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親兵衛は香しい香りの花園で目覚めた。 夢の中で響いていた心が洗われるような軽やかな音は、木陰でさえずる小鳥たちの声だと気づいた。 身を起こすとまだ初春というのに穏やかで温かい日差しがさわやかな風と共に体に心地よい。 親兵衛は初めて目にする景色と、先ほどまで祖母の妙真に抱かれていた感触に戸惑いながら、澄み切った青空を見上げた。 「親兵衛?」 不意に呼ばれた自分の名前に驚き、辺りをきょろきょみ回しさっと立ち上がった。 「誰?」 親兵衛はその声に向かって叫んだ。 「こっちです。」 親兵衛が声のする方に振り向くと、白いもやのような光の中に一人の女性の姿が浮かび上がった。 彼はその女性の乗っているものに目を向け一歩退いた。 それは犬だった、が、それにしてはあまりにも巨大で、圧倒する姿だった。 「恐れることはありません。この犬の名は八房。」 彼女の言葉に親兵衛は気を取り直し、今度は一歩踏み出した。 「お姉ちゃんは、誰?」 親兵衛の言葉に女性は穏やかな微笑みを返したが何も答えなかった。 「お姉ちゃん、ここはどこ?おばば様は?丶大様は?」 女性は相変わらず微笑んでいたがようやく口を開いた。 「心配はありません。彼らは無事です。ここは、あなたがしばらくの間暮らす私の家です。寂しくはありません、後ろをごらんなさい。」 彼女の言葉に親兵衛が振り向くと、一匹の茶色い犬が座っていた。 大きさは四歳の親兵衛より少し低いくらいの高さだった。 犬は立ち上がり親兵衛に歩み寄り、ぺろりと頬を舐めた。 「きゃはははは。」 親兵衛は初めて声を立てて笑い、犬の首を抱きしめた。 「その犬の名前は比瑪(ひめ)。これからあなたと暮らし、あなたを導きます。あなたはこれから旅に出なければなりません。苦難の旅です。でも比瑪を信じて進むのです。そうすればいつか虹色に彩られた光が現れ、その光はあなたが進むべき新たな道を照らすでしょう。」 親兵衛が女性に振り向くと、そこは真っ暗な闇で一縷の光も見えなかった。 四歳の子供でなくともそれはとても怖いことだろう。 どんなに目を見開いても、もう何も見えない。ただ果てしない闇が広がるだけだった。 親兵衛は突然突き落とされた不安の中で、比瑪の方へと振り向いてぎょっとした。 闇の中に二つの光る物が浮かんでいたからだ。 彼はたじろいだ。 だが次の瞬間、二つの光る物から生暖かい息が吹きかけられ、鼻先にじっとりと濡れた物が触れた。 比瑪が親兵衛の鼻の頭を舐めたのだ。 親兵衛は比瑪の首にか細い腕を回してつぶやいた。 「僕、これからどうしたらいいの?」 すると比瑪はこう言って身を翻した。 「こっちにいらっしゃい。」
親兵衛は比瑪の背中に手を置いて彼女に従い歩き始めた。 そして、その先に淡い光が見え始めた。 さらに歩を進めると、彼は洞穴から抜け出した。 そこには満天の星空が広がり、足元に広がる地平線の彼方に三日月がぽっかりと優雅に浮かんでいた。
「坊や、すまんがわしの頼みを聞いてくれぬか?」 突然傍らから声を掛けられた親兵衛は一瞬体をすくませたが、声の主に顔を向けた。 そこには、小さな老人が立っていた。 髪は真っ白で、これまた真っ白な長く伸びた眉毛が目を覆い被そうとしていた。 白い衣を着て、白い杖をついていた。 口元にも白く長い髭を蓄えており、胸まで届きそうだった。 「おじいさん、どうなされました?」 親兵衛が訊くと老人はこのようなことを言った。 「わしの可愛いがっている猫の鞠がいなくなってしまったのだ、探してはくれぬか?」 「どっちの方角へ?」 「それは坊やが首に下げている珠に訊いてみればわかる。」 老人の声に首にぶら下げた球を袋から取り出し、そこに浮かぶ『仁』という文字をしばし見つめた親兵衛が顔を上げると、そこに老人の姿はなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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