テーマ:政治について(20107)
カテゴリ:日本の政治
榊原英資さんの国債増発論への懸念を書いたところ、2人の読者から廣宮孝信(ひろみや・よしのぶ)著 『国債を刷れ! ― 「国の借金は税金で返せ」 のウソ』 を薦められた。
一読して、廣宮さんの持論に賛成である。 読者が言われるように、説得力がある。 榊原教授の発言は、発行済の国債・地方債800兆円の上にさらに国債を積み増ししても問題ないんだ、というもの。 「全体のパイを大きくせぬままでも、停滞するカネを国債へさらに誘導すれば何とかなります (=やがてパイは大きくなります) 」 と言われても、国債の利率以下の低成長がこれだけ続く現状では無責任発言に映った。 廣宮さんの本のタイトルだけ見ると、同じく単なる 「国債増発論」 のように見えるが、ポイントはそこにはない。 平たくいえば、論壇では少数派の 「政府紙幣発行論」 を本格的に展開している。 財源を従来の国債によるのではなく、悪性インフレにならぬ範囲で政府自ら 「木の葉のおカネ」 を刷って公共事業を行うべしというもので、従来わたしも惹かれるところはあったが、これを嗤う反対論 (従来の常識) が強いので、賛成には ひるんできた。 廣宮さんは、「政府紙幣発行」 が明治維新の成功のために大きな役割を果たしつつ、その後の (現在から見れば限定的規模の) インフレを教訓にしすぎて、政府紙幣発行が禁じ手になってきた歴史を振り返る。 さらに諸外国においては、カナダやスウェーデンのような一流国も 「通貨発行益」 を財源とはっきり位置づけて、通貨増発と公共事業で繁栄を築いていることを紹介する。 (嗚呼、日本の常識は世界の非常識……?) 無規律に貨幣を増発すれば悪性インフレが起きるが、日本のようなモノ余り状況ではその懸念は少ないことも説明する。 そのうえで、単なる 「政府紙幣発行論」 では他の論者同様に玉砕してしまうから、「国債を増発して日銀が買い取る」 という方法でもって「政府紙幣発行」とほぼ同じ効果を生むことを論理的に説明し、これが米国FRB議長のベン・バーナンキ氏が日本国に薦めてきた処方箋でもあることに言及する。 ここから 「国債を刷れ!」 という書名となる。 政府紙幣を刷るがごとくに国債を刷って、実力とかけはなれた萎縮をみせる日本経済のパイを健全なサイズまで大きくし、のっけは公共事業でカネの動きをかき回す、という手法。 これには納得がいく。 * わたし流に解きほぐしてみる。 ここに3つのものがある。 「有り余るモノ」 「介護が必要な老人」 「失業青年」。 たしかに今の日本にある。将来の日本には、もっとある。 これをうまくかき回して、失業青年に介護という仕事を与え、有り余るモノを老人と青年に分配すれば、みんなハッピーである。 ここで公共事業が出しゃばりすぎると社会に甘えがはびこるから、商業ベースで (=民活路線) 解決すべきだ、という議論が一世を風靡してきたのだが、 商社マンとして考えるに、「有り余るモノ」 「介護が必要な老人」 「失業青年」 をかき回す仕事を商業ベースで行うというのはホントに難しいのだ。 かき回せば、世の中の幸福度は格段に高まるのだが、それが貨幣価値として 「かき回した貢献者」 へ戻ってくるかというと、なかなかそんなことはない。 とすれば、「商業ベース」 の呪縛は脇に置いて、やはり 「公共」 の論理でかき回すしかない。 かき回すためのツールが 「政府紙幣」 であり 「日銀に買わせる国債」 だ。 「有り余るモノ」 がある限りは、その方法は有効だ。 もう少し勉強して、配信コラムにも書いてみたい。 廣宮孝信さんを一流の論者として 『VOICE』 誌の編集長に推薦することにします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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