ことしの8月15日は、帝劇で 「ダンス オブ ヴァンパイア」 を観たあと、靖國神社にお詣りした。
ここ3年間は、7月の 「みたままつり」 に提灯を毎年ふた張り献灯してきたが、参拝は久しぶりだ。 おだやかな人波に安心した。 遊就館展示の戦死者の遺品の数々と久しぶりに対面して、心をこめた保存に感謝した。 * ひとに命をささげるとしたら……と考えることがあった。 行き着いたのが 「報いはいらない。ただ、どうか自分のことを忘れないでほしい」 という思いだった。 だから、国民のために犠牲となり祀られた御霊に、わたしが寄せることができるのも 「けっして忘れません」 という思いにちがいない。 そう考えながら今年はお詣りした。 * 8月15日の 『北國新聞』 の 「時鐘」 は、読みながら涙がにじんできた。 呉市の 「大和ミュージアム」 で人びとを惹きつけるのが、戦艦とともに戦死した人びとの名前を掲示したパネルなのだという。 犠牲となった人びとのことを 「忘れまい」 とする気持ちが、自然に湧き起こり共有されていることを知った。 『北國新聞』 「時鐘」 平成21年8月15日 ≪広島・呉市の 「大和ミュージアム」 で見た光景が忘れられない。 戦艦大和ゆかりの地にある博物館は、10分の1の復元模型が人気を集めている。 その模型のフロアよりも、入館者が長い間、足を止めて見詰める展示がある。 2700を超す名前だけが羅列された数枚のパネルである。 大和と最期を共にした乗員の名が都道府県別に記されている。 石川、富山の英霊の名もある。 「名前ほど心打つものはないのです」と、ボランティアのガイドが話してくれた。 足早に去る人は、めったにいない。 名前の羅列がなぜ、そんな力を持つのだろう。 「五百羅漢を知ってますか」と、ガイドに言われて、呉羽山にある愛らしい石仏群を連想した。 同じ顔は2体とない。 自分そっくりの羅漢が必ずあるともいう。 パネルに並んだ名には、自分と同じ姓がある。 1文字違うだけの名もある。 知人に似た名前も見つかった。 見ず知らずの人なのに、厳粛な気持ちになった。 自分や友人そっくりの人が必ずいたに違いない。 そんな人たちが平和の礎を築いてくれた。 いくさの世が遠くなっても、祈る気持ちが薄れることはない。≫ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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