お祝いを普通に聞いていたけれど
昨日は私の誕生日でした。以前はSNSに日を公開していたのですが、誕生日にのみメッセージをくれる人がたくさんいたので煩わしくなり随分前に非公開にしました。それでもありがたいことに色んな方がメッセージを下さいます。子どもたちから。かつての同僚の方たちから。30年以上前に台湾から留学していた女性は毎年この日に台湾から近況を知らせてくれます。割りと最近知り合った若い友人からは深夜、日が変わった頃にメッセージ。「もう昨日になったんやけど、おめでとうございました」。毎年ずっとメッセージをもらっていたのに、今年何十年ぶりに音沙汰なしの人がひとりいました。母です。母は毎年、私の誕生日には欠かさず電話をかけてきてくれていました。本当は誕生日が迎えられるのは母のおかげなので、こちらから「産んでくれてありがとう」と電話をしなければいけないのですけどね。去年の誕生日にも電話があり、しっかりとお祝いの言葉をもらい「で、いくつになったんやった」と聞かれました(毎年のことです)。しかしその後、秋になって父が逝去。母も認知症が進んで現在はターミナルケアのための入院中です。面会に行けば喜んでくれる母もだんだんと私のことを認識しづらくなってきました。もう誰かに電話をかけることはありません。何十年ぶりに母から誕生日の電話がなかったことで現実を再認識させられました。口から食べ物がとれなくなっていた母ですが、先日姉から「何ヶ月ぶりに口から食べ物(ゼリー?)が食べられた」と連絡がありました。生に対する執念はたいしたものです。秋になると母は100回目の誕生日を迎えます。このときばかりは電話ではなく会ってお祝いしたいです。