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カテゴリ:自叙伝
わたしが小学校低学年だった昭和30年代には、いま当たり前に売られているものの多くはまだなかった。野菜にしろ果物にしろお菓子にしろ、いろいろなものの中から選ぶ、という買い物の楽しみはほとんどなかった気がする。
かなり遅い時期まで手に入らなかったものの一つにパインアップルがある。パインアップルといえば缶詰で、それすら貴重品だった。 そのせいか、昭和30年代はイミテーションのようなものが多かった。たとえば、化学的に合成されたフルーツの味がする食べ物や飲み物の類である。 正確な商品名はわからない。「パインアップルアイス」も、そんなチープなイミテーション・フーズの一つだった。 これは冷菓、というより氷菓だった。缶詰のパインアップルは輪切りになっているが、ちょうどその輪切りのパインアップルをそのまま凍らせたような形になっている。もちろん果肉はまったく使われていない。が、どういう技術処理をしているのか、ただの氷に縦に筋が入っていて、まるでパインアップルをそのまま凍らせたかのような食感がある。 あのころは、人工甘味料やフレーバーを使った粉末ジュースが全盛だった。だからこのパインアップルアイスも、粉末ジュースを凍らせて作ったものだと思う。凍らせる過程でかき混ぜたり型に入れたりといった処理を加えることによって、果実のような食感を出していたのだと思う。 昭和30年代の子どもは、しかしまだ粉末ジュースさえ飲むことは少なかった。外で遊んでのどがかわくと、近くの家に行って水を飲ませてもらったものだ。 そのころ住んでいた家は小さな(と言っても300坪以上はあったと思う)公園に隣接していたから、水をほしがる子どもが家の前で行列を作ることも珍しくなかった。 そんな時代、1年に数日あるかないかの暑い夏の日、「パインアップルアイス」を食べるのは至福のひとときだった。サクサク、シャリシャリという歯触りのものが口の中で溶け、のどを通りぬけていく爽快感は他では絶対に得られないものだった。 削った氷にシロップをかけただけの何の芸もない「氷水」に比べて、「パインアップルアイス」には、精一杯、ホンモノに近づきたい、近づけたいという開発者の一途な健気さがあったのではないだろうか。 戦後日本の発展の原動力となったものの一つが、こうしたホンモノへの渇望だったと思う。 バナナアイス、というのもあった。今でもあるのかもしれない。昭和30年代、バナナは今の夕張メロンかそれ以上に高級品の代名詞だった。 漠然とした記憶だが、現在の貨幣価値に引き直すと一本1000円くらいの感じだったと思う。 バナナは輸入自由化で比較的早く価格が下がったが、パインアップルが普通に出回るようになるには時間がかかった。特に北海道は他の地域より遅かったような気がする。昭和40年代も後半になってからではなかっただろうか。 生のパインアップルを初めて食べたとき、妙なものだと感じ、あまりおいしいと思わなかったのは、きっと長いことニセモノに慣らされてしまったせいだろう。 夏の暑い日、子どもは、コンビニではなく、老婆がひとりで店番をしている駄菓子屋から買ったアイスキャンデーでのどのかわきをいやすのでなければならない。 そうでなければ、ろくなおとなにならないのは歴史が教えている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
May 22, 2009 03:26:18 PM
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