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つれづれなるままに―日本一学歴の高い掃除夫だった不具のブログ―

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2011.04.08
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カテゴリ:現代日本文学
大江健三郎は、実をいうとあまり好きではない。
『芽むしり 仔撃ち』には感心したが、その左翼的な文学スタンスが好きになれなかった。
またほかの小説も、性的なシーンの描写が好きになれなくて読み挿したままのものが多い。
(村上春樹と同じように、大江健三郎においても性的な描写のシーンが重要な役割を果たしている。ただ村上の性が軽やかに乾いているのに対し、大江の場合陰鬱に湿っていて好きになれないのである)
それにもまして決定的だったのは、『個人的な体験』だった。

途中まで読み進めて不具は頁を閉じた。身体障碍者の青年が、障害を持って生まれたわが子の死を願う若い父親が主人公の小説を、好きになれるだろうか?
以来今日まで、大江健三郎の小説は、一行も読んだことがなかった。

不惑を過ぎて読み返してみても、主人公は相変わらず好きになれない。太宰治の私小説に出てくる退廃的で自虐的な「私」の戯画のようだ。ただ何度も挫折を経験したせいか、憎む気にはなれない。共感はしないが、同情する。その弱さを許してあげたくもなる。

そう思って読み直すと、あらためて気が付いたことがある。この小説にはほとんど固有名詞が登場しない。主人公はニックネーム「鳥(バード)」で語られるだけだし、ほかの登場人物も妻や義母、医者など属性や肩書でしかわからない。数少ない固有名詞が主人公の浮気相手の火見子(卑弥呼)と、妻の回想に出てくる同性愛者比古とくれば、これはもういうまでもなく神話的である。頭部に異常を持って生まれてきたわが子への思いを『個人的な体験』として語りながら、作者はそれを共通体験として普遍化しようと試みているのだ。

日本神話によれば、イザナミとイザナギの最初の子供は、ぐにゃぐにゃした蛭のようなものであったという。今風に言えば、失調型の脳性まひ児、ということになろうか。二人の神様は泣く泣くその赤ん坊を川に捨てた。これが、一神教なき日本国の神様の原罪である。大江は、この原罪を下敷きに、八百万の神々に似せて創られた日本人の常識と世間を語り、ヒミコに御宣託を行わせている。

最終的に、鳥はヒミコの御宣託に従わない。過去の亡霊キクヒコも振り切り、赤ん坊を堕胎医の手から救うべく、片目の車を疾走させる。まるで世の中のすべての赤ん坊が核兵器であり、たまたまわが子が負った頭のこぶがきのこ雲であるかのように、しかしいつ爆発するかわからない未来を背負って生きることが現代人としての宿命であり覚悟であると悟ったかのように。

…今、初めて本書を手に取って途中で怒って読み挿したままにした昔の日のことを、ありありと思い出す。今回ようやく読了できて、ようやく作者と(一定の)和解ができた気がする。…


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Last updated  2011.04.17 02:01:32
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