28 年 の 知 恵
あ る ゎ あ る ゎ 60 数 点
薬 入 れ か ら 晴 れ 着 ま で
「 こんなもの日本に持帰りたくないなあ 」
「 ミスター・ヨコイ、それは間違いだ。君の生きた歴史だ 」。
26日午後、横井さんとグアム警察署のクインタニラ署長が
真剣にやりあった。
ほら穴から ” 生存の証拠品 ” として押収されてきた
ナタやカゴ、洋服など60数点。
それは横井さんの28年の生活記録であるともに、
人間の生命力の強じんさをまだまだとみせつけたもので、
同じジャングルにいた皆川文蔵さんをも感嘆させた。
人間社会から切り離され、ギリギリの極限状態の中で
生き抜いた人間が必死に考え、つくりだした生きる道具だ。
グアム警察署が横井さんを保護したさる24日午後、
ほら穴に調査に出向いたところ、麻袋4袋でもはいり
切れないほどの道具類があった。
伊藤正さんは「 薬きょうに調味料入れみたいな穴が
あいていたが、いったい何に使ったのだろう 」と首を
かしげていたが、同じように15年間ジャングルで生活した
伊藤さんにもその使い道は見当がつかなかったらしい。
ウナギの肝からつくった薬入れだったという。
皆川さんも「 横井さんはずいぶん家財持ちだなあ 」と
証拠品を見て感心した。
皆川さんや伊藤さんは原住民に見つかるのを恐れて
同じところに決して1週間以上はいなっかったが、
横井さんは同じほら穴に15年もいた。
皆川、伊藤さんが遊牧民とすれば、横井さんは
” 農耕民族 ” だった。
水筒やナタなどは皆川さんが使ったのと同じだが、
皆川さんは木の実類を保存食にしたり、衣類を
作ろうなどとは考えもしなかった。
横井さんは何年もかけて洋服を仕立て上げたりして、
人間が自然に生きる資質を元来持っていることを証明した。
そのまま使っていたのは、ナタ、ハサミ、スプーン、日本ヤカン、
ハンゴウ3個、水筒、鉄カブト、携帯用の鉄製の弾薬類。
転用したのは、弾薬箱の鉄板に穴をあけた大根おろし、
鉄板のフチを折りまげたナベ、サラ。
カシの木を長さ20センチ、直径5センチぐらいに
削って2本でこすり合わせて火をおこす火打ち木、
ウナギのかば焼き用の竹ぐし36本。
ホラ穴が竹やぶの中にあったせいか、竹細工の道具も多い。
ウナギやエビとり用のモジリ( 長細い竹かごで、中にはいると
逃げ出せなくなる )4個や灯油に使ったヤシ油を入れる
竹製の筒を2個。
ヤシ油といえば、ヤシの実をしぼって、固形のロウを
2本もつくってある。
横井さんが作ったツメえりの国民服の手ざわりは
” ツムギ ” のようで、デザインも洋服職人だった
だけに堂に入ったもの。
その工程はヤシなどの木皮をたたいて繊維状にしたあと
水にさらし、よりあげてまず糸を作る。
それを交互にテテ糸とヨコ糸を通してヤシ生地を織り、
これを裁断して針金に穴をあけた針で縫いあげた。
ボタンもカシの木をみがきあげて作って縫いつけた。
1着作りあげるのに2、3年はかかったそうで、なんと
横井さんはそれを季節に合わせて3着も持っており、
夏用は半ソデだった。
食糧品もウナギやエビを干物にして台風シーズンに
備えた非常食をつくっていた。
ちょっと渋味が残っているが、ブルーチーズを
食べたような味。
道具類はみなきれいにみがきあげられて、竹製品などは
黒光りしており、だれひとり見る人とていない密林の
生活をいかに大切にしていたかがうかがえる。
小銃の一部分は生活必需品の材料にしたらしく撃鉄が
抜け落ちていたが、銃口部分は布で巻いて保護していた。
またホラ穴には数10発の手投げ弾がきちんとヨコ穴の
貯蔵庫の中に並んでいたが、そこだけがホコリが積もり
” 平和 ” に徹した姿をみせていた。
これは27日、アメリカ海軍爆薬処理班が
ホラ穴から運び出して処分するという。
上記、記述は、1972年( 昭和47 )1月27日、
新聞に掲載されたものです。
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最終更新日
2022年03月20日 21時25分01秒
[元 日 本 兵 ・ 横 井 庄 一] カテゴリの最新記事
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