テーマ:障害児の親として(1425)
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魔法の言葉って、あると思います。
その代表が、「も」です。 「しか」を「も」にちょっと変えるだけです。 子どもがテストを持ち帰りました。点数が良くないらしく少し落ち込んでいます。お母さんは、そのテストをみて言います。 A「太郎ちゃん、60点もとれたの、よかったね」 B「太郎ちゃん、60点しかとれなかったのだめじゃない。しっかりしなさいよ。」 あるクラスで宿題をしてきた子が30人中20人いました。 一人の女の子が次のように報告にきました。 「先生、今日ね、宿題をやってきた人が20人もいたんだよ」 この子の言葉に対して、担任の先生は何と応えたでしょうか。 A「そう、20人もいたの」 B「そう、20人しかいないの」 花子さんが、学校に置きっぱなしの水着を忘れてきてしまいました。今日で二日目です。 花子さんも明日は必ず持ち帰ろうと思っています。 そんな花子さんには、担任の先生は何と言うでしょうか。 A「そう、忘れちゃったの、大丈夫、花子ちゃんなら明日は持ってこれるよ」 B「何回言われたら持ってこれるの、明日忘れたら、取りにいきなさいよ」 どうでしょう。やっぱり、「A]の方がいいです。「B」では、暗く沈んだ気持ちになってしまいます。 以上は、「明るいトーンの個が育つ学級づくり」(竹川訓由 著) のサワリの一部ですが、障害児に限らず、個別の指導に大きく影響を与えるのは、学級運営とその空気です。 いかに先生が教える技術をもっていても、学級崩壊していては、台無しです。 で、単にこれは、テクニックの問題ではないことに注意したいものです。明るい学級づくり、明るい家庭づくりも、大人の世界観、ものの見方によるのです。 プールで7メートル泳げたことは、どう評価しますか? 普通、標準となる記録をまず、アタマに置いて、それをゼロ、原点にして プラス・マイナスで判定していませんか? そうじゃないのです。1メートルもすごければ、100メートルもすばらしい。しかし、プールに入ったことだけで、拍手なのです。いや、プールを見学しただけで、ほめられるべきです。いやいや、学校に来ただけでスゴイじゃないですか!! 世の価値は、二元論の相対評価です。多い・少ない、高い・低い、美しい・醜い、高い・安い、などなど。 それは、ある目的にためには、有効でありますが、人間育成のためには、害毒があることを片時も忘れてはいけないと思います。 生きとし生けるもの、その存在だけで、限りなく価値があるという思想は、相対評価を受け付けません。すべてがプラスの一元論の世界です。 具体的に二元論と一元論では、指導がこう変わります。 授業のはじまりのチャイムが鳴っても、ワイワイガヤガヤです。 「何やってんだ!何回言われたらわかるんだ」 「だれだ、一番うるさいのは」 これが二元的な見方です。 担任が原点を設定して、それより上なら、良し、下なら怒っています。 一元論なら、こうなります。 ワイワイ・ガヤガヤの教室に入ります。 「おはようございまーす。おぉ、元気がいいなぁ。さぁ、席につこう!」 マイナスがありませんから、現状OKです。 全員が席に着いたところで、次のように続けます。 「いやー、元気があっていいなあ。先生がくるまで、自分で考えて何でもいいからやっていた人、手をあげてごらん。」 そうすると、必ず、何人か手をあげるもんです。そこで、言います。 「おぉ、三人もいるんですか。すごいですねぇ。たいしたもんですねぇ。」 もし、一人もいなかったら、 「いやー、正直でうれしいな。全員が手を挙げるよりうれしいな。」 これで、子どもたちは、見事に伸びていきます。 何度も言いますが、これはテクニックの問題ではないんです。 生命をどう考えるかの、生き方の問題です。 担任に自分たちの行動が前向き・肯定的に認められると、子どもたちの行動は、明らかに生き生きとしてきます。うれしくなってきます。そして、素晴らしい行動がポンポン出てきます。 それを保護者が感じないはずがありません。保護者が、先生に信頼を寄せます。 保護者が学級づくりに好意的に協力してくれると、子どもたちもさらに拍車をかけて、素晴らしい行動をするようになってきます。 それをさらに、認めると……。 と、まあ、魔法のような話ですが、これが、たった「も」という言葉を使うことから、始まるのです。 これを私は、ハンディをもった子どもたちから、学びました。 皆様のまわりの楽しい話、ぜひ、お聞かせください! 待ってます。(いやな話も大歓迎!?) とにかく、レスをいただくと、うれしいもんです。 それが、今日の日記のヒントになります。 助け合い運動だと思って、カキコミかメールをお願いします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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