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卒業式と全然関係ないのですが、中学1年の息子のクラスで、親子で学級文集をつくることになって、我が家も原稿を書かなければならなくなりました。
最初はおちゃらけ風のを書いたのですが、それを息子は拒否。 クラスのことは、さっぱりわからないし、「何を書いて欲しい?」って聞いたら、結局、私の中学時代の思い出ということに。 そこで、今、野球部のピッチャーをしている息子に語りかけるつもりで、以下の原稿を送りました。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 古中時代の反省(宏貴の親父です) 33年前の今頃、私は常勝バスケット部1年生チームの4番として、早朝練習はもちろん、自宅の庭にもリングと照明をつけ、先輩や先生に認められるためだけに、シュートをうち続けた。部屋でもコタツからシュートを打っていた。 負けることは頭になかった。と言うより、一度も負けなかったし、先輩の負ける姿も、県大会でも見たことがなかった。ただ、恐い恐い先輩のどなり声から、逃れることだけが関心事だった。 だから、勝利の感激も無かった。先輩からしごかれた腹いせを、弱小チームをコテンパンに痛めつけ、笑いものにして、ストレス解消するくらいがせいぜいだった。今度は何と言って怒られるのか、何本シュートミスをしたのか、ばかりが頭を駆けめぐった。 結局、初めて負ける体験をしたのは、3年生になって、最後の県大会でだった。負けて初めて、「俺は何のためにバスケットをしてきたのか」、と疑問に思った。3年間の努力すべてが虚しいものになった。古中の「伝統」がバカらしく思えてきた。だまされたとさえ感じた。 実は、バスケットとは、とても楽しいものであることを発見したのは、卒業してしばらく経ってからだった。そして、バスケットそのものを楽しむ心のゆとりが、ちょっとでも県大会のあのときあれば、ピンチをきっと乗り越えられただろうと、今でも悔やむ。 スポーツも学問も、生徒会活動だって、それ自体が楽しいから、結果はどうであれ、夢中で取り組んでしまう人は幸いです。その反面、人から良く思われたいがために、努力する人は、あとで青春を本当の意味で燃やさなかったことに気づいて、悔やむことでしょう。 良くも悪くも、ゲップが出るくらい、楽しい中学生活を送られることをおすすめします。 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ と、まあ、こんな文です。 息子には、勝っても負けても、イイ思い出にして欲しいと思います。 今さらながら、当時の部活の指導者の立場として、考えてみますと、 まず、失敗の一つは、負ける経験をさせなかったことがあります。 つくづく、負けも大切だと実感します。 次に、スポーツの楽しさを教えなかったこと。「勝つ」ことのみに焦点が合っていたこと、いや、「勝つ」ことは当然だったので、「負けない」ことだったから、もっとヒドかった。 さらに、自主的判断力を育てていなかったこと。 これが、私をバスケットから演劇の道に走らせた原因です。 勝ち負けの世界がイヤになり、創造する活動をしたくなったのです。 でも、今の学校にも、スポーツに限らずに、これらが抜け落ちていることがいっぱい見受けられます。 「伝統」が強調される陰に、個人の生き様が、抜けているように感じます。部員に考えさせる練習をしていません。 また、小学校の卒業式をみても、あの形式主義が、小学生の思いを育むのに、本当にふさわしいのだろうか、と疑問がいっぱいです。 今の学校の先生には、なりたくない、と思ってしまうフーテンの寅さんでした。(アッ当然か) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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