テーマ:障害児の親として(1425)
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私がいつも羅針盤としてご相談する、茅ヶ崎の篠秀夫さんからメッセージをいただきました。ありがとうございます。
生命を考える(篠 秀夫さんのHP) ------------------------------------------------------------ 障害を持っているお子さんの親の会に呼ばれて6月に講演をします。 「どのような話しをして欲しいのか」と聞きましたら、「みんな子どもに障害があると分かったとたん、療育の方に走ってしまう」というのです。 障害があると生きていくのがなかなか大変ですから、小さい時から訓練して、子どもが自活できる能力を付けさせようと思うのは親心なのかも知れませんが、療育の前に、「一人の人間として受け止め」、「一人の人間として関わり」、「一人の人間として生きる」ということを大切にしてあげたい、私のホームページを見て、この人ならそのような話しをして下さるに違いない、ということで私に白羽の矢を立てたらしいです。 「子どもの能力を育てる」ということから言えば、障害があるとか無いとかは関係ありません。子どもが生き生きとするような状態を作ってあげれば、その子の器に合わせて能力は勝手に育つのです。そして、自分たちの可能性が広がっていると感じられる時、子どもたちは生き生きとしてくるのです。 そのためには、大人は一生懸命に一人一人の子どもの可能性を感じる努力をする必要があります。 また、学問的な知識も必要かも知れません。 なぜなら、大人に子ども一人一人の可能性を感じ取る力がないと、子ども達を生き生きとした状態に導くことが出来ないからです。 障害があろうと、なかろうと子どもたちは自分が成長していくのが喜びなんです。それが人間としての本能なんです。ただ、障害がある子と、無い子ではその可能性の内容が違うだけです。 でも、その本能は同じです。 それを大人の価値観で、「この可能性は必要ない」と切り捨ててしまう時、子どもたちは喜びを失い成長する意欲を失ってしまうのです。そして“アメとムチ”による訓練が必要になるのです。 私はそのような、「子どもが生き生きとする状態を作る」ということが、子育ての、そして教育の本質なのではないかと思っています。 そこには、障害の有無は関係ありません。 ちなみに、うちの教室には随時数人の障害を持った子供が通ってきています。 教育において、「障害」が大きな障害になるのは、教育する側が「○○を教えなければならない」と教える内容を固定してしまう時です。 そうすると、その内容についていけない子が出てきます。 障害を持っている子と関わっていると、強くそのことを感じます。 子どもに合わせていくと(迎合するという意味ではありません)、子どもは素直なのに、大人の都合を出すと突然、パニックになります。自閉症の子どもはとくにその傾向が強いように感じます。 また、健常な子で、その内容についていける子でも、“ついていっている”というだけの感覚しか持てないのではないかと思います。 それは、教育を受けることが自分自身の成長として感じられないということです。 ですから私は今の日本の教育に対して、根本的なところで疑問を持っています。 ------------------------------------------------------------ 篠さん、ありがとうございます。 私は、このメールを読んで、 私が、障害のある子との交流に魅力を感じてしまうワケが、 自分で見えて気がします。 障害児だからこそ、理想の教育ができるのです。 ここにこそ、今の教育を反省させる試金石があるのではないでしょうか。 言葉は悪いですが、私にとって、ハンディをもった子はお宝です。 かつ、厳しい教師でもあります。 大人の勝手な意図をたたきつぶしてくれますから。 本当は、すべての子もそうなのです。 子どもの方が押し殺しているだけなのです。 親が教師の言葉に一喜一憂するのも、 世間の評判を気にするのも ある意味傲慢なことではないでしょうか? 教師が子どもの成長を手柄話しにしたり、 逆に進歩が見られないことに、罪悪感をもつことも、そうなのかもしれません。(私も、しばしば自分を責めて、何度、放り出そうと思ったことか) 私は、子どもとの交流をエンジョイすることが、すべての出発点だと理解しました。 篠さんのHPには、生命そのものを見つめた智慧がいっぱいです。迷ったとき、ぜひ、訪問されてみてはいかがでしょう。まだまだご紹介したい、篠さんのメッセージがあります。近々ご紹介します。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2004.03.16 11:03:39
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