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カテゴリ:近代日本文学
明治の「田舎教師」文学といえば、真っ先に思い浮かぶのは夏目漱石の『坊ちゃん』であろう。ただあれはあまりに何度も映像化されて、すっかり様式美の世界になってしまった。それにあれは中学である。
小学校教員として田舎に赴任した主人公の林清三には、モデルがある。文学に対する志を抱きながらも途中で挫折し、遊郭につぎ込んで借財し(このあたりはフィクションらしい)、肺病で死んだ二十歳そこそこの若者。 今からちょうど100年位前、結核で臨終間際の清三を日露戦争で死にゆく一兵卒と重ね合わせるあたりの描写は、見事な二重奏となって読者の胸を打つ。 それでいてこの小説はちっても反戦的ではないのだ。多くの人が日本がロシアとの戦争に勝つことを願っていた、あの時代の空気というものが如実に伝わってくる。 この空気は決して偽りではない。なぜなら花袋は、日本を代表する自然主義の作家だからだ。花袋と言えば『蒲団』をまず思い浮かべてしまうが、あれは自然主義というより私小説である。むしろ本作の方が、フランス自然主義文学的な意味での「自然主義小説」に近い。 ただ、はっきり言ってフランスの自然主義文学は自分にとっては退屈である。ことにエミール・ゾラなどは長いだけで冗長でくどいように思われる。原語で読めばまた違うのかもしれないが、あいにくそんな語学力はない。『田舎教師』を自分が読めるのも、その「自然主義的な」描写にもかかわらず、語彙が豊富で描写が美しいからである。いわば、日本語表現による細部の典麗さの積み重ねで最後まで読了してしまうような性格の本だと思う。明治時代を知る風俗小説としても貴重である。 最後に本音を言うならば、この作品を愛読するのは自分が「田舎教師」になりそこねたせい、かもしれない…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.06.14 10:33:20
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