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あるMLの「楽しい」子育て論議のなかで、篠秀夫さん(生命を考える(篠 秀夫さんのHP)がおっしゃられたことを転載・ご紹介させていただきます。
------------------------------------------------------------ 「努力から逃げて楽しむ」のではなく「努力してその“結果”、“成長”を楽しむ」という意味です。 努力するからこそ、楽しくなるのです。 「楽(らく)をする」ということではありません。 教室でも、子どもたちがよく、“たいくつだー!”と言っています。 でも、そういいながらぶらぶらしています。 “退屈だったらなんかしたら”と言っても、なんにもしません。 子どもはおもしろければやるし、面白くなければやりません。 まるで子猫のようです。義務では動きません。 それは基本的にはどの子でもそうです。 (思春期が近くなるに従って、義務感でも動けるようになります。いや、動けるようになるはずなんですけど・・・・) 彼らは、努力する喜びを知らないのです。 一生懸命やるから楽しくなるのです。 彼らは「一生懸命にやる喜び」を知らないまま成長してしまっているのです。 昔の子どもは、ケンダマでも、竹馬でも、お手玉でも、一生懸命練習しました。 頑張ってできるようになったことだから嬉しいし、自慢もできるし、また他の子が羨望の眼で見てく れたのです。 今の子どもたちの遊びは“娯楽”ばかりです。 「楽しい」を非難される方々が指摘する“楽”な遊びばかりです。 ですから、今の子どもたちはすぐに楽をしたがります。 工作をしていても、“簡単にできるのない”とか、“難しそうなのやだ!”と言います。 「難しそうだから、面白そうだ」という発想をする子は、本当にまれです。 でも、難しいことに挑戦するから、心の底から楽しくなるのです。 でも、その「心の底から楽しむ」ということを知らないのでみな簡単な娯楽的な“楽しさ”に逃避しようとします。 でも、娯楽的な楽しさは表面的、一時的なものに過ぎません。人を成長させる力はありません。 逆に、娯楽的な楽しさは人の成長を止めてしまいます。 数学者の森毅さんは子どもの頃、算数(数学?)の成績が悪かったそうです。 どうしてかというと、試験用紙をもらうと、まず一番難しそうな問題から始めたというのです。 それは、一番難しそうな問題が、一番面白そうだからです。 彼は、難しい問題を解くのが楽しくて、楽しくてしょうがなかったのです。 でも、それがすぐ解ければいいのですが、そうでないと0点になります。 それで、成績が悪かったらしいです。 今時、そんな子いないでしょうね。みんな簡単な問題から始めますから。 私も、中・高校生の頃数学の問題を解くのが楽しみでした。 私には、数学の問題をとくのが遊びの一つだったのです。 ですから、問題集を色々と買い込んでは“遊んで”いました。(努力して勉強している、頑張って勉強しているという感覚はありませんでした。) でも、そのことをうちの子どもに言うと「変人」扱いされます。 「子育てを楽しもう」と言われる時、「辛いこと、面倒なことを避けて、楽に子育てをしよう」ということであれば、これはとんでもないことです。 子どもが小さい時に、楽な子育てに逃げ込んでしまうと、子どもが思春期になってそのつけがドドッとやってきます。 そうではなく、私の言いたいことは 「とにかく頑張ってみようよ。頑張ってみると、辛いこと、苦しいことが喜びを生み出してくれる卵に変わるんだよ。子どもは親を苦しめるために生まれてくるんじゃないんだよ。そうじゃなくて、 親を喜ばせるために生まれてくるんだよ。でも、それは子どもだけじゃできない。親と子が心を合わせて始めてできるんだよ。子育ては親と子の共同作業なんだよ。それができるようになると、子育て が楽しくなるよ。」 ということです。 それで「子育てをもっと楽しくしようよ」と呼びかけています。 でも、楽をしたいお母さんたちからの評判は悪いようです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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