自由と自律 2・7
病室の一畳にも満たないスペースにおさめられている最中に、わが頭のなかだけは活発に活動しておりまして、その際に浮かんだテーマの一つに、”自由と自律”がありました。どういうことなのでしょうか…。病院、それも救急病室では、患者たるわたしメには、一切の”自由”が封じられておりました。何をするにも、ナースコールを必須とされていたのです。しかし、この”不自由”は時の経過とともに、いくつも装着されたコードや細い管が一つづつ外されるにしたがいまして、その幅を狭め、わが”自由”の幅が広がっていったのです。この”自由”と、その大元のフランス革命でとなえられた”自由”との違いはなにか…。考えに値するテーマではありませんか…。フランス・市民革命の画像(フリーイラスト集より)この時期、その末期にさしかかるところとはいえ、ニッポンでは、封建制の重しのなかに封じ込まれていた個人(市民)が、同じ時に欧米では、社会の主人公へと台頭していたのでした。市民の思想、信条、財産形成の”自由”の主張をともなって…。ニッポンでは、この”自由”は、明治維新後の”自由民権運動”として、”参政権”というきわめて狭く政治的意味合いを濃くして登場したのですが、その実現は、あの第二次大戦の敗戦とGHQの占領政策のなかで、市民は棚ボタ的に頂戴した権利でしかなかったのでありまして、けっして、みずからの”勝ち取ったそれ”とは、いいがたいモノなのでした。それでは、ニッポンにおける個人の”自由”は、どうなっていたのでしょうか? この問題を考えるとき、”自由”の背後に”自律”が成立していなければならないことに注意が必要です。極端にいえば、”自律”なき”自由”はありえないのです。この場合、”自律”とは、個人がある目標をたて、その実現のための手段を選び、ルートを定め、実行に移った後に結果を点検し、修正するという行動をみずからの責任と権限でおこなうかどうかにかかわります。もちろん、それは大きな制約のなかでのモノではありますが…。それがYesなら”自律”であり、逆なら”非自律”です。専門的には、そのような行動にかかわる選択肢の全体を”行動空間”と云いますが、その際の決定のありようが問われるのです。みずからが、それを為しているかどうか…。ニッポン人の大半は、現在でも、”非自律”だと思われます。ニッポンの個人を律してきた仕組みは、実は、”家制度”にあったのです。そうです。江戸期に確立した”家”の存続を第一義にして、個人のすべての行動を縛ってきた、あの仕組みです。参政権は得たのですが、個人の行動は”家”のしがらみのなかにつつみこまれてきた…。つまりは、”自律”できていない…。ニッポンの自由の本質は、個人の”自律のゆがみ”にこそあると気づくべきです。ニッポンでは、この自律を”親”も”教師”も、だ~れも教え躾けてくれません。辛うじて、大学の卒論を履修した学生は、この”自律”をしっかりと体得させられるでしょう。まじめに取り組めばですが…。そうでありましても、社会に出たときに、さまざまなしがらみのネットワークの中で、”自律”よりも”縁”を尊ぶことの有利さを知り、自律行動が遠ざけられるようになってしまう…。これが、ニッポン社会の”自由”の実像でしょう。経済の高度化が進行し、”縁”のシバリの衰えがみえている現在でも、他者への依存行動は弱まっているようには思えません。そうしたニッポンの”自由”のありようは、否定されるべき姿なのでしょうか? 実は、そうとばかりは云えないのです。ニッポンでは、落とした財布が持ち主に返ってくるとか、非常時でも、モノの支給や買い付け時に整然と列をなして秩序を保っているとか…。これって、凄い”美徳”でしょう。まちがいなく…。他国で報じられる”暴動”や”略奪”がしっかりと抑えられているのですから…。しかしながら、ニッポン社会の今後を展望するとき、”非自律的個人”では、何をなすべきかがわからずに路頭に迷ってしまい、妙な行動に突っ走ってしまうかもしれないという懸念は強く残ります。過去の大災害時に、そうした行動が発生したという記録を決して忘れるべきではないでしょう。”縁”を大切にした中での”自律行動”が達成されるならば、それが”最高の自由社会”なのかもしれません。ニッポンは、それに到達するための至近距離にあると云えるかもしれません。一人ひとりの個人が、このことに気づく必要がありそうです。わたしにとって、今回の救急入院は、おもわぬ”学習”の場でありました。もちろん、これからも、”自律行動”を意識し実践してまいる所存です。せっかくに拾った”命”の代謝として…。