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投資の余白に。。。

投資の余白に。。。

December 26, 2009
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カテゴリ:自叙伝
小学5年の家庭科の調理実習のとき、ホウレンソウの油炒めのほかにもう一品、目玉焼きか何かを作った気がする。だがもう記憶はあいまいだ。

生まれて初めて料理をしたのは4歳のときだった。作ったのは、目玉焼きか卵焼きかわからないが、とにかくフライパンを使った卵料理だったらしい。らしい、というのは自分では覚えていないからだ。母の帰宅が遅くなり空腹になったので、フライパンで卵を焼いて食べたらしいのだ。冷蔵庫のなかった時代、保存のきく卵は貴重な食材の一つだった。

背が届くはずがないのだから、きっとイスを持ってきてその上に立って料理したのだろう。卵はどんな風に割ったのだろうか。母のやり方を見よう見まねしたにちがいないが、4歳くらいになればもうその程度のことはできるものなのだ。

だからもう50年近く卵焼きを作っていることになるが、さっぱり上達しない。自己流のクセがついてしまったせいだ。片手で次々と卵を割れるようになるのが料理人の最初の修行だというが、いままで何千個も卵を割ってきたはずなのに、それもできない。だから、手をケガしたときは往生した。

昭和30年代の日本人にとっての主な動物性タンパク質の摂取源は、魚貝類を除けば鯨肉と鶏卵だった。

なぜか、目玉焼きはほとんど食べなかった記憶がある。たぶん、卵焼きに比べて作るのに時間がかかったせいだろう。一度に家族の人数分の目玉焼きを作るのは不可能な一方、卵焼きならまとめて作ることができる。

パン食が普及したのは1960年代なかばだったと思う。朝食がパンのときは卵焼きがスクランブルエッグになった。ペンションの朝食はスクランブルエッグと相場が決まっていた時期があったが、アメリカでB&Bに泊まったときもスクランブルエッグだった。あんな他愛のない料理をオシャレでモダンに感じたこともあったのだから、バブル以前の日本人はナイーブだったものだ。

家庭科の調理実習があったころは、ちょうど叔母の家に住まわせてもらっていた時期だった。そこで病気になり入院した叔父、つまり叔母にとっての弟の家族も一緒に暮らしたことがある。

この叔母というのが、意地が悪いわけではないのだが、人の気持ちを考えるということのない人だった。いまで言えばADHDかアスペルガーということになるかもしれない。一緒に暮らす人間の数が増えて、とたんに食事が貧弱になった。客観的に見るとまるで叔父の家族へ意地悪をしているようにさえ感じられた。

そこで皿数を増やすために少し早起きして料理をすることにした。とはいえ、小学生にできることはしれている。それこそホウレンソウの油炒めと卵焼きを作るくらいが関の山だったが、まだ小学生なのに父親を失ってしまったイトコたちと分担して作ったのは、思い出すのが辛い記憶だ。

イトコ一家は叔母の家の向かいの家の二階に間借りをしていた。ひどい話もあるもので、叔父が入院すると、家主は出ていってくれという。それで叔母の家で一緒に生活するようになったのだった。

ちょうど渥美清の「泣いてたまるか」というドラマが人気になっていた。毎週欠かさず見たが、イトコ二人のうち姉の方は、この番組を嫌っていた。お嬢さん育ちの彼女は主演の渥美清の風采が嫌いだというだけでドラマ自体を嫌っていたのだった。人間の感じ方というのは色々だと感じ入った初めての体験だったが、この従姉がその後タチのよくない男にばかりひっかかることになったのは、このように人間を表面だけで見ていたからか、早くに父親をなくしたためか。

もっとも、マルチ商法にのめり込んだ夫と離婚してからはさすがに学習したようで、その後は独身を通している。

ウィーン留学経験のある人に、街についてたずねてみたところ、しばらく考えて「卵がおいしかった」という返事が来て面食らったことがある。なるほど、たしかに外国に行くと卵がおいしく感じられることが多い。ネパールの山奥で食べた、プレーンオムレツという、4歳のわたしが作ったのと同じであろう味付けなしの卵焼きは、濃厚な卵そのものの味がしておいしかった。ときどき高価な卵を試しているが、あの卵よりおいしい卵に出会ったことはない。

あの時代、卵かけご飯、というのもよく食べた。最近、なぜかリバイバルしていて、専用のしょう油が売られたりしている。生卵には数万個に一個の割合だが必ずサルモネラ菌が入っている。だから決して学校や病院の給食には出ない。

チャーハンには卵が不可欠だ。だが、なかなか上手に作ることができない。あるとき、ご飯に先に卵をかけてかき回し、ちょうどご飯に卵をコーティングしたような状態から作るといいという話を聞いてやってみた。そうしたら、非常にうまく作ることができた。

卵焼きはコハダと並んで、鮨職人の技術をはかる代表的な鮨ネタである。いままで食べたもっともおいしい卵焼きは、小樽にあった柏鮨という鮨屋のそれで、中にウニが入っていた。

しかしその店は食中毒を出して営業停止期間中にふたたび食中毒を出し、それが元でつぶれてしまった。

卵は、昭和30年代を思い出すキーワードのようなノスタルジックな食べ物である一方、貧困の記憶とも結びついている。いわばアンビヴァレントな食べ物であり、それはあの時代を知る多くの人にとって共通の感覚なのではないかと思う。

あのころはマヨネーズも手作りしていた。マヨネーズを作るには、卵黄をかき混ぜる役と酢をたらす役の二人が必要だが、祖母と一緒に何かをした唯一の記憶がマヨネーズ作りだったりする。

ちなみにマヨネーズは冷蔵庫に入れる必要はなく、冷蔵庫のなかった時代にもいつもあったので、今よりも使用頻度は高かった気がする。

卵焼きをふわっと柔らかくするにはマヨネーズを少し入れたりする。

登山者や探検家にはよく知られていることだが、マヨネーズは最強の非常食であり保存食である。どんな暑くても数ヶ月は腐敗しない。高カロリーなので、一本あれば一週間は生き延びることができる。

卵の殻は、いい肥料になる。その卵の殻をゴミに出すような輩には、いつか仏罰があたるだろう。





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最終更新日  December 26, 2009 01:29:55 AM
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