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<ウサギとカメ>という授業プランがあります。(北海道の前崎彰宏さん作成)
おとぎ話の「ウサギとカメ」から、あなたはカメ派ですか、ウサギ派ですか、と問うていくのですが、最後に加藤諦三さんの本の一節の紹介があります。 「もしもしカメよ、カメさんよ、世界のうちでおまえほど、歩みののろい者はない、どうしてそんなにのろいのか?」という歌を小さいころからわれわれはうたわされて育った。 このウサギとカメとの歌はわれわれの心理をよくあらわしている。まず、ウサギはカメのことを認めていない。そしてカメは自分を認めていないウサギに認めてもらおうとして全力をつくす。 "What you think of me is none of my business"という本の中に、次のような意味の文があった。「私は自分を拒否する人にばかり気をとられていた」 たしかに自信のないとき、われわれは、自分を拒絶する人間にのみ注目する。自分を受け入れてくれる人が実際にはこの世の中にいるのに、その人たちを見る目を持っていないのである。自信のないとき、ただ拒絶する人を見る目だけを持っていることになる。 つまり、ウサギとカメの歌でいえばこうである。カメに対して、あなたは水の中で泳げていいですね、立派ですね、とカメをカメの本性において認めてくれている者はこの世間にいるはずなのである。しかしカメは、この水の中で泳げていいですね、長生きできていいですね、とカメをカメの本性において認める動物には目を向けない。 そして「なんとおっしゃるウサギさん」と虚勢を張ることになる。 自信のあるカメならば、「世界のうちでおまえほど、歩みののろい者はない、どうしてそんなにのろいのか?と言われれば、「よけいなお世話だ」と言うであろう。 自分を認めていない者から認めてもらうために自分の本性を拒否する。これはわれわれが自信を失ったときにおかしがちな誤りである。 (『もっと素直に生きてみないか』三笠書房、知的生きかた文庫より) この加藤諦三さんの話をもとに、話を深めていくのですが、皆さんはどう思われますか? 私も、自信を失ったときは、ムキになっているカメになります。 自分で自分を認めてやっていないのです。自分にOKと言ってやることこそ、大きな愛情と勇気はないと言えるのでしょう。いつも何と自分を虐待していることか。 でも、また、周囲の人々のアドバイスや注意を「余計なお世話だ」と切り捨てるのも、私の趣味に合いません。 いかに誤解に基づくもの、一面的な見方による非難であろうと、 切り捨てることができないのです。それも、また、一種の敗北のような気がしてならないのです。 すべてを包み込み、栄養素としてしまってこそ、本当の勝利のような気がするのです。 だから、もし私がカメだったら、ウサギの挑発を良い機会として捉え、地上での走力をこの機会に鍛えようとするでしょう。ただし、何としてでも勝とうなどとは思いません。地上の走りを楽しみ、ウサギを褒め称え、友情を作ることこそ、本当の勝利のような気がします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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