カテゴリ:理想の学校に向かって
今、日本の学校は、 猫も杓子も、「学力向上」です。 国がうたっているのですから、 学校が錦の御旗として使うのは当然です。 そのお陰でしょうか、 私にお声がかかることも、多くなりました。 でも、私は疑問をもっています。
日本のゆとり教育を見直そうという、その発端となったのは、 PISAのテストにおける日本の子どもの成績不振です。
そこから、「学力向上」派が鼻息を荒くしてきたわけです。
でも、ちょっと待ってください。
私たちが、学校で一般的に使われている「学力」、 とか、「学力低下」問題と言う場合の「学力」とは、 「各教科で習った知識の定着度合いのこと」、 または、「正解が一つのペーパーテストによって測られる力、いわゆる受験学力のこと」 を示していますね。 これが、親も教師も、塾も共通理解で言っている 一般的な「学力」ですよね。
日本のものとは全く中身が異なっています。
社会に出て、いろいろな問題を解決し、 元気に社会生活ができる力を育むことだと、考えています。
だから、PISAで求める「学力」は、 「社会人として元気に生き抜く力(=人間力)」です。 今、日本の学校が追い求めている「学力」と 定義が全く異なっています!
これじゃ、さらに、PISAテストの成績は下がっていくのではないでしょうか? ベクトルがズレているのです。
もはや成熟社会では適応しなくなって来ているという判断を以前、 臨教審答申、中教審第二次答申などで、したはずです。
PISA型の学力に方向転換しようとし、 「総合的な学習の時間」が設置されたのです。
そして、マスコミも、このすり替えをほとんど指摘していません。 これは、マスコミの編集者も、旧態依然とした、 過去の「学力」に固執しているからでしょう。
日本が世界のトップになりたいのであれば、 まず、「学力」の定義を国民皆が認識し、共有しなければなりません。 そのためにこそ、マスコミはキャンペーンを張るべきです。
トップ成績で有名なのフィンランドは「総合的な学習」が主体です。
日本のこの揺れ戻しは、 教育界の指導層が、従来の学力観から抜け出ないから、 いや、それしか持ち合わせていないから、 その尺度でしか、ものごとを判断できないから起きた 悲劇です。いや、喜劇です。
現在、社会のトップで活躍されている人なら、 小中学校で追い求められている「成績」が 人生では、ほんのつまらないものであることは、 百も承知のはずです。
でも、それでしか、生きていけない人たちが その狭い学力を唯一の土俵として生きています。 当然、総合学習の進め方など、わかるはずがありません。
私たち、大人は、日本の子ども達を このバカげた檻の中から、解放してやる責務をもっています。
これこそ、日本への貢献であり、愛国心だと思うのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.07.18 13:13:35
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