カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
ミュージカルの舞台にこの人がいる限り失敗は起こらない。
男性なら岡幸二郎さん、女性なら土居裕子(ゆうこ)さんだ。 声の美質と演技の確かさ。 「タン・ビエットの唄」には、土居裕子さんをはじめ、安寿ミラさん、駒田 一さん、吉野圭吾さんなど、名前を見ただけでわくわくする人たちが出ていて気になる作品だった。 ヒロランさんがブログ「観劇☆備忘録」で絶讃していてぜひ見たくなった。 集客力のある安寿ミラさん主演ということになっているが、歌のちからで作品全体を引っ張っているのは土居裕子さんだ。 「マリー・アントワネット」の修道女アニエス・デュシャン。 土居さんは東京藝術大学声楽科卒だけあって、やはり歌の質の次元のちがいを感じます。 ヴェトナム戦争と、その20年後の数々の再会、驚愕、幻滅、そして希望の再生を描く。 安寿ミラさんが妹フェイ、土居裕子さんが姉ティエンの役。 昭和43年の「ソンミ村虐殺事件」を下敷きにして、本作では「ハン・ティン村」の虐殺が設定されている。 その悲惨をただ2人、からくも生き延びて、いわゆる解放戦線側に逃げ込み兵士らに大事にされる。 「ハン・ティン村」事件の2年後、解放戦線側の訪欧代表団に虐殺体験の証人として妹フェイが加わる。 そして、あろうことか彼女は、安穏な生活を渇望してイギリスで亡命する。 そして20年後、あらゆるためらいをふりはらって、再会を誓って別れた姉ティエンを探しに妹フェイはホーチミン市に降り立つ。 かつて解放戦線で彼女を助けてくれた兵士たちは、輪タクの運転をする者、外国人専用のバーの経営をする者、得度(とくど)して仏僧となった者、チンピラやくざを牛耳る者など、さまざまな人生の流転を経ていた。 姉ティエンもまた時代の非情にもまれていた。 姉ティエンを愛した男があり、姉ティエンが愛し子を宿した男があり、そして……。 ストーリーが骨太だ。 明らかにされてゆく余りといえばあまりの過去の出来事が、 がつん、 がつん と舞台から炸裂する。 戦争中に解放戦線の夢に情熱を燃やした兵士たち。 いくさの後に夢がかなうどころか、国民は貧困のドン底に突き落とされ結局のところ上層に居座る者が入れ替わるだけだった、と語らせる台本の歴史認識もまっとう。 反戦でも、まして解放戦線讃美でもなく、人間の業(ごう)としての戦争を内側からほじくり出すように描く。 共産主義の夢なるものが幻影であり欺瞞であることが、政治的メッセージとしてではなく、ありのままの事実として織り込まれている。 ヴェトナム人から見ればたぶん相当辛口の構成だが、豊かな緑と蓮の花々のなかの希望あふれる出会いで幕を閉じる本作は、さわやかなメッセージを心に残してくれる。 それぞれの運命、それぞれの生き方があることに、すなおに向き合いながら作られているのがいい。 舞台美術もよかった。 縄をさまざまの紋様の巨大な簾(すだれ)に編んで舞台背景一面に吊した。 ジャングルのようにも見え、南洋の国そのものを表わしているようでもある。 縄の前と後ろをうまく使って、シンプルなのに効果的な演劇空間をつくった。 そして、最後のシーンになってはじめて巨大な縄簾が取り払われ、見晴らしが一気に開ける。 すがすがしく印象深い舞台が広がった。 唯一の難点をいえば、女性4名のアンサンブルの群舞が合同練習不足だった。 ひとりひとりはよくても、動作のタイミングや腕の角度が揃わなかったり、舞台上の立ち位置が適切でなかったりした。 すばらしい公演だっただけに、ちょっとした不出来が目立ってしまった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[映画・演劇(とりわけミュージカル)評] カテゴリの最新記事
|
|