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カテゴリ:作品レビュー(外国映画)
この作品は一種の「バディ・ムービー」と考えていいのではないか。
変形版とみてもいいと思う。 ニック・ノルティとディ・マーフィーの「48時間」や ロバート・デ・ニーロとチャールス・グローディンの 「ミッドナイト・ラン」のようなものだ。 映画を見ている間、以前にも、このような作品を見たことがあるなと 気になっていたが、映画を見終わって、先日、亡くなったピーター・ イェーツの「ドレッサー」がよく似ていることを思い出した。こちら は我侭な舞台俳優と付き人の物語。 この種のドラマには二人の人間関係に大きな特徴があって、いって みれば呉越同舟。それだけではなく、一方が優位にありながら、そう でない人物に生殺与奪の権を握られているという関係がある。 社会的な上下関係がオールマイティではなくなることが示される。 黒澤明の「七人の侍」では、侍たちと農民たちのそれぞれの集団間に おいてそのような関係性が見られる。 この種のドラマにおいて、そのような不安定な関係にありながら、目 的を成し遂げることが出来るのは相互の信頼感によるものである。 但し、「七人の侍」には、その「信頼関係」は全く見られない。 「ドレッサー」ではどうであったろうか。「良い舞台を」という目的 意識だけが共有化していたのであり、そこには人間と人間の信頼関係 があったとは思えない。 では、この「英国王のスピーチ」においてジョージ6世とライオネル ・ローグの間に信頼感はあったのだろうか?映画の中の後日談では 終生、信頼し合っていたと語られるいるが、映画の中では、私は、そ のような感じは受けなかった。本当はどうだったのであろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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