秋山巌の小さな美術館 ギャラリーMami の町田珠実です。
ひよいと穴から、とかげかよ 山頭火
昭和9年5月19日の其中日記に登場します。
ユニークな句なので、ご存じの方も多いと思いますが、
秋山巌は版画にしていません。
どんな状況で読まれた句かなと、山頭火の日記を読むと、
味取を思い出したり、人恋しがったり、肺炎から生還して、思うこと多しなのでしょう。
山頭火は、昭和9年4月14日に、
木曽から清内路峠を越えて上清内路村に一泊
15日に飯田に入りました。
その日、今宮の風越館で行われていた句会に臨みましたが
発熱、肺炎と診断され入院します。
退院してようやく小郡の「其中庵」に戻ったのは4月29日。
それを踏まえての、昭和9年5月19日 其中日記 以下↓
五月十九日
頬白が晴々と囀つてゐる、誰かを、何物かを待つてゐる。
考へること、読むこと、書くこと、……歩くこと。
人生は五十からだ、少くとも東洋の、日本の芸術は!
曇つて降りだしさうになつたが、なか/\。
昼酌をやりながら、といふよりも、ほうれん草のおしたしを食べつゝ、味取をおもひだした、H老人をおもひだして、彼の生死を案じた、味取在住一ヶ年あまり、よくH老人と飲んだ、そしておさかなはほうれん草のおしたしが多かつた。……
△私は毎日これだけ食べる(不幸にしてこれだけ飲みます!)。
米 四合、三椀づゝ三回
酒 合、昼酌 壱回
朝、味噌汁 二杯
昼、野菜 一皿
晩、同 外に佃煮
時々
うどん玉
まんぢゆう
これで食費一ヶ月まづ五円位。
△湯屋で感じた事、――
男湯と女湯とを仕切るドアがあけつぱなしになつてゐたので、私は見るともなく、女の裸体を見た(山頭火はスケベイだぞ)、そしてちつとも魅力を感じなかつた、むしろ醜悪の念さへ感じた(これは必ずしも私がすでに性慾をなくしてゐるからばかりではない)、そこにうづくまつて、そして立つてゐた二人の女、一人は若い妻君で、ブヨ/\ふくれてゐた、もう一人は女給でもあらうか、顔には多少の若い美しさがあつたが、肉体そのものはかたくいぢけてゐた、若い女性がその裸体を以ても男性を動かし得ないとしたならば、彼女は女性として第一歩に於て落第してゐる、――私は気の毒に堪へなかつた、脱衣場の花瓶に※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)された芍薬の紅白二枝の方がどんなにより強く私を動かしたらう!(私はまだ雑草のよさを味ふと同様に、女の肉体を観ることが出来ない、修行未熟ですね)
△俳人の夥多、そして俳句の貧困。
△ながいこと、ぶら/\うごいてゐた前歯(後歯はもうみんな抜けてしまつたが)がほろりと抜けた、抜けたことそのことはさびしいが、これでさつぱりした、物を食べるにもかへつて都合よくなつた(私自身が社会に於ける地位はその歯のやうではないかな)。
△ラツキヨウを食べつゝ考へる(私はラツキヨウが好きだ、帰庵して冬村君から壺に一杯貰つたが、もう残り少なくなつた)、人生はラツキヨウのやうなものだらう、一皮一皮剥いでゆくところに味がある、剥いでしまへば何もないのだ、といつてそれは空虚ではない、過程が目的なのだ、形式が内容なのだ、出発が究竟なのだ、それでよろしい、それが実人生だ、歩々到着、歩々を離れては何もないのが本当だ(ラツキヨウを人生に喩へることは悪い意味に使はれすぎた)。
たどんはありがたいかな、たどん一つのおかげで朝から夜まで暖かいものが食べられる、その火一つで、御飯もお湯もお菜も、そしてお燗も出来ます。……
今日の夕方はさみしかつた、人が恋しかつた、――誰か来ないかなあ、と叫びたかつた、いや、心の中では叫んだのである。
寝苦しかつた、一時から三時まで、やつとねむれた。
うちの藪よその藪みんなうごいてゆふべ
・空は初夏の、直線が直角にあつまつて変電所
・閉めて一人の障子を虫がきてたたく
・影もはつきりと若葉
・ほろりとぬけた歯は雑草へ
・たづねあてたがやつぱりお留守で桐の花
・きんぽうげも実となり薬は飲みつゞけてゐる
・くもりおもくてふらないでくろいてふてふ
この児ひとりこゝでクローバーを摘んでゐる
摘めば四ツ葉ぢやなかつたですかお嬢さん(途上即事)
断想
生活感情をあらはすよりも生活そのものをうたふのだ。
人生は、少くとも私の生活は水を酒にするのではなくて、酒が水になるのだ。
生活事実、その中に、その奥に、その底に人生の真実、自然の真実がある。
・誰もたづねて来ない若葉が虫に喰はれてゐるぞ
・ひよいと穴から、とかげかよ
・雑草が咲いて実つて窓の春は逝く
・ねむれない私とはいれない虫と夜がながいかな
・夜ふけてきた虫で、いそいで逃げる虫で