「ハートの聖なる空間へ」
ご存知の方も多いでしょうが、ドランヴァロ・メルキゼデクのの著書です。
何年も前から読もう読もうと思っていたのに、やっと昨日読むことができました。
最初から引き込まれるように読んで、感動の連続でした。

ドランヴァロをご存知ない方は、こちらの映像をぜひ~♪
今年始めのインタビュー映像です。
次元の話、心臓と舌先が深く関係している話、天使のことなど、
なるほど~ととても納得ですし
すごい話の連続にわくわくします。

インタビューpart 1 a

インタビューpart 1 b

インタビュ-part 2 a

インタビューpart 2 b


この本を最初に読もうと思ったのは、2008年の4月。
マヤの長老ドン アレハンドロが
日本に来日した時に、それに合わせて日本に行ったのですが
その時に知り合ったヒーラーの友人から
「絶対に読んで」と勧められたのでした。

2008年にマヤの長老ドン アレハンドロが来日したのは、
近年、新たなマヤの文書が発見されて
2012年の12月21日という日にちが間違っていることがわかったということで
日本で講演を行ったのです。
それに合わせて、伊豆でスウェットロッジが開かれたのですが
それに参加した際に、お互い一目で惹かれあって、
すぐに友人となった人が北海道に住むヒーラーの山下景子さん。
その彼女が、勧めてくれたドランヴァロの著書『フラワーオブライフ』と
この『ハートの聖なる空間へ」を買おうと本屋に行ったのものの、
私は日本の本屋が楽しくて楽しくてたまらなくて
(なんせ2007年に日本に戻った時が12年ぶりの日本だったので)
あれこれ大量に買っていたら、あまりにも重くなってしまって
結局、ドランヴァロの瞑想CD「マカバ瞑想」だけを購入して
本は買わずにNYに戻ってしまったのでしたわからん

それから、すぐに注文して読もうと思っていたにも関わらず
なぜか、ずっと読まないでいて(そういう本って、けっこうあるのですよね)
ようやく、先日、これはもうすぐにでも読まなければ、
という想いが急にわき上がってきて(そういうこともよくあります)
ちょうど日本からNYに戻って来られるという方にお願いして
本を買ってきてもらいました。
もう予想以上に素晴らしくて、どうしてこれをあの時すぐに読まなかったんだろう、と思ったものの
マトリックスエナジェティクスを学んだ今は、当時より
この「ハートに入る」ことの意味が、本当に実感としてよくわかるので
これもベストタイミングだったのだなあと。
本との出会いは人生を変えますから、本と出会うタイミングというのも、
やはり、その人にとって最適なタイミングでやってくるのでしょうね。

この中でも言われているのは
脳というのは、左脳の右脳に分かれていて
そのために両方の側面を持っています。
マインドで創り出すものは、いくらよいものを作ろうと思っても
必ずマインドの二極性ゆえに、反対のもの二つを作り出してしまうけれど
ハートで創りだすものは、一体であることしか知らず
闇の側面を創りだすことはないということ。
マインドで平和を訴えれば、平和とともに戦いも生み出してゆくということなのです。
この「これは正しい、これは間違い」「善と悪」という二元的捉え方から
様々な違い、多元性を認めた上でのワンネスの意識へと移行することは
今の私たちにとっての重要な課題だと感じます。

この本は、大気汚染を一瞬で浄化してしまう不思議な装置の話
世界中に生まれているサイキックの子供たちの話
計り知れない素晴らしい能力と叡智を持つ先住民の話
心臓を研究している科学者たちが、発見した心臓の驚くべき構造
ドランヴァロが体験したハートの空間に入った時の話

などなど、どんどん引き込まれて、一気に読めます。
胎児は、脳より心臓が先にできてくるわけで
古くから心臓の鼓動を規則正しく維持させる知性はどこから来るかと
言われていたそうですが
最近は、心臓自体に脳細胞が存在し、
そして、心臓は臓器の中でも最強かつ最大のエネルギーフィールドを
形成していることが研究の結果わかったそう。

ちょうど、先日、昔読んでそのままになっていた
「セラピスからのメッセージ、アセンションハンドブック」というのを
読み返したばかりだったのですが
その中でも
脳は心ではなく、解読機であり、翻訳機であり、精巧なアンテナであること、
7つのチャクラをバラバラにしておくのではなく
ハートを中心とした融合チャクラを形成する必要があるというなどことが
書かれてあって、とても共鳴した内容でした。
(この本も素晴らしいので、紹介しようと思っていたところだったのですが)

「ハートの聖なる空間へ」とても読みやすいですし、
読み物としてもおもしろいですので
興味がある方は、ぜひ読まれてくださいね。

マカバ瞑想は、ヴィパッサナー瞑想を初めてからは、
ずっとやっていなかったのですが
これからまたやってみようと思っています。

と、この文を書いてふとひらめき思ったのですが
この本には「ヴィパッサナー瞑想では思考が停止するまでに
何時間も座って瞑想を続けます。
しかし、もっと簡単なのはスピリットがマインドからも頭からも
抜け出ることです。私が知る限り、これ(この本に書いてある方法)が
ハートの聖なる空間に入る唯一の道です』
と書かれてあって
もし、この本をあの時に読んでいたとしたら、たぶん
ヴィパサナー瞑想はやっていなかったかもということ。
私にとっては、ヴィパッサナー瞑想を学ぶ必要があったから
この本を読んだのが、今だったということもあるのかもしれません。

この本の中でドランヴァロが言われていたのが
彼がハートに入るためのワークショップを開いて、何千人も接してきた中で
半分ぐらいはハートに入れない人たちがいたとのこと。
それは、深いトラウマや思い込みがあると、
ハートに入った時に痛みを感じたり、すぐに出たくなってしまうからだと
いうことでした。
なので、そのためにセラピーなどを受ける必要があると書かれてあって
結局、ヒーリングやセラピーというのは
ハートに入ってゆくために必要な準備だと言えるのかもしれませんね。

こちらはドランヴァロによる
「聖なるハートの空間への招待」の映像


ちょうど昨日は先日、マトリックスエナジェティクスのセミナーに
行って来られたという方と
おさむと3人でワークを行ったのですが、
その方とおさむが私にマトリックスエナジェティクスをやってくれた時
私はすっかり光の世界に行っていましたきらきら
それはこれまでの感覚ともちょっと違った感覚で
とても言葉には表せないのですが
頭で何かを考えようとしても、全く思考は働かなくて
その間、素晴らしい至福感でした。

愛も叡智も祝福もすべてはハートの聖なる空間からなのですね~ハート(手書き)

先日「降りてゆく生き方」について書きましたが
そうか「降りてゆく」というのは、
脳から心臓へ(意識が)降りてゆくことだと言えるなあと。
マインドの生き方からハートの生き方へ移ってゆくということです。

これからますます素晴らしい世界がやってくるのを感じます~~ダブルハート
 






最終更新日  2011年08月25日 09時11分27秒
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2011年06月25日
カテゴリ:
 
今日、久々に急にふっと思い出して、
以前、読んだエックハルトトールの『ニューアース』が読みたくなり
取り出して、読み返していました。

私は、日本の本は紀伊国屋で購入していますが
書店は、あまり種類は置いてないので
普通は、よさそうな本を見つけると、紀伊国屋に電話して取り寄せてもらっています。
そして、この『ニューアース』は、別の本を取りに行った時に、
書店に並んでいて見つけました。

何気に手を取ってみた瞬間、本にエネルギーを感じて
ああ、この本すごいかも~と、中身をほとんど見ないで購入しました。
こういうことは頻繁にはないのですが、ごくたまにそんな本があって、
手にとってみると、まるでクリスタルを手に取ったかのように
頭がひっぱられるようなエネルギーを感じることがあります。

クリスタルはともかく、大量印刷している本にエネルギーがあるなんて
信じられない方もいるかもしれませんが
書かれている内容によって、波動の高いものと低いものがあると私は感じています。
どなたかが、電磁波のプロテクションに何かの本を使ったら電磁波をブロックできた
と書かれていましたが
実際、意識レベルの高い本は、クリスタルと同じように
私たちの波動を高める効果があるのではないかしら。
以前、筋反射テストで、本の意識レベルを測定したことがあったのですが
筋反射で高い意識レベルだと出た本は、エネルギーを感じることが多いです。

さて、このニューアース、読んでみると、やはりとてもよくて
エゴの構造、いまに在るという意識、時間のパラドックス、
本当の自分を見つけること、目覚めるということ、
などについて、とてもわかりやすい言葉で書かれてあります。

ちょうど、この本を購入した時はとても忙しかったこともあって
ざ~と読んだだけで、じっくり言葉をかみしめていなかったわけですが
今日、読み返してみて、あらためていろいろと感じることがありました。

ただ、前回もそうだったのですが、この本を読んでいるとやたらと眠くなるのです。
私の場合、他のエネルギーの高い本を読んでもそうなってしまうようで
最近では「マトリックスエナジェティクス」も読むと眠くなってしまう本で
なかなか読み終えませんでした。(でも、この本もお勧め♪)
私は、どんなに眠くない時にレイキを受けても、やっぱり途中で眠くなってしまうのですが
それと同じように、どんなに眠くない時に、こういう本を読んでも眠くなってしまいます。
私の読書のペースは、早い方なので、普通の本だと、
あっという間に読んでしまうのに、エネルギーの高い本は
なかなか進まないというジレンマ。
ドリーンバーチェなどの本も、けっこう眠くなります。

さて、ちょっとおもしろいシンクロだったのは、
今日、おさむが出張でのサウンドヒーリングの仕事を終えて、家に戻ってきて
私が読んでいたニューアースの本を、何毛なく取り上げて
「エックハルトトール?え~~?
まさにちょうど今日、サウンドヒーリングに参加してくれた人から
いい本だからと紹介された本だよ」

と驚いていました。
この本のことは、前におさむに読んでみたら?と話してはいたものの
そのまま忘れてしまっていたようです。
私が今日、急に読みたいと思って、取り出したその日に
おさむが別の人からこの本の話を聞いたというのもおもしろい。

ということで、このニューアースの本の一部から抜粋して紹介しますね。
P317~

『目覚めた行動の3つのモード』

あなたの行動には、つまりあなたを通じてこの世界に流れ込む意識のモードには
3種類ある。
あなたが人生を宇宙の創造的な力と調和させる3つの方法である。
この3つ以外のモードであれば、あなたの行動はエゴによる機能不全になるだろう。
状況によって適切なモードは異なる。

目覚めた行動の3つのモードとは
受け入れる、楽しむ、情熱を燃やすの3種である。
それぞれは、意識の振動の周波数が異なる。
ごく単純なことから、きわめて複雑なことまで、何かをする時にはつねに
3つのうちのどれかが発動しているかどうか、敏感にチェックしなければならない。
よく観察すると、受け入れるのでも、楽しむのでも、情熱を燃やすのでもない行動は
自分自身か他人を苦しめているはずだ。


ここで、それぞれ受け入れると楽しむこと、情熱を燃やすということが
どういうことなのか詳しく書かれています。
例えば、受け入れるということについて

例えば、深夜にパンクしたタイヤを交換しなければならない、という状態では
楽しむことも情熱を燃やすこともできないが、受け入れることはできる。
受け入れてしまえば、安らかな気持ちで行動できる。
表面的には受け入れるのは、受け身に見えるが、実際はこの世界にまったく
新しい何かをもたらす積極的で創造的な状態だ。

行動を楽しむことも受け入れることもできないなら、やめればいい。
そうでないと、自分が本当に責任を取れる唯一のことに責任を取れない。
その唯一のこととは、あなたの意識の状態だ。
自分の意識の状態に責任を取らないのは、人生に責任を取っていないということだ。

「楽しむということについて」

抵抗せず、降伏すると安らぎが得られるが
行動を積極的に楽しむと、安らぎは躍動する生命感に変わる。
楽しむというのは、目覚めた行動の二つ目のあり方だ。

人生の焦点を過去や未来ではなくて
現在の瞬間におくと、行動を楽しむ能力はー人生の質もー
劇的に増大する。
楽しむことは、大いなる存在のダイナミックな一面である。
人生に何か「意義のあること」が起こらなければ、楽しめないわけではない。
楽しみの中には、あなたが必要とする以上の意義がある。

「情熱を燃やすということについて」

ストレスと違って、情熱はエネルギーの振動数が高いので
宇宙の創造力と共鳴する。
情熱enthusiasmという言葉は、ギリシャ語のen とtheosから発しているが
theos は神という意味であり、派生語の神に憑かれたという意味である。
だから、情熱が燃えている時は、自分だけで行動しているのではないと感じる。
情熱は創造的なエネルギーの波を呼び起こすから、あなたはただ波に乗っていればいい。

同じ強さで反発する力を生み出してしまうエゴイスティックな欲望と異なり
情熱には、対立はない。
情熱による活動には、勝者も敗者もない。
情熱とエゴは共存できない。
情熱には、何も欠けていないから、何も欲しない。
情熱は生命と一体であり、情熱に動かされる行動が
どれほどダイナミックであっても、あなたは行動の中で自分を見失うことはない。



この情熱に関しても、すごくよくわかります。
よく意思の力とかやる気とかいいますが
情熱は、そういうものとは違うところからやってきて
やらずにはいられない、というか
あれこれ深く考えずにやっているという感じかなあと。

ということで、今、もう夜中4時になるのですが、ベットで目覚めて、
急にこれを今アップしておこうと飛び起きたのですが
これも、ちょっとした「情熱を燃やすモード」なのかしらん。
(こんなところに情熱を燃やしてどうするんだ~パンチ

明日にのばしたところで何も変わらないのに
と突っ込んではみるのですが、こういう時は
自分の中の常識的な声は無視してしまうのですよね~あっかんべー

ということで、ニューアース、おすすめですグッド






最終更新日  2011年06月27日 01時58分34秒
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2010年04月08日
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前回の続き、ライフレッスンの中で、
今回は「遊びのレッスン」から。

星月星月星月

『わたしたちは、生涯愉快に過ごし、遊ぶために生まれてきた。
遊びは単に子どもの気晴らしではなく、人生の力であり、生命力である。
遊ぶことは、人生を最大限に生きることである』

『人間のあらゆる側面は遊ぶことによって楽しくなり、意味のあるものになる。
遊びは大人に若さをとりもどさせ、ポジティブな活力をもたらす。
こどもが最初に覚えることのひとつは、遊びである。
それは自然な本能的な活動である』


『遊んでいる余裕がないという人がいるが、遊びは余裕の産物ではなく
本能だから、本来遊ばすにいること自体に無理があるといわなければならない。
遊びは人生のバランスを取って、精神を活性化させる作用がある』

『仕事と遊びは必ずしもべつの領域に属するものではない。
仕事の中に遊びを見いだすこともできる。
日々の仕事の中にたのしみを見いだすことができれば
人生を楽に乗り越えることもできる。
ただ、残念なのは、ともすれば目標達成主義におちいり
達成できないことに不幸を感じてしまいがちな人が
少なくないことである』

『人生をきまじめに考え過ぎたとき、人は遊ぶことを忘れる。
生産的に遊ぶことを覚える前の、ひたすら純粋に遊んだ時代のことを
思い出す必要がある。ハートが全開し、遊びに夢中になり
遊んだ後に罪悪感など感じなかった、あの時代を取り返す必要がある』

『年齢、場所、状況を問わず、われわれはまた遊びを再開することができる。
遊びのセンスは内部に眠っているのだから、それをゆり起こしてやれないいだけだ』

『自分に遊び時間を与えることが出来ない人は
じつは他人にあたえるものがなにもない貧しい人である」

『遊びとはつかのまの気楽な時間ではなく
遊びのためだけ捧げられた、じっさいの時間のことである。
遊ぶためには仕事から、生活の深刻さから逃れなければならない』

『どんなことでも遊びになりうるが、遊びが生産的なものに
なってしまいがちだということだ。
純粋に歩くことを楽しんでいる間は散歩も遊びだが
運動のために日課として義務的におこなう散歩は遊びではなくなる』

星月星月星月

日々の生活の中で、遊びを見いだすことって、大切なことですね~

私の1日は、毎朝、今日のメッセージ、
オラクルカードを引くという遊びからスタートハート(手書き)

オラクルカードは、ポジティブなメッセージのカードしかないし
また、自分の好きなように受け取れるので、単純に楽しい。
例えば、今日のカードは、ガネーシャの『YES』
と大天使ガブリエルの『幸運』

何かを尋ねてYESが出たわけではないので、
これは、自分の思う通りに進みなさいということ。
もちろん、私はカードを引かなくても、自分の思う通りに進むし
どんなことでも『ラッキーだ~』と思う方ですが
こういうちょっとした遊びで、1日がより楽しく過ごすことができるなあと思うのです。

そういう小さな遊びの時間が、1日の中であると
生活が新鮮になる感じがします♪

公園で拾った葉っぱを使って、コラージュを作ってみたり
ふっと思いついて、写真をいろんな角度で撮ってみたり、、

私は、ふと、そんな遊びを思いたったら、
例え、それが今すぐやる必要がないことであっても
すぐにやってみます。
そのほとんどは、たいしたことではないし、
その楽しさは、他の人にはなかなか伝わらないことなので
おさむにさえ言わないことが多いし、ささやかな一人だけの遊びの時間。
他の人から見ると、無駄な時間なのかもしれませんが、
私にとって純粋な喜びの時間なのです。


と、先日、友人が
「自分の仕事や将来に結びつかないようなことであっても
やりたいと感じたらやっていくことって、大切だということに
最近、気づいたの」と言っていました。

確かに、それをやることにどういう意味があるの?とか
それで仕事に結びつくのとか考えると
遊びはできなくなってしまいますね。

でも、一見、この無駄に思えるような遊びの時間こそが
人生を豊かにしていくのだなあと感じるのです。
以前、脳科学学者の茂木さんも、そんなことを書かれていました。
脳科学の見地から言えば、この純粋にわくわくする遊びをすることが
脳を活性化するものなのだそうです。

一方、生産的なものは遊びではなくなるというのもよくわかります。
そういう意味では、ヒーリングというのは、私にとって
遊びが仕事になったようなものですが、かといって
もう純粋な遊びとは言えないのだなあと。

昔は、自分が気持ちいいから、とか楽しいから、という理由だけでやっていたことが
今は、レイキのアチューメントのために、自分自身がいつもエネルギー的に
浄化されている状態を保っておくためであったり、
ヒーリングについて、より多くのことを学んで、
ここに来てくださる方々のために役立ててゆくためであったり。


もちろん、それらはすべて私のためになっているわけですし
喜びなのですが、純粋な遊びという面では違うのかもしれません。

そう考えてみると、音楽は、一度として遊びだったことはないし
絵は、作品として描く時は、遊びではないけれど
ちょっと遊びで描く小さな絵やイラストは、純粋な喜びかな。

少し前に、おさむと2人でドラムをたたいて合わせたのだけれど
これは、それで何かを目的にするのではなく、
ただ2人でその時間を楽しんでいることができて
ああ、こんな風に歌うことも、これから純粋に楽しんでゆけたらいいな~
と感じました。

私にとっての最大の遊びはやっぱり旅。
これは誰かに伝えるためでも、ヒーリングされるためでもなく
ただ単に楽しみたいから。
もちろん、結果的にそこでヒーリングを行ったり、
それを伝えてゆくことになったとしても
それが目的ではなく、ただ自然の中に身を委ねることが
私のエネルギーチャージであって、生命力の源だなあと。

以前、コスタリカに行った時に、
旅が好きで好きで、昔は1年中旅ばかりしていたという方が
旅行代理店をされていたのですが
15年以上たった今ではもう、休暇があってもどこかに旅なんて行きたくない
家でのんびりしていたい、と言われていました。
どんな好きなことでも、それを仕事にしてしまうと、
純粋に楽しめなくなってしまうのかもしれませんね。
(それでも、好きなことを仕事にできることは、とても幸せなことですが)


最近、遊んでいない~と言われる方~
ぜひ純粋な喜びのための遊びの時間
作ってみてくださいませ~~ウィンク

dolphin のコピー.jpg
イルカって、遊びの名人ですよね~♪

 






最終更新日  2010年04月09日 22時47分56秒
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2010年04月06日
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前回の続き、『ライフレッスン』から
今回は怒りのレッスンに関して、ご紹介します~♪

怒り自体は、悪いもよくもなく、感情の一つの形に過ぎませんが、
それを抑圧し、ためこんでしまうと、
精神や身体をむしばむエネルギーとなってゆきますし、
また怒りのままに、爆発させたり、ぶつけたりすると、
そのエネルギーは相手も自分も傷つける結果になってしまいます。

なので、怒りを感じたら、それを溜込まず、
その感情をそのまま受け取った上で
リリースしてゆくことが大切ですね。

私自身は、昔なら怒りを感じた状況でも、今は別の感じ方をすることが多いのですが、
それでもたまに怒りを感じることがあります。
そういう時に、なぜ自分は怒りを感じたのかを後から見てみると
根本的な問題は自分の中にあって、
相手の言動そのものによるものではないということがよくあるのです。

このライフレッスンで書かれてあることは、
怒りはほとんどの場合「恐れ」の現われ。

この本であげられている例えとして

怒りーあなたが来なかったから怒っている
背後の恐れーあなたに捨てられるのが怖い

怒りーきみが遅刻したから怒っている
背後の恐れーきみに軽視されるのが怖い

怒りーあなたがあんなことを言ったから怒っている
背後の恐れーあなたがもう愛してくれなくなるのが怖い


例えば、「相手が遅刻したから怒っている」
こういう状況ってよくあることでしょうが、
もし、その相手が、遅れたことに本当に申し訳ないという感じで
謝っていたとしたら、普通はあまり怒りの感情は湧いてこないものです。
(え?それでも腹が立つ?ショック

でも、それが「遅れても当たり前~」みたいな感じで来られたとしたら
「この人、私のことを尊重していないのかしら」という想いが
怒りの感情として現われてくるわけです。
自分が尊重されていない、大切に思われていないと感じるのは、
怒りの感情をもちやすい状況だと思うのですが
それはもとをたどれば、「恐れ」の感情から発しているのですね。

だから、普段から、自分のことを尊重してくれていると感じている相手に対しては
例え、少々の行き違いがあっても、怒りの感情は湧いてこないものだなあと感じます。

怒りの背後に隠れている恐れを見ること。
かといって、恐れを抱いていた自分を責める必要はなく
それはそういうものがあるんだなあと認識するだけでオッケーだと思うのです。


本の中から抜粋

『処理されない恐れは怒りに転化する。
恐れの感情を無視している時、
あるいは、自分が恐れていることに気づかない時
恐れは怒りに転化してゆく』

『自分の恐れに直面するよりは、怒り続けている方が容易なものだか
それではいつまでたっても背後にある問題を解決することはできない。
むしろ、当面の問題を悪化させるのが関の山だ。
なぜなら相手は怒りにはうまく応答してくれないからだ。
どなりちらしても、相手に非を認めさせることはまずできない。

たとえ根拠のある恐れを抱いている場合でも
度が過ぎた怒りは、その根拠を失わせてしまう。
たとえば、遅刻ばかりする部下に文句を言い続けていても状況は変わらない。
しかし
「やる仕事はたくさんあるのに、それができなくなるんじゃないかと思うと
怖いんだ」といえば、部下はあなたの怒りに傷つけられることなく
あなたの恐れに応答してくれるだろう』


私とおさむが、ちょうど1年ぐらい前に植物園に行った時のこと。
ちょっとだけ、桜の木の下で瞑想をしていて
ふっと気づけば、そばにいると思っていたおさむがおらず、
しばらくの間、おさむを探し続けたことがありました。
そのあたり一帯を探しても、おさむはいません。

なんで、私に一言も言わず、一人で勝手に遠くに行ってしまうの~~?パンチ

そう思ったら、だんだん腹がたってきて
植物園内で、おさむとようやく出会った時には、怒り最高潮いなずま

それから、おさむは別に私を置き去りにしたわけではなく
彼も私をずっと捜していたことがわかったのですが
何で私は彼に置き去りにされたと思い込んで、怒ったのかしら?
と思って自分の内面をのぞいてみたら、
「私はおさむに大切に扱われていない」という恐れがあったことに気づいたのですひらめき

それで、家に戻って、すぐにキネシオロジーの筋肉反射テストで調べてみたら
ピンポンベル
『私はおさむに大切にされています』で筋肉の反射はオフ。
私の潜在意識は、おさむに大切に扱われていないと感じていたことがわかったので
それを調整したことがありましたうっしっし

怒りの感情を持ったことによって、自分の表面的な意識ではわからなかった
潜在意識の思い込みに気づいてゆくこともあるのですね。


そして、つい先日も、私は「怒りのレッスン」を行ったところですウィンク

私はレイキのクラスを受けた方へは、やってみて何かわからないことがあったり
困ったことがあったらメールで質問してくださいね、とお伝えしているのですが
中には、毎回のように「これをやってもいいですか?」
「これはどうすればいいですか?」と尋ねてこられる方がいます。
そんなこと、とりあえず、自分でやってみればいいのにな~とか
ちょっと考えればわかることなのにな~と思うようなことでも
毎回お返事していたのですが
ある時、あまりにもそれが続いたので、ふっと怒りの感情が湧いてきました。

あれ?
私は何でこんな小さなことに怒りの感情を持っているのかしら?

そう思って、よくよく自分の内面を見ていったら
それは「くだらないことに自分の大切な時間を奪われてしまう」
という恐れの感情から、来ていたことに気づいたのです。

ああ、そうか、これは相手の問題ではなく、自分の問題なんだ。
私自身が自分の時間を大切にすればいいだけなんだ~ひらめき

そうわかったので、答える必要がないと判断した質問には
答えないようにしたら、すぐに相手に対する怒りはなくなりました。
こういう時、相手の意向に添わなかったことに対して
罪悪感を持たないことも大切だということも、あらためて感じました。
実際、その相手の方もあまり深く考えずに、
とりあえず質問してみただけということが多く、
私がいちいち答えなくても、大丈夫なのだなあということもわかりました。
もちろん、そういう場合でも、自分の中だけで完結せず
相手に伝えるべき必要がある時もあるでしょう。


そう、このライフレッスンにも書かれてあるのは

「わたしたちは、他人に対して怒るだけでなく
自分自身に対して腹を立てる。
例えば、自分の感情を犠牲にして他人のご機嫌をとろうとした時には
自分を裏切ったことに腹を立てる。
自分に対して取るべき待遇を取らなかった相手にたいして
怒ることはあるが、じつは自分がしかるべき待遇をうける人間であることを
最初に表明しなかった自分自身に対して怒っていることに
気づいていないことが多い』


自分が嫌だなあと感じているのに、それをやってしまった自分自身に
腹が立っているのですね。
それを自分に対する怒りだと気づかずに、
相手への怒りにすり替えてしまっているわけなのです。

怒りのレッスン、恐れのレッスン
ほんとうに日々、いろんな気づきや学びがありますね~OK

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最終更新日  2010年04月07日 13時27分39秒
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2010年04月03日
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先日、友人から借りた、
エリザベス キュープラー ロスの『ライフレッスン」を読んでいて
まだ最後まで読んでいないのですが、
とても素晴らしい本でしたので、ご紹介したいと思います。

先日も少し書きましたが、エリザベス キュープラー ロス博士は、
精神科医であり、終末期医療の第一人者として、
たくさんの末期の患者と接しており、
死後の世界の研究でも有名な方ですが
彼女自身が脳卒中で倒れ、闘病生活を強いられるようになり
この本はその頃に書かれたものです。

この本は死後の世界のことではなく
この人生の中で起こるさまざまなことから、
私たちが何を学ぶのかといったことが書かれてあるのですが、
多くの実例とともに、とてもわかりやすく書かれてあります。

項目は
愛のレッスン、ほんものの自己のレッスン
人間関係のレッスン、喪失のレッスン
力のレッスン、罪悪感のレッスン、時間のレッスン、恐れのレッスン
怒りのレッスン、遊びのレッスン、忍耐のレッスン、
明け渡しのレッスン、許しのレッスン、幸福のレッスン
と分かれてあります。

どれも、ほんとそうだなあと深く納得できる内容でした。

許しのレッスン、人間関係のレッスン、怒りのレッスン、
罪悪感のレッスンなど
私のこれまでの人生のカリキュラムの中でも、
大きな位置をしめていたように感じます。

そして、この項目の中で私が最も苦手なレッスンは
「忍耐のレッスン」なのですが
それもごく最近、少しだけ学んだ気がしていますウィンク


ということで、今日は、その項目の中の
喪失のレッスン(ページ83~109)から、一部を抜粋してみますね。


『わたしたちはいずれ、すべてのものを失うが、
最終的に問題となるのは喪失そのものではない。
家、車、仕事、お金、若さ、そして愛する人でさえ、じつは借り物にすぎない。
すべてのものと同じように、愛する人も永遠に自分のものではありえない。
しかし、その真実に気づいたからといって悲しむことはない。
むしろ反対に、その気づきによって、地上に行きているあいだに
味わいうる多くの素晴らしい経験にたいする
正しい認識があたえられるのである』

『喪失は、人生の中でもっとも苦しいレッスンのひとつではあるが
人は喪失なくしては成長できず、喪失なくしては人生を変えることはできない。
ユダヤ人の社会に
「多くの結婚式で踊る者は、多くの葬式で泣く」
という古いことわざがあるが、友人の数が多ければ、
それだけ喪失を味わう機会もふえるのである。
もし、あなたが喪失の痛手に苦しんでいるとしたら
それはそれだけ豊かに人生の祝福をうけていたからである』

『悪のない善がなく、影のない光がないように
喪失体験のない成長がありえないことは確かである。
奇妙に思われるかもしれないが、成長をともなわない喪失も
またありえない。
そこが理解しにくいところであり、だからこそ
われわれはこんなにも喪失にとらわれてしまうのだろう』

『その両義的なしくみを、がんで子どもを失った両親のケースから
学ぶことができる。
喪失の直後、両親は「この世の終わりだ」といって嘆いた。
ところが何年かのち、両親はその悲劇を通じて、人間的に成長をとげていた。
もちろん、子どもを失う経験など、できることならぜったいにしたくはなかった。
だが、両親は喪失体験のおかげで、
おもってもみなかった境地に到達することになった。
すなわち
「あの子が最初から生まれてこなくて、
あの子を一度も愛したことがない人生よりも
あの子を愛し、そして失った人生の方がよかった」
と思えるようになったのである。
愛する対象を持った経験がないことと
一度はそれを持ち、失う経験をもったこととは
くらべものにならないほど大きな違いがある』

『喪失による成長は、外から見てすぐにわかるようなものではない。
しかし、確実に成長している。喪失の痛手を味わった人は
いずれ強くなり、より全体性に近づいてゆく』

『喪失というと、愛する人、いのち、家、財産などを失うような
大きな喪失をかんがえがちだが、
小さなことが大きな喪失になるというケースもふくまれる』

『愛する人を亡くすことは、まちがいなく最もつらい経験のひとつである。
ところが、離婚や生き別れで相手を失った人が
死別だけが究極の喪失ではないことに気づくことがある。
相手が生きているのがわかって、その相手と生活をともにできないという
現実が、相手がこの世から永遠にいなくなるよりも苦痛が大きく
あきれめるのが難しいという場合もあるのだ』

『人はみな、自分だけの時間、自分だけの方法で喪失を体験する。
人間には拒絶という、すばらしい恩寵があたえられているからだ。
だから、その時期がきた時に、はじめてその感情を経験する。
感情は、われわれがそれを感じる用意ができるまで、
安全なところに貯蔵されている。
両親を失った子供には、しばしばその例が見られる。
おとなになり、対処できるようになるまでは、
両親の死に悲嘆をかんじないこどもが少なくないのだ』

『過去から逃げさることはできない。
過去の悲しみはしばしば、
悲しみを味わう準備ができるまで未決状態のまま凍結される。
あたらしい喪失体験が、過去の喪失の悲しみを再現する
ひきがねになることもある。
つぎに別の喪失を体験するまで、
最初の喪失にはなんの感情もいだかないこともあるのだ』

『愛する人、とりわけ生前に複雑な感情の対象だった親が亡くなったとき
深刻な葛藤に悩まされることがよくある。
喪失にショックを受けているにも関わらず、素直に悲しむことができないのは
自分を愛してくれなかった人の死をどのように受け取ったらいいか
わからないからである』

『喪失が複雑なものであろうとなかろうと
喪失を体験した人はみな、自分の時間、自分の方法でいずれは癒されてゆく。
そのプロセスのパターンやそれにようする時間は、人によって異なる。
悲嘆はつねに個人的なものである。
そして、一カ所にとどまることなく、人生を歩みつづける限り
すべての人は癒される』

『喪失体験の癒しには多くの段階がある。
その準備ができたら、まず喪失を実感し、その事実を事実として認めることだ。
拒絶という恩寵のはたらきに身を任せ、こころに感じるべきことを
感じているだけだと銘記すればいい。
そうすれば、苦しみから逃れる唯一の方法は
苦しみを味わいつくすことだという真理が見えてくる』

『むかしの喪失を癒すためのレッスンが、つぎの喪失も回避できないのだと
いう気づきの中に存在する場合もある。
人生の中に喪失を防ぐ手だてはないと悟ることが、古い喪失の癒しになるのだ。
喪失を警戒しすぎることによって、わたしたちは逆に喪失を招いている。
愛する人を失わないようにするために人を愛さずに遠ざけていれば
そのこと自体が喪失になる』

『ほんとうに重要なものは永遠に失われることはない。
うけとり、あたえてきた愛が失われることはないのだ』

星月星月星月

いくら深い喪失の中にあっても、いつか必ず癒される時が来る。

このことは、私が強く実感してきたことでした。
私もこれまで生きてきた中で深い喪失を味わったのだけれど
その体験のおかげで、今、この生で体験していることのすべてが
愛おしいと感じることができるようになったのだなあと。
そして、その結果として、全体性
つまり、ワンネスを感じるようになったと言えるのかもしれません。
(この本では全体性と訳されていますが
原文はワンネスーOnenessなのではないかな~と)

失わなかったら、気づかなかったことって
本当にたくさんありますね。

どんな人でも、いつかはこの世界を去り
別の世界へと旅だってゆきます。
それまでに、いかに多くのレッスンをこなしてゆくのか。

そして、どんなに形は失われたように感じても
その時、受けとった愛や、与えることができた愛は
永遠に失われることはない。
それだけが永遠へとつながってゆくのだなあと。

また他のレッスンの項目で、なるほどな~と感じたことがありました。
ここでまたご紹介したいですが
機会がある方は、ぜひ読んでみてくださいね~

CSC_2320 のコピー.JPG
いのちあるものは、すべて、いつかはその形を失ってゆきます。
でも、そこに存在していたことが大きな意味を持つのですね。









最終更新日  2010年04月04日 20時48分03秒
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2009年12月30日
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レイキのクラスは2日前が今年最後でしたが
今日は、キネシオロジーのセラピーが終了して
今年の仕事も終了。

あ~楽しかった~ハート(手書き)

その後すぐに、先ほどセラピーを受けにきてくださった方から
メールを頂きました♪

「キネシオロジーを初めて受けて、すごい!!と思いました。
体って本当に正直ですよね。
自分では思ってもいないような反応や結果がでたりして」

うれしいな~♪
自分がこれまで気づかなかった自分のことに気づいてゆく喜びを
感じてもらえるのは、ほんとうれしいです。


キネシオロジーはまだまだ一般的に認識されていないセラピーで
私のところもまだレイキの方が主ですが
それでも口コミでキネシオロジーの予約もぼちぼち増えてきて
今年の後半はけっこうやりました。
やればやるほど、学ぶことが多いです。
キネシオロジーを学んだおかげで、レイキのクラスにも
とても役に立っています。

何かをプロフェッショナルとしてやっていく上で
その一つを極めてゆくというのも大事ですが
全く別のことを学ぶことで、そのもともとやっていたことを
さらに深く学んでゆくことができるということもありますね。


さて、昨日は友人から借りた2冊の本を読みました。

脳科学者である茂木健一郎の

「脳を活かす勉強法」
「脳を活かす生活術」

2冊とも、子どもでもわかるように
とてもやさしい、わかりやすい言葉で書かれてあるので
あっという間に読めてしまいます。

これらを読んで最初に感じたのは
私が魂の喜びということでやってきたことを
この茂木さんは脳の喜びとして捉えているのだということ。
考えてみれば、脳=身体=潜在意識ですから、
結局、キネシオロジーで潜在意識を調整するというのは
脳が喜ぶようにすると言えるのかもしれませんね。

「脳を活かす勉強法」の方は
特に学生の方や今、何かを勉強している方にはお勧めですし
「脳を活かす生活術」の方はより一般向けに書かれてあります。

「勉強法」の方には記憶しなければならないのに覚えられない
また勉強がはかどらない、そう感じている方は何が問題なのか
どうすればいいのか?が書かれてあります。
記憶するためのポイントもかかれてあります。
(これは、昔、右脳教育の七田式でやった記憶法と同じでした)

勉強=喜びなんだということが感じられると
楽しくて仕方なくなるので
もっともっとやりたくなって自然と成績もよくなってくるのですね。

茂木さん曰く

「他人から強制されてやることは脳は喜びません」

「偏差値を意識すること、つまり他人と自分を比較することでは
脳は喜びません」



ナイス~グッド


一方「生活術」の中から抜粋してみると

「自分の感受性に寄り添って生きていいと気づくことは、
脳科学的に見れば本質的な姿勢です。
なぜならば、正しいか正しくないか、ではなく
好きか嫌いかを物差しにするには、
一瞬一瞬を深く感じて生きる必要があるからです。」


「どんなささいなことでも構いません。
毎日の生活の中で自発的に喜びを感じることが大切です」

「自分を知ることで、脳の道具を増やしてゆくことができます」

「人生を常に成長の舞台にするためには、
『○○○らしさ』をいつでも捨てる情熱を持つことです」
(主婦らしさ、日本人らしさ、先生らしさ、など)


「他人との関わりは脳の栄養源です」

「笑顔で過ごす人は、脳の道具箱を満たしています」

「日々の愛が脳を活性化させます」

精神面だと捉えられがちなことを
脳科学という分野の立場で語られるのはおもしろいです。

もちろん科学者としての立場から書かれていますが、
言われていることは、昔から精神世界で言われてきたことと同じだなあと感じます。
だから、彼は木村秋則さんのような不思議な体験をした方を
そのまま受け入れることが出来る方なのですね。

この中で、茂木さんは「笑顔」は、例えつくり笑いというか
口角を左右に持ち上げるだけであっても、
脳内回路が楽しい気分を生み出すとしていますが、
実際、私たちがロサンゼルスのゼミで行ったキネシオロジーの実験でも
口に何かをはさんで、口角を上げるだけでも
腕の筋力反射は、普通の顔の時より強くなることがわかったので、
とても納得です。

また、彼は本の中で「脳のバブル力」という言い方をしていますが
これは言い換えれば感動の起爆剤のようなものということなのでしょう。

それが有益かどうか、とか、それがお金になるかどうか
ということではなく、日々の生活の中で
より多くの感動を体験してゆく
それらのすべてが自分の財産となってゆきます。

茂木健一郎さんから見れば脳の栄養なのでしょうけれど
やっぱり私は魂の栄養だと言いたいなウィンク


さて、明日はアメリカは大晦日。

ちょうど明日は満月なので、この大晦日の朝にも
通常通り、遠隔レイキの会をやることにしました。
最後にレイキで締めくくって、新年を迎えるのは素敵だなあと。
日本は元旦の日、明けてすぐの夜中になりますが
日本から参加してくださる方も何人かいらっしゃるので、楽しみ。
脳も喜んでいることでしょううっしっし

明日、ブログをアップできる時間があるかどうかわかりませんが
みなさま、どうぞよい年越しを♪

DSCN1207.jpg
これは前回の満月の写真。







最終更新日  2009年12月31日 09時18分06秒
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2009年12月02日
カテゴリ:
 
『私はアセンションした惑星から来た』
ー金星人オムネクオネクからのメッセージ

今日は、この本からご紹介したいと思います~

いろいろなことを考えさせられたのですが、
どこから書いたらいいかしらハート(手書き)

まず、この本の著者オムネクオネクさんですが
本の著書紹介からまとめると

星月星月

彼女は、20世紀の初めに地球での生涯を終えた後、
アストラル界の金星に転生します。
その地球で過ごした時は、フランス革命の時代であり
双子の姉妹がいて、その子はオムネクの身代わりとなって処刑されてしまいます。
それでオムネクは、自分のために姉妹を犠牲にしてしまったことで
そのカルマを背負ってしまうのです。
その姉妹は、シーラという名でアメリカに住んでいることがわかりました。
オムネクは、地球へ行き、シーラと入れ替わって、地球人として生きることで
そのカルマを解消することができるということを知り、
金星での幸せな生活を捨てて、地球に行く決心をします。

オムネクは身体の波動を低くして、物質レベルに低下させ、
金星から宇宙船に乗って、1950年に地球にやってきます。
そして、肉体に慣れるために、チベットの僧院でしばらく暮らし
それから、アメリカに渡り、交通事故で亡くなったシーラと
その場で入れ替わります。
(シーラがいつ交通事故に会うかもすでに金星でわかっていたので)
シーラは、親元から離れて一人で祖母に預けられる途中の事故だったために
入れ替わりには誰も気づかれずにすむのです。

そこから、オムネクは地球での想像を絶する大変な苦労を経験し
30年間、自分の素性を一切あかさず、耐えてきたのですが
1991年に金星の指導者たちからの助言を受けて、
国際UFO会議で自分の素性をあかし、それから
世界平和と人類の発展のために、執筆活動や講演活動を続けているとのこと。

星月星月

ふむ、ストーリーだけ見るとかなり怪しそうですよねウィンク
でも「すべては宇宙の采配」の木村さんが体験したことを
そのまま受け取ることができる方にはあまり抵抗はないでしょう。
理屈ではなく感じるのです。
「アミ小さな宇宙人」に書かれてあることが、例えフィクションの形を取っていても
真理を伝えていると感じれるように♪

そして、例え、これが作り話であったとしても、魂のこと、アストラル界、次元について
潜在意識、カルマの法則、マントラ、輪廻転生について、など
いろんなスピリチュアルな学びがある本だと思います。


さて、この金星での生活が本当に素晴らしいのですどきどきハート
私たちから見れば、まるで天国のような美しい生活が営まれていて、
これを読むだけで、幸せに満ちた気持ちになります。
でも、実際はそこは天国ではなく、アストラル界でも、まだ学ぶべきことを持って
人々は進化を続けているのだそう。

金星では貧困や犯罪、戦争はなく、病気もありません。
寿命は何百歳にもなるそう。
すべてテレパシーがコミュニケーション手段であり
未来を展望することも、過去生を思い出すこともでき
時間を退行したり前進したりすることも学ぶのだそう。
思念で物体を動かすことも顕在化することもできるそう。

貨幣制度はなく、生活のために何かをしなければならないということは、
何もありません。
ここでは、みんなそれぞれの魂がやりたいと感じる仕事だけを行っています。
食事は必要としませんが、過去の習性から
たまにみんなで食事会をしたりするそうです。

子どもたちは、小さな頃から、思考でイメージしたものを顕在化する技術を学びます。
なので、ここではイメージする力、創造力がすべてです。
彼らは自分の着る服も、家の内装も、オモチャも、植物も
すべてイメージしたものを顕在化しています。
いったん顕在化したものは、変えることはできても、消すことはできません。

このイメージしたものを一瞬で顕在化するというのが何とも楽しそう♪
その日の気分で部屋を一瞬にして変えてしまうことも可能なんですが
例えば自分の着る服なども、そのサイズから形から素材から色から完璧に
イメージしないといけないというのは、慣れないと難しそうですよね。
自分の服は自分で創りだすそうですが、多くの人はアイデアがとぼしくなるので
やはり服作りが得意な人から服を作ってもらったりするそうです。
それぞれの得意分野をやっていくことで、
みんなに貢献してゆくことができるという理想の社会ですね。

生活のために働くわけではないですから、
やはり音楽やダンス、絵画といったアートの世界がどんどん発展してゆくようです。
金星では一つも楽器を演奏しないという人はいないのだそう。
みんなが音楽を奏でることができるというのは素敵ですね。
また科学に従事する人も多くて、宇宙船の開発や惑星の研究など
さまざまな研究や開発が進められています。

この金星の生活や教育の在り方については、細部に渡るまで詳しく書かれてあり、
読んでいるだけで、ハートが開いてくる感じがしますどきどきハート


さて、もともとはこの金星でも、このような世界ではなく
今の地球と同じように戦争や貧困があり、一部の人たちが財と権力を持って
多くの人をコントロールしていた状態だったそうですが
都会を捨て、田舎で自給自足を始め、
誰にもコントロールされない生活を作りあげっていったことから、
それを人々がみんな意識レベルを上げていって、最終的には
みんな物質世界からアストラル界へとアセンションをとげることができたそうです。

このアセンションへの過程は数百年という年月をかけて行われていたそうなんですが
みんなが都会を捨てて田舎に移ったのは、1日で行われたそうで
その劇的な日が大きく変えるきっかけになったそう。
この金星でのアセンションのプロセスに関しても、
詳しく書かれてありましたが、とても興味深いです。

オムネクが地球にやってきて、3年間は
チベットのカシミール地方にあるアガム デスという寺院で過ごし、
そこで、肉体の使い方を学びます。
そして、金星人の叔父に連れられてアメリカに渡り、
最初にアメリカの地方の街を車で走るのですが、
その街全体にネガティブなエネルギーがたちこめているのを感じて
とんでもないところに来てしまったと後悔の念を抱きます。

このオムネクが感じたものは、よくわかります。
私たちも以前、アメリカの地方の街をドライブした時
ファーストフード店や荒れたモーテル、さびれた店などが
立ち並び、街に入った途端に、ここには止まりたくないと感じるところが、
いつくかありました。
そこには、あきらめや退廃、怒りというエネルギーが漂っている感じがしました。

私たちでさえそう感じたのですから、
ましてや天国のような金星からやってきたオムネクには、
かなりのショックだったことでしょうね。
彼女はここをまるで下層アストラル界のようだったと記しています。

金星にも上層アストラル界と下層アストラル界があり
下層アストラル界には、情念に取り憑かれた魂や、
物質に固執している魂がしばらくの間、滞在する場所なんだそう。
いわゆる地獄のような風景の場所です。

こうして、シーラと無事入れ替わってアメリカでの生活が始まるわけですが
彼女は食べ物があわず、病気ばかりすることになってしまいます。
いかにアメリカの食べ物が、ケミカルまみれで
身体を毒するものであるかを書いていますが
彼女がいた時代、しかもテキサスなどの田舎を考えると健康的なものなんて
全くなかっただろうなあと想像できます。

そして、彼女は本当に辛い過酷な体験をしてゆくのです。
継父に拳銃をつきつけられながら暴行されたり、それは普通の地球人であっても
とても耐えれないような体験なのですが
その辺りの内容は、この本ではそこまで詳しく書かれていないのが
よかったかもしれません。
この日本語訳の本は、オムネクのオリジナルの4冊の本をまとめたものだそうで
地球での過酷な生活の部分はかなり省略してありました。


オムネクは、もちろん地球でも、周りの人たちが
心の中で考えていることを全部聞こえてしまうので、
何も言わないのに相手が望むものを買ってきたり、やってしまったりして
怪しまれることもあったのだそうです。

でも、この能力は、地球人でもすでに持っている人はたくさんいますよねウィンク

リーディングやチャネリングを行う人にはけっこう多いと思いますが
先日、私のところにレイキのクラスを受けに来られた方が
まさにそういう方で
中学生の時に、突然回りの人のオーラが観えるようになり
それ以来、友人や周りの声が全部聞こえるのだそうです。
友人が話す前に、すべてわかってしまうそうですが
時には聞きたくない声まで聞こえてしまうので、大変だとのこと。

そのことを、おさむに話したら
「おひらめきそれじゃあ、俺のエッチな考えも、すぐにばれてしまうね』
なんて冗談を言っていましたが。(冗談じゃなかったりする?雫
みんなが他の人の考えや想いを読める時代になるということは
すべての人の意識レベルが高いということを意味するのでしょう。

でも、考えてみれば、多かれ少なかれ、言葉には出さなくてもその人が
考えていることや感じていることは伝わるものですけどね。
何もも言わなくても相手の愛の気持ちは伝わってきますし
逆にその人が自分のことを嫌いだったり、信頼していなかったらすぐにわかるものですし、
そういう能力がもっと発展していったものがテレパシーであり
超能力と言われるものなのでしょう。
本来はもともと人間が誰もが持っている能力だと言えるのでしょうね。


と、長くなってしまったので、
この本については、また別の観点からいろいろ書いてみたいと思います~
CSC_1037 のコピー.JPG
@Arizona






最終更新日  2009年12月03日 15時56分32秒
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2009年11月07日
カテゴリ:
 
先日、ご紹介した木村秋則さんの「すべては宇宙の采配」
実は、あの日記をアップした後、
すぐに紀伊国屋に注文しようと電話したら、本屋に在庫があるとのこと!!
これまで、私が注文する本で在庫があったことなんてなかったので、
喜んで、取りに行きました。

さて、この本が置かれていたのはビジネスのセクションびっくり
それで、隣に「奇跡のりんご」もあったのですが
この本は、友人が持っているので、今度借りようと思っていたにも関わらず
ちょっと手に取って読んでいたのですが
とまらなくなってしまい、最後まで一気に立ち読みしてしまいました雫

途中で、何度も涙が止まらなくなって、
ちょうどビジネスのセクションは端っこの方だったので、
影に隠れてボロボロ泣いていました泣き笑い(←変な人)

あらためて、この木村さんがやったことというのは、
あり得ないことだったのだとつくづく感じました。
どう考えても、尋常ではありません。
この本には、当時のその悲惨とも言える状況について
詳しく描かれていて、読みながら『なんでこの人はここまでするの~~』
と胸がつまる想いでした。

何年もの間、1粒のりんごもできないことで
彼の家族は、今の日本では考えられないぐらいの極貧生活。
その日食べるものも、鉛筆も買えない状態で、
周りのりんご農家からも気が触れたように思われ、
木村さんも誰とも口を聞かなくなったそう。
木村さんは、婿養子なので、その奥さんの両親と住まわれているのですが
普通なら、その両親も、そして奥さんも、もう無理だからあきらめなさいと
止めることでしょう。
でも、家族は誰も止めなかった。
たった一度だけ、木村さんが「無農薬のりんご栽培は、もうやめようか」と
弱音を吐いた時に、娘さんは「今、やめたら何のためにこれまで
辛い思いをしたかわからない」といって激怒したのだそう。
木村さんもすごいけれど、家族がみんなすごかったのですね。

木村さんが、その約10年の間に、
何万回も、もうやめよう、これは不可能なんだと思いながらも
もし、今、自分がこの挑戦をやめたなら、
人類で挑戦する人は一人もいなくなるということだと、思い直していたというのも
それほど、りんご作りにおいては、無農薬で生産するというのは
絶対不可能なものだったのですね。
(理由は、今のりんご自体が、農薬を使うことを前提に品種改良で
作られたものだそう)

もし、私だったらどうするだろう?と考えてみましたが
どう考えてもやらなかっただろうなあとウィンク
木村さんは4つの畑のうち、最初は1つだけ無農薬にして
あとの3つは減農薬でやろうとしていたのですが
結局4つとも無農薬にしてしまったのです。
減農薬だと収穫量は減っても充分取れるそうですので
私だったらそうするかなあと。
いくら無農薬が素晴らしいからって、
生活ができなくなって、命がなくなったのでは
もとも子もないですものスマイル

しかし、そんな半端なことではきっと
これは達成することはできなかったことでしょうね。
ここまでやったからできたこと、
「無農薬でりんごを作ることができないなら
自分がこの世に生きていても仕方がない」
そこまで思えるものって、本当にすごい。

さて本屋で「奇跡のりんご」を読んだ後
家に戻って、今度は「すべては宇宙の采配」を読んだのですが
あ~そうか~ひらめき
とあらためて気づいたことがありました。

なぜ、木村さんが自然栽培では絶対不可能と言われていた「りんご」
でなければならなかったのかということ。
なぜ、他の自然栽培が可能である米や野菜ではなかったのか。
もちろん、彼がたまたま嫁いだ先がりんご農家だったから、
りんごに取り組んだということなんですが
宇宙に「たまたま」なんてことはないですしねウィンク

彼は自然農法でりんごの栽培を成功させることで、
りんごの栽培だけを広めるのではなく
自然農法自体を広めていく役割を持った人なんだということに
この2冊の本を読んで、あらためて気づいたのです。
彼が絶対不可能なりんご作りを成功させ、有名になることで
多くの人々に自然農法そのものに対する認識が広まっていくのだと。

肥料も農薬も使わない自然農法で育てられた野菜と、
有機の肥料で育てられた野菜とはもう比較にはならないのですね。
有機野菜の多くは牛糞や鶏糞などを発酵させたものを肥料として
使っていますが、
その牛や鶏自体が抗生物質やホルモン剤を使って育てられたものがほとんど。
また、チッソ過多になったり
発酵が充分でないために、腐り易くなってしまうのです。

実際、腐敗実験をすると
自然栽培、有機栽培、一般栽培、それぞれで作られた野菜の、
一番先に腐るのが有機野菜、次が一般野菜
そして、最後まで腐らず枯れていくのが自然栽培で作られた野菜だそう。
だから有機より一般野菜の方がいいという結論にはなりませんが
少なくとも動物性の有機肥料で作られている野菜はけして
安全とは言えないですね。


これは「すべては宇宙の采配」にも載っていますが
『NATURAL FOOD 自然の野菜は腐らない』という本に詳しく書かれてありました。

こちらは、自然栽培について書かれてある記事

以前、福岡正信さん、岡田茂吉さん川口由一さん
といった自然農法の実践者について
読んだことはあったのですが、
こちらは生前の福岡正信さんの映像を紹介してあるブログ)
今回、この木村さんの本を読むことで
あらためて自然農法の重要性に気づかされました。

今は、まだ無農薬、無肥料で育てられた野菜なんて、
そう簡単には手に入りませんよね。
まだまだ栽培する人も少ないし、市場には出回っていません。
でも、人々がその重要性を認識することで、需要が高まり
それを栽培する人が増えていくことにつながってくるのでしょう。

今、木村さんは、日本のみながず、海外にも
そういう自然農法のやり方について、講演や講習のために回っていられます。
また、今、彼のもとには、日本全国から
自然農法に関する問い合わせが殺到しているのだそう。


さて、ここで、ちょっと話はぶっとんでしまいますがショック

「私はアセンションした惑星からきた
ー金星人オムネクオネクからのメッセージ」

という本に、オムネクオネクさんが、
金星はどうやってアセンションしたか、
ということが書かれてあるのですが、
(この本も今、とり寄せ中なので、読んでみて、もしよかったらご紹介しますね)
それによると、

「地位や権力、貧富の差のない世の中にしようと、
政治を変えていった後、
多くの人たちが、都会の暮らしを捨て、お金やそれまでの仕事を捨てて、
田舎に移り、基本自給自足の生活を多くの人がスタートした。
土地も誰が所有するのでもなくただ、そこに人が暮らすという考え方を持った。
そして、そこから人々の精神は少しずつ上昇し、
アセンションした星になった」

とのこと。


この人が本当に金星人かどうかという話や、
アセンションの話は脇においておいたとしても
もしも、都会に住む多くの人たちが、
田舎に移り住み、自給自足の生活を始めたとしたら
それは、人間にとっての大きな意識の変化の時となるのでしょうね。

そして、そういう、これからのパーマカルチャー(持続可能な農業、文化)のために
自然農法は、とても大切な役割を果たしていきそうです。
なので、木村さんが、これほど数々の不思議体験をしているのだということが
とても納得しました。
もし、私が高度な文明から来た宇宙人だとしたら、これからの地球を変えていくために
最も必要な人を選びますものスマイル

さて、実はアメリカには、有機農法は山ほどあっても
この自然栽培の農園と言えるのは、たった3つしかないと
何かに書かれてあったのですが。
そのうちの一つが、NYの北に3時間のキャッツキルマウンテン
というところにあります。
そこに、日本人の方が一人マネージャーとして、自然栽培の指導や普及を
行っているそう。
こちらはその紹介記事

こちらがそのキャッツキルマウンテンファンデーション

来年の春には、ぜひ一度、訪れてみたいと思っています♪

CSC_1398 のコピー.JPG
@Central Park






最終更新日  2009年11月08日 16時23分34秒
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