欲深い人 つづき
昨日の日記「欲深い人」の続きです。電話を切った後に、しばし嫌な後味を引きずり…で、ハタとわかりました。欲しいのはIさん自身。誰それが言っていた…にかこつけて、本当は自分が貰いたいのだ…と。ひょっとしたら、「欲しい」なんて言っている人はいなかったのかもしれません。 父に話すと、まだ欲しいのか と呆れ「そういやあ、お母さんがあんなに好意を寄せてたのに、焼香に来たのは随分たってからだったね。今から思うと、貰うために、弔問客でバタバタしてるときは避けたのかな」夫に話すと、失礼な人だな 遠慮ってものがないみたいだな。一周期後に、オープンハウスしてだれかれ構わず持ってってもらったら~だって。そのほうが、こっちも気分的にいいかも~母も具体的に食器のナニコレって書いてくれてたら良かったなぁ。お好きなもの。。。ってボカすから~ 父も夫も「もうあげなくていい」と言うけれど数日、悩んでいたらヘビに遭遇した有様で。で、結論。 母は、「差し上げなさい」と言うことだろう私自身があんなにたくさんの食器を使うか? → Noならば欲しがっているIさんにあげればいいではないか あからさまな欲が見えると、やってなるものかという気持ちになってしまうのは何故なんでしょうねえ 先日、Iさんから「四十九日のお花」が届き。(1週間早いよ~)「届きました、ありがとう」の電話で、貰いに来る日を段取るつもりか…といまだ穿ったみたかをする私なのでありました。配達のトラブルがあり、受け取る前にお礼を申し上げたのでそれっきりになってますが。…なんか、もう来ない気がしてきた。 余談:今回もいろいろ学びました。人は、自分が思っているように相手も自分のことを思っているとは限らないということ。Mさんという方がいますが、亡くなる何日か前に、母が突然、「Mさんって嫌な人」と言いました。そういや、ここ数年Mさんの名前を聞かなかったなと思っていたら、過去の出来事を色々思い出したらしく、 あの人は自分本位だとか言い始めました。人の悪口を言わない母だったので、いささか驚きました(死が近づいてくると、いろんな出来事を思い出すのかな?)母の逝去後、父とも話しあいMさんとは絶交したみたいなこと言ってたから訃報はしないどこ と言ってた矢先、なんとMさんから電話なんか胸騒ぎがしたのです…と。父が亡くなったことを伝えると、電話口で絶句されたそうですすぐにお花が届き、カードも添えられて…母が思っているように、Mさんは思ってはいなかったということ。なんだか涙が出ましたよ母の逝去を聞きつけ、すぐ飛んで来られた方、何度もお焼香に来てくださり、たくさんの思い出話しをしてくださった方。はたで見ていて、人それぞれの思いというものが解りました。