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カテゴリ:数学・サイエンス
『右脳と左脳のはなし』セルゲーエフ:東京図書
『右脳は天才?それとも野獣?』ロバート・オーンスタイン:朝日新聞社 楽天で「右脳」を検索するとろくな本が出てきません。いわゆる「幼児教育」「早期教育」あるいは「速読」と「右脳教育」を強引に結びつけて、「左脳ばかりではなく右脳も鍛えよう、そうすればもっと頭が良くなる」という類のトンデモ本ばかりです。 右脳(一部)損傷・欠損者として申し上げますが、ここに紹介する新旧「右脳本」が、この分野では比較的分かりやすく、まともな良書です。 読むゆとりのない方のために(特にお母さん方のために)エッセンスを申し上げますと、 左脳…言語・数学担当、論理、デジタル的、逐次的(一つ一つ順番に)、理性的、細部的 右脳…非言語・音楽担当、空間処理、アナログ的、並行的(同時処理)、感性的、全体的 ということになります。 なんだ、どっかで聞いたようなことじゃないか、と思われるかもしれません。 じゃあ、もっとブッちゃけて言いましょうか。 左脳…コンピュータ、専門バカ、知識の集積 右脳…生きる力、判断力、智恵の源泉 こういうことなんです。 左脳の役割分担が比較的早くから分かっていたのに対し、右脳のそれは謎でした。 謎、ということは、無責任な話ですが、逆に言えば「どんな説を立ててもよい」ということです。 だから、「右脳を鍛えれば…」「左脳と同じように…」「全脳式教育法」などというあやしげな似非科学が今でもはびこっているのだと思います。 音楽やスポーツの分野を除いて、いわゆる「早期教育」は百害あって一利なし。 このことはまた別の本を紹介するときにふれると思いますが、その根拠を一言で言うと、 それらは「右脳教育」という看板を掲げた「お受験=左脳偏重教育」にすぎない からです。こういうのを中国の故事成語で「羊頭狗肉」と言いますね。 まあ、お母様方にとってはどっちでもいいのかもしれません。 だけどね。 そりゃあ第一次反抗期以前の幼児は母親に好かれるためならなんでもするかもしれませんさ。 だけど、「生きる力」をつけるべきときに「知識」「技術」ばかりをつめこまれたらどうなるか。 「生きる力」をつけるべきときに、つけるべき「右脳」に損傷を負ってしまった自分にはおおよその見当がつきます。 そういう知識も、親がほおっておいても子供の好奇心がこうじて自発的に学ぼうとするのなら、右脳も関与するのですけれどもね。 むりやりつめこまされた知識で頭でっかちになっても、人とうまく付き合えない、人の気持ちが分からない、状況に応じた適切な判断が出来ない、そういう大人になって果たしてその子は幸せでしょうか? 黒字で強調した部分は、半分自分の本音でもあります。 自分は「できない」のではなく「苦手」程度ですんでいますが、それでも脳損傷の後遺症を感じています。まして、「早期幼児教育」によって、右脳の能力を伸ばしてあげるべきときに、実は左脳ばかりを酷使してしまっているのだとしたら… たとえばね。 ここを読むと、もっともらしいことを書いてあるけれど、成果としてあげられているのは、これ。 右脳が鍛えられたんじゃない。 左脳が鍛えられたからこれだけ書けるんですわ。 なんてね。 いくら言っても、聴く耳もたないお母さんはもたない。 ほとんどお母さんの自己満足の世界なんですけれどね。 10で神童、15で秀才、ハタチすぎればただの人…ならまだいいのですけれど。 コンピューターは、オーバーヒートしてしまいますよ。繊細ですから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.05.17 13:50:01
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