テーマ:タイ(3327)
カテゴリ:ぼくの疑問符
ここ2年間、タイで展示館づくりの仕事をしてきた。
もうすぐ終わるのだが、なぜか せいせいする。 はっきり言って、 もうタイはごめんだ! と心が叫んでいる。 単なる疲れだろうか。 中国案件を終えるときは、そうではなかった。 トラブルは中国にいるときのほうが はるかに多かったが、 なぜか案件が終わるとさびしい気がした。 ふしぎだ。 まだ、うまく説明できない。 タイ料理は好きだ。 タイ語もしっかり習って読み書きもできるまでになった。 タイ文字の新聞をかなり読めるところまできたのだから、 並みの日本人よりはタイに深入りしていると思うが…。 これは持論だが、 相手国の国民性をつくづく知るには、 やはりいっしょに仕事をしてみることなのだ。 タイにいて、つくづく嫌になったタイ人の性格。 「マネージャーが逃げ隠れすることが、当然のこととされていること。」 「その場しのぎのウソをつくことが、正当なこととされていること。」 要は、表面上の激しい対立というかケンカ、口論を避けることが美徳とされ、 そのための手段として 「責任者が逃げ隠れ」 「その場しのぎのウソ」 がまかり通る。 たしかにそれを貫けば、表面上は紛争が起こりにくい。 ただただ仕事が遅延するだけだ。 そう、タイ流のスピードでことが運ぶのである。 ケンカする相手が出てこないのである。 ケンカしようと思うときに、相手がウソを言って逃げるのだ。 まあ、それもひとつの社会のあり方でしょう。 そういう社会もあっていい。 善悪の問題ではなく、カルチャーの差異だけの話だ。 そして、そういうカルチャーを嫌う自由も当然あるのであって、 ぼくはそういうタイのカルチャーが嫌いである。 中国は、中国共産党という巨悪がおおっていて、 all or nothing のおそろしいカントリーリスクがあるが、 中国人のほうがすなおにケンカし、論理で会話できた。 そうして詭弁でねじ伏せられたことも多々あったから、 損得勘定だけから言えば、 中国は「とんでもないところ」だったけど。 ケンカせずに済むタイのほうが性に合うという人もいるでしょう。 損得勘定だけから言えば、タイのほうがいい。 でも、ぼくはタイ人の性格が嫌いである。 「責任者が逃げ隠れ」 「その場しのぎのウソ」 それは、どの国にもある。 タイの問題は、それらが「当然のこと」「正当なこと」として 社会的に認知されてしまっていることだ。 ぼくは、そういう社会が大嫌いだ。 だから、タイ案件卒業でなぜかせいせいするのだ。 ああ、やっぱり疲れ切っているだけだろうか。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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