カテゴリ:映画・演劇(とりわけミュージカル)評
旬な女優の富樫 真(とがし・まこと)さんをはじめ、6人の役者が演じた昭和18年から21年の時間は濃密で、みごとな舞台だった。
出征した兵士らに慰問品として送るために撮られた99枚の家族写真がモチーフ。 その写真の家族のその後を取材するルポライターが聞いた、根本家のふたつの死。その死に向かい合う家族らの姿が凄絶に演じられる。 役者とモチーフにめぐまれ、映像と舞台を交錯させた演出も綿密だ。 然るに、ぼくはこれをプロデュースしたトム・プロジェクトに黄信号を出す。 リアルに切り取られた歴史を浅薄な歴史観で染め上げる、作者ふたくちつよし氏の姿勢に失望させられた。 「百枚めの写真 一銭五厘たちの横丁」 @ 笹塚ファクトリー (~7/28) この公演の9割9分9厘は、じつに優れた演劇である。 しかし残る1厘に、浅薄な歴史観への媚びを垂らしたことで、演劇全体がなんとも “かぐわしく臭う” 左翼ものに成り果てた。 昭和49年のルポライターの訪問先で、すねた職人が言い放つ。 「天皇? あれは戦犯だ!」 そして、芝居の末尾でルポライターはこんなことを言う。 「99枚の出征兵士の写真。わたしたちは100枚目の写真があってはならないと思うのです」 戦争は、複雑な巨大物である。とりわけ大東亜戦争は。 歴史を腑分けすればするほど見えてくるのは、市井の民から国家指導者まで ひとりひとりの媚びや慮りや野心の積み重ねによって悲劇が増幅する構造だ。米国や中国からみごとにハメられた部分、そういう外部の悪知恵に立ち向かえなかった総合的知力の貧困。 それを知れば知るほどに、「天皇」 や 「東条英機」 を悪とののしることで満足する浅薄な歴史観こそ、昭和前期にわれら祖国を悲劇に導いた知性の貧困に直結していることを痛感する。 だから、この芝居観て、わらったね。 いやぁ、わらわせてもらったさ。 悲劇の根源を問うベクトルは、天皇=悪という公式を “庶民” に叫ばせることで安易に処理し、「百枚めの写真」 があってはならないと言うことで反戦メッセージとする。 左翼の浅薄な史観に媚びることによって、日教組バリバリの教師が生徒を連れて来れる芝居に仕上げたわけである。 そういうところが見え見えだから、いやらしい。 制空権なきニューギニアに一兵卒・根本健男を送った無謀・無思慮の力学は、じつは今日の日本全国のあらゆる職場にも存在する。 百枚めの写真は、じつは日々撮られ続けている。 もし仮にそういう視点があれば、この作品はもっと深いものになった。 安易に左翼演劇の公式でまとめ上げたトム・プロジェクト公演に対する、ぼくの評価は低い。 「天皇は戦犯だ」 を言いたいなら、最後っ屁のような言い放ちで終わらせず、徹底的に向き合ってもらいたい。 井上ひさし作品の 「日本人のへそ」 も皇室を茶化しのめしているが、ぼくはあの作品は高く評価している。日本という空間の森羅万象を同じスタンスで茶化しのめす真剣さには脱帽せざるをえないから。 それに反して、ふたくちつよし氏の天皇への向き合い方は、単に安易なのである。 戦友の死の状況を家族に伝える復員兵の役や、長台詞のルポライター役をはじめ、4役をさわやかにこなした俳優座所属の田中壮太郎さんをはじめ、ベテランの大西多摩恵さん、鳥山昌克さんの芝居には深甚の敬意を表したい。 6名の役者さんたちが力演であるがゆえに一層、作者ふたくちつよし氏の浅薄な歴史観を恨みに思うのである。 台本を手直しすべきではないか。 公演は、笹塚ファクトリーで7月28日まで。以後、東京・千葉・埼玉の12ヶ所で上演。 “市民運動” を標榜する勢力に売りやすい商品に仕立てようという一抹の邪念もなかったか、この芝居をプロデュースしたトム・プロジェクトに問いたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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